説苑 / 奉使
晏子使吳,吳王曰:「寡人得寄僻陋蠻夷之鄉,希見教君子之行,請私而毋為罪!」晏子憱然避位矣。王曰:「吾聞齊君蓋賊以慢,野以暴,吾子容焉,何甚也?」晏子逡巡而對曰:「臣聞之,微事不通,麤事不能者必勞;大事不得,小事不為者必貧;大者不能致人,小者不能至人之門者必困,此臣之所以仕也。如臣豈能以道食人者哉?」晏子出。王笑曰:「今日吾譏晏子也,猶裸而訾高橛者。」
新字:晏子使呉,呉王曰:「寡人得寄僻陋蠻夷之郷,希見教君子之行,請私而毋為罪!」晏子憱然避位矣。王曰:「吾聞斉君蓋賊以慢,野以暴,吾子容焉,何甚也?」晏子逡巡而対曰:「臣聞之,微事不通,麤事不能者必労;大事不得,小事不為者必貧;大者不能致人,小者不能至人之門者必困,此臣之所以仕也。如臣豈能以道食人者哉?」晏子出。王笑曰:「今日吾譏晏子也,猶裸而訾高橛者。」
書き下し
晏子呉に使いす。呉王曰く、「寡人僻陋蠻夷の鄉に寄るを得たり、希に君子の行いを教うるを見る、請う私して罪と爲す毋かれ。」晏子憱然として位を避く。王曰く、「吾聞く齊君は蓋し賊にして以て慢、野にして以て暴なりと。吾子焉に容る、何ぞ甚だしきや。」晏子逡巡して對えて曰く、「臣之を聞く、微事に通ぜず、麤事に能わざる者は必ず勞す。大事を得ず、小事を爲さざる者は必ず貧す。大なる者は人を致す能わず、小なる者は人の門に至る能わざる者は必ず困す、と。此れ臣の仕うる所以なり。臣の如き豈に能く道を以て人に食わるる者ならんや。」晏子出づ。王笑いて曰く、「今日吾晏子を譏るや、猶お裸にして高橛を訾るがごとし。」
現代語訳
晏子が呉に使者として赴いた。呉王は言った。『私はこの辺鄙な蛮夷の地に身を置いており、君子の立ち居振る舞いを教わる機会がめったにありません。どうか率直に指摘してくださって、それを罪とはしないでいただきたい。』晏子はかしこまって席を外し、遠慮した。王は言った。『私は聞いている、斉の君主は残忍で人をあなどり、粗野で乱暴であると。それなのにあなたはそのような君主に仕えておられる。それはあまりにひどいのではないか。』晏子はしばらくためらってから答えた。『私はこう聞いております。細やかな事に通じず、粗い事もできない者は必ず苦労する。大事を成し遂げられず、小事もしない者は必ず貧しくなる。大人物でありながら人を招き寄せることもできず、小人物でありながら人の門をくぐることすらできない者は必ず行き詰まる、と。これが私が仕える理由です。私のような者が、どうして正しい道だけを選んで人から養われるような身分でいられましょうか。』晏子は退出した。王は笑って言った。『今日、私が晏子を難詰したのは、まるで裸の者が高い沓の台を非難するようなものだった。』
解説

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