説苑 / 奉使
楚莊王舉兵伐宋,宋告急,晉景公欲發兵救宋,伯宗諫曰:「天方開楚,未可伐也。」乃求壯士,得霍人解揚,字子虎,往命宋毋降,道過鄭,鄭新與楚親,乃執解揚而獻之楚。楚王厚賜,與約,使反其言,令宋趣降,三要,解揚乃許。於是楚乘揚以樓車,令呼宋使降,遂倍楚約而致其晉君命曰:「晉方悉國兵以救宋,宋雖急,慎毋降楚,晉今至矣。」楚莊王大怒,將烹之,解揚曰:「君能制命為義,臣能承命為信,受吾君命以出,雖死無二。」王曰:「汝之許我,已而倍之,其信安在?」解揚曰:「死以許王,欲以成吾君命,臣不恨也。」顧謂楚君曰:「為人臣無忘盡忠而得死者。」楚王諸弟皆諫王赦之。於是莊公卒赦解揚而歸之。晉爵之為上卿。故後世言霍虎。
新字:楚荘王舉兵伐宋,宋告急,晋景公欲発兵救宋,伯宗諫曰:「天方開楚,未可伐也。」乃求壮士,得霍人解揚,字子虎,往命宋毋降,道過鄭,鄭新与楚親,乃執解揚而献之楚。楚王厚賜,与約,使反其言,令宋趣降,三要,解揚乃許。於是楚乗揚以楼車,令呼宋使降,遂倍楚約而致其晋君命曰:「晋方悉国兵以救宋,宋雖急,慎毋降楚,晋今至矣。」楚荘王大怒,将烹之,解揚曰:「君能制命為義,臣能承命為信,受吾君命以出,雖死無二。」王曰:「汝之許我,已而倍之,其信安在?」解揚曰:「死以許王,欲以成吾君命,臣不恨也。」顧謂楚君曰:「為人臣無忘尽忠而得死者。」楚王諸弟皆諫王赦之。於是荘公卒赦解揚而帰之。晋爵之為上卿。故後世言霍虎。
書き下し
楚の莊王兵を舉げて宋を伐つ。宋急を告ぐ。晉の景公兵を發して宋を救わんと欲す。伯宗諫めて曰く、「天方に楚を開く、未だ伐つべからず。」乃ち壯士を求め、霍人解揚を得たり、字は子虎。往きて宋に降る毋かれと命ぜしむ。道鄭を過ぐ。鄭新たに楚と親しむ。乃ち解揚を執えて之を楚に獻ず。楚王厚く賜い、與に約し、其の言を反さしめ、宋をして趣かに降らしめんとす。三たび要むるも、解揚乃ち許す。是に於て楚揚を樓車に乘せ、呼びて宋をして降らしめしむ。遂に楚の約に倍きて其の晉君の命を致して曰く、「晉方に國兵を悉くして宋を救う。宋急なりと雖も、慎みて楚に降る毋かれ。晉今至らんとす。」楚の莊王大いに怒り、將に之を烹んとす。解揚曰く、「君能く命を制するを義と爲し、臣能く命を承くるを信と爲す。吾が君の命を受けて以て出づ、死すと雖も二つせず。」王曰く、「汝の我に許すや、已にして之に倍く、其の信安くにか在る。」解揚曰く、「死して以て王に許すは、吾が君の命を成さんと欲すればなり、臣恨みざるなり。」顧みて楚君に謂いて曰く、「人臣爲りて忠を盡くすを忘れずして死を得る者無し。」楚王の諸弟皆王に諫めて之を赦さしむ。是に於て莊公卒に解揚を赦して之を歸す。晉之を爵して上卿と爲す。故に後世霍虎と言う。
現代語訳
楚の荘王が兵を挙げて宋を討伐した。宋は晋に急を告げた。晋の景公は兵を出して宋を救おうとした。伯宗が諫めて言った。『天はまさに楚を興隆させようとしている時であり、今はまだ討つべきではありません。』そこで景公は勇士を求め、霍の人である解揚(字は子虎)を得た。彼を遣わし、宋に対して降伏するなと命じさせようとした。道中、鄭を通過したが、鄭は新たに楚と親しくしていたため、解揚を捕らえて楚に差し出した。楚王は彼を手厚くもてなし、約束を結ばせ、その言葉(晋の命令)を逆にして、宋にすぐに降伏するよう告げさせようとした。三度強く求めたところ、解揚はついに承知した。そこで楚は解揚を望楼のある車に乗せ、宋に向かって降伏するよう呼びかけさせようとした。しかし解揚はかえって楚との約束に背き、晋の君主の本来の命令を伝えて言った。『晋はまさに国中の兵を挙げて宋を救おうとしている。宋は危急であっても、決して楚に降伏してはならない。晋の援軍は今にも到着するだろう。』楚の荘王は大いに怒り、彼を釜茹でにしようとした。解揚は言った。『主君が命令を下せるのは正義のためであり、臣下がその命令を承って実行するのは信義のためです。私はわが主君の命を受けてここに参りました。死んでも二心を抱くことはありません。』王は言った。『お前は私に承知すると約束しておきながら、それに背いた。その信義はどこにあるのか。』解揚は言った。『死んでもなお王に承知したふりをしたのは、わが主君の命令を成し遂げようとしたためです。私は何も後悔しておりません。』そして楚王を振り返って言った。『人の臣下でありながら忠義を尽くすことを忘れず、そのために死を得られない者はおりません。』楚王の弟たちは皆、王に彼を赦すよう諫めた。そこで荘王はついに解揚を赦して晋に帰した。晋は彼に上卿の位を授けた。だから後世、彼を『霍虎』と呼ぶのである。
解説

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