説苑 / 善說
趙簡子攻陶,有二人先登,死於城上,簡子欲得之,陶君不與。承盆疽謂陶君曰:「簡子將掘君之墓,以與君之百姓市曰:『踰邑梯城者將赦之,不者將掘其墓,朽者揚其灰,未朽者辜其尸。』陶君懼,謂效二人之尸以為和。
新字:趙簡子攻陶,有二人先登,死於城上,簡子欲得之,陶君不与。承盆疽謂陶君曰:「簡子将掘君之墓,以与君之百姓市曰:『踰邑梯城者将赦之,不者将掘其墓,朽者揚其灰,未朽者辜其尸。』陶君懼,謂効二人之尸以為和。
書き下し
趙の簡子陶を攻む。二人有り先んじて登り、城上に死す。簡子之を得んと欲するも、陶君與えず。承盆疽陶君に謂いて曰く、「簡子將に君の墓を掘り、以て君の百姓と市せんとして曰わんとす、『邑を踰え城を梯る者は將に之を赦さんとす、然らずんば將に其の墓を掘り、朽ちたる者は其の灰を揚げ、未だ朽ちざる者は其の尸を辜せんとす。』」陶君懼れ、二人の尸を效して以て和を爲せりと謂う。
現代語訳
趙の簡子が陶の城を攻めた。二人の兵士が真っ先に城壁によじ登り、城の上で戦死した。簡子はその遺体を引き取りたいと望んだが、陶の君主は与えなかった。承盆疽が陶の君主に言った。『簡子は今にもあなたの先祖の墓を掘り起こし、それを材料にあなたの民に対してこう布告するでしょう。「城壁を乗り越え梯子をかけて攻め入る者は許してやる。さもなければ、あなたの先祖の墓を暴き、朽ちた遺骨は灰にして撒き散らし、まだ朽ちていない遺体はさらし者にするだろう」と。』陶の君主はこれを恐れ、二人の遺体を差し出して和議を結んだという。
解説
この一段は説得の場面というよりも、脅しが実際に機能する仕組みを描いた寓話的な逸話である。承盆疽が伝えたのは、簡子自身の言葉ではなく「簡子ならこう言うだろう」という想定にすぎないが、その想像だけで陶君は屈してしまった。恐怖に基づく交渉は、実際の行動より先に、相手に「もし従わなければ何が起こるか」を鮮明に想像させることで効果を発揮する。この逸話は、脅威そのものよりも脅威の描写のリアリティが人を動かすという交渉心理の一面を映し出しており、感情に訴える情報がいかに人の判断を左右するかを考えさせる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
脅迫心理戦交渉
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