説苑 / 尊賢
楊因見趙簡主曰:「臣居鄉三逐,事君五去,聞君好士,故走來見。」簡主聞之,絕食而歎,跽而行,左右進諫曰:「居鄉三逐,是不容眾也;事君五去,是不忠上也。今君有士見過人矣。」簡主曰:「子不知也。夫美女者,醜婦之仇也;盛德之士,亂世所疏也;正直之行,邪枉所憎也。」遂出見之,因授以為相,而國大治。由是觀之,遠近之人,不可以不察也。
新字:楊因見趙簡主曰:「臣居鄉三逐,事君五去,聞君好士,故走来見。」簡主聞之,絶食而嘆,跽而行,左右進諫曰:「居鄉三逐,是不容眾也;事君五去,是不忠上也。今君有士見過人矣。」簡主曰:「子不知也。夫美女者,醜婦之仇也;盛徳之士,乱世所疏也;正直之行,邪枉所憎也。」遂出見之,因授以為相,而国大治。由是観之,遠近之人,不可以不察也。
書き下し
楊因趙の簡主に見えて曰く、「臣郷に居りて三たび逐われ、君に事えて五たび去らる。君の士を好むを聞き、故に走せ来たりて見ゆ」と。簡主之を聞き、食を絶ちて歎じ、跽きて行く。左右諫めて曰く、「郷に居りて三たび逐わるは、是れ衆に容れられざるなり。君に事えて五たび去らるは、是れ上に忠ならざるなり。今君士有るの人を過ぐるを見ゆ」と。簡主曰く、「子知らざるなり。夫れ美女は、醜婦の仇なり。盛徳の士は、乱世の疏んずる所なり。正直の行いは、邪枉の憎む所なり」と。遂に出でて之に見え、因りて授くるに相を以てし、国大いに治まる。是に由りて之を観れば、遠近の人、以て察せざるべからざるなり。
現代語訳
楊因が趙の簡主に謁見して言った。「私は郷里にいて三度追放され、主君に仕えては五度去られました。あなたが士を好むと聞き、それで駆けつけて参りました」。簡主はこれを聞くと、食事を絶って嘆息し、膝をついたまま進み出た。側近たちが諫めて言った。「郷里で三度も追放され、主君に仕えて五度も去られたというのは、大衆に受け入れられず、目上に忠実でなかったということでしょう。今あなたは、この者を並外れた士だと考えているようですが」。簡主は言った。「お前たちは分かっていない。美しい女は醜い女の仇であり、徳の盛んな士は乱れた世の中では疎まれる。正直な行いは、邪(よこしま)で歪んだ者たちに憎まれるものだ」。そして出て行って楊因に会い、そのまま彼に宰相の位を授けたところ、国は大いに治まった。これを見れば、身近な評判であれ遠くの評判であれ、人はうかつに鵜呑みにせず、よくよく見極めなければならないのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢趙の簡子河に游びて之を楽しみ、歎じて曰く、「安んぞ賢士を得て与に処らんや」と。舟人古乗跪きて対えて曰く、「夫れ珠玉は足無くして、此を去ること数千里なるに来たる能わる所以の者は、人之を好めばなり。今士は足有りて来たらざるは、此れ是れ吾が君之を好まざるか」と。趙の簡子曰く、「吾が門左右の客千人、朝食足らざれば、暮に市征を収め、暮食足らざれば、朝に市征を収む。吾尚お士を好まずと謂うべけんや」と。舟人古乗対えて曰く、「鴻鵠高く飛び遠く翔るは、其の恃む所の者六翮なり。背上の毛、腹下の毳は、尺寸の数無く、之を去りて把に満つとも、飛ぶこと之が為に益々卑しくなる能わず、之を益して把に満つとも、飛ぶこと之が為に益々高くなる能わず。知らず、門下左右の客千人なる者、六翮の用有りや、将た尽く毛毳ならんや」と。
