学問のすゝめ / 十四編・世話の字の義・保護の至るところはすなわち指図の及ぶところ
ゆえに保護と指図とは両ながらその至るところをともにし、寸分も境界を誤るべからず。保護の至るところはすなわち指図の及ぶところなり。指図の及ぶところは必ず保護の至るところならざるを得ず。もし然らずしてこの二者の至り及ぶところの度を誤り、わずかに齟齬することあれば、たちまち不都合を生じて禍の原因となるべし。世間にその例少なからず。けだしその所以は、世の人々常に世話の字の義を誤りて、あるいは保護の意味に解し、あるいは指図の意味に解し、ただ一方にのみ偏して文字のまったき義を尽くすことなく、もって大なる間違いに及びたるなり。
書き下し
ゆえに保護と指図とは両ながらその至るところをともにし、寸分も境界を誤るべからず。保護の至るところはすなわち指図の及ぶところなり。指図の及ぶところは必ず保護の至るところならざるを得ず。もし然らずしてこの二者の至り及ぶところの度を誤り、わずかに齟齬することあれば、たちまち不都合を生じて禍の原因となるべし。世間にその例少なからず。けだしその所以は、世の人々常に世話の字の義を誤りて、あるいは保護の意味に解し、あるいは指図の意味に解し、ただ一方にのみ偏して文字のまったき義を尽くすことなく、もって大なる間違いに及びたるなり。
現代語訳
ですから保護と指図とは両方ともその及ぶ範囲を同じくし、寸分も境目を誤ってはなりません。保護の及ぶところがすなわち指図の及ぶところです。指図の及ぶところは必ず保護の及ぶところでなければなりません。もしそうでなくてこの二つの及ぶ範囲を誤り、わずかでも食い違うことがあれば、たちまち不都合を生じて禍いの原因となります。世間にその例は少なくありません。思うにその理由は、世の人が常に世話という字の意味を誤って、保護の意味に解したり、指図の意味に解したりして、ただ一方に偏って言葉の完全な意味を尽くさず、それで大きな間違いに及ぶのです。
解説

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