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説苑・君道趙の簡子、欒激と遊び、将に河に沈まんとして曰く、「吾嘗て声色を好みしに、欒激之を致せり。吾嘗て宮室台榭を好みしに、欒激之を為せり。吾嘗て良馬善御を好みしに、欒激之を求めり。今吾士を好むこと六年、而れども欒激未だ嘗て一人を進めず、是れ吾が過ちを進めて吾が善を黜くるなり」と。
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説苑・復恩陽虎衛に罪を得て、北のかた簡子に見えて曰く、「今自り以来、復た人を樹てじ」と。簡子曰く、「何ぞや」と。陽虎対へて曰く、「夫れ堂上の人、臣の樹つる所の者半ばに過ぎたり、朝廷の吏、臣の立つる所の者も亦た半ばに過ぎたり、辺境の士、臣の立つる所の者も亦た半ばに過ぎたり。今夫れ堂上の人、親しく臣を君に郤け、朝廷の吏、親しく臣を衆に危くし、辺境の士、親しく臣を兵に劫かす」と。簡子曰く、「唯だ賢者のみ能く恩に報ゆ、不肖なる者は能はず。夫れ桃李を樹つる者は、夏に休息を得て、秋に食を得ん。蒺藜を樹つる者は、夏に休息を得ず、秋に其の刺を得ん。今子の樹つる所の者は、蒺藜なり、今自り以来、人を択びて樹て、已に樹てて而る後に択ぶこと毋かれ」と。
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説苑・尊賢宗衛斉に相たりしが、逐われて罷りて舎に帰るに遇う。門尉田饒等二十有七人を召して問いて曰く、「士大夫誰か能く我と諸侯に赴く者ぞ」と。田饒等皆伏して対えず。宗衛曰く、「何ぞ士大夫の得易くして用い難きや」と。饒対えて曰く、「士大夫の用い難きに非ず、是れ君の用うる能わざるなり」と。宗衛曰く、「士大夫を用うる能わざるとは何若」と。田饒対えて曰く、「厨中に臭肉有れば、則ち門下に死士無し。今夫れ三升の稷、士に足らずして、君の雁鶩は粟余り有り。紈素綺繍靡麗なり。堂楯風雨に従いて弊るるも、士曾て以て衣を縁る得ず。果園の梨栗、後宮の婦人摭いて以て相い擿つるも、士曾て一嘗する得ず。且つ夫れ財なる者は、君の軽んずる所なり。死なる者は士の重んずる所なり。君輕んずる所の財を用うる能わずして、士をして重んずる所の死を致さしめんと欲す、豈に難からずや」と。是に於いて宗衛面に慚色有り、逡巡して席を避けて謝して曰く、「此れ衛の過ちなり」と。
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呂氏春秋・達鬱⑤趙簡子曰く、「厥や我を愛し、鐸や我を愛せず。厥の我を諫むるや、必ず人無きの所に於いてす。鐸の我を諫むるや、喜んで我を人中に質し、必ず我をして醜ぢしむ。」尹鐸對えて曰く、「厥や君の醜ぢを愛しみて、君の過ちを愛しまざるなり。鐸や君の過ちを愛しみて、君の醜を愛しまざるなり。臣嘗て人を相ることを師に聞くに、敦顏にして土色なる者は醜を忍ぶ、と。君を人中に質さずんば、君の變ぜざらんことを恐るるなり。」此れ簡子の賢なり。人主賢なれば則ち人臣の言刻なり。簡子賢ならずんば、鐸や卒に趙の地に居らじ。有た況んや簡子の側に在るに乎てをや。
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説苑・臣術簡子に臣尹綽・赦厥有り。簡子曰く、「厥は我を愛して、我を諫むるに必ず衆人の中にせず。綽や我を愛せずして、我を諫むるに必ず衆人の中にす」と。尹綽曰く、「厥や君の丑を愛して君の過ちを愛せず。臣は君の過ちを愛して君の丑を愛せず」と。孔子曰く、「君子なるかな、尹綽、面訾して誉めざるなり」と。