説苑 / 善說
趙使人謂魏王曰:「為我殺范痤,吾請獻七十里之地。」魏王曰:「諾」。使吏捕之,圍而未殺。痤自上屋騎危,謂使者曰:「與其以死痤市,不如以生痤市,有如痤死,趙不與王地,則王奈何?故不若與定割地,然後殺痤。」魏王曰:「善」。痤因上書信陵君曰:「痤故魏之免相也。趙以地殺痤而魏王聽之,有如強秦亦將襲趙之欲,則君且奈何?」信陵君言於王而出之。
新字:趙使人謂魏王曰:「為我殺范痤,吾請献七十里之地。」魏王曰:「諾」。使吏捕之,囲而未殺。痤自上屋騎危,謂使者曰:「与其以死痤市,不如以生痤市,有如痤死,趙不与王地,則王奈何?故不若与定割地,然後殺痤。」魏王曰:「善」。痤因上書信陵君曰:「痤故魏之免相也。趙以地殺痤而魏王聴之,有如強秦亦将襲趙之欲,則君且奈何?」信陵君言於王而出之。
書き下し
趙、人をして魏王に謂わしめて曰く、「我が爲めに范痤を殺せ、吾請う七十里の地を獻ぜん。」魏王曰く、「諾。」吏をして之を捕えしめ、圍みて未だ殺さず。痤自ら屋に上り危きに騎りて、使者に謂いて曰く、「其の死せる痤を以て市するよりは、生ける痤を以て市するに如かず。如し痤死せば、趙王に地を與えざれば、則ち王奈何せん。故に地を割くを定むるに與えて、然る後に痤を殺すに若かず。」魏王曰く、「善し。」痤因りて信陵君に上書して曰く、「痤は故に魏の免相なり。趙、地を以て痤を殺さんとして魏王之を聽く、如し強秦も亦た將に趙の欲を襲わんとせば、則ち君且つ奈何せん。」信陵君王に言いて之を出だせり。
現代語訳
趙は使者を送って魏王に告げさせた。『私のために范痤を殺してくれれば、七十里の土地を献上しましょう。』魏王は『よろしい』と答えた。役人に命じて范痤を捕らえさせたが、包囲するだけでまだ殺してはいなかった。范痤は自ら屋根の上に登り、危うい瓦の上にまたがって、使者に言った。『死んだ范痤を取引材料にするより、生きた范痤を取引材料にする方がよい。もし私が死んでしまえば、趙が魏王に土地を与えなければ、王はどうなさるおつもりか。だから割譲地を確定させた上で、その後に私を殺すべきです。』魏王は『なるほど』と言った。范痤はそこで信陵君に上書して言った。『私はもと魏の宰相を免ぜられた者です。趙が土地を条件に私を殺そうとし、魏王がそれを聞き入れれば、もし強大な秦もまた趙のように欲しいものを求めて襲ってきたら、あなたはどうなさるおつもりですか。』信陵君は王に進言し、范痤を釈放させた。
解説

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戦国策・虞卿請趙王虞卿趙王に請いて曰わく、「人の情、寧ろ人を朝せしめんか、寧ろ人に朝せんか。」趙王曰わく、「人も亦寧ろ人を朝せしめんのみ、何の故にか寧ろ人に朝せん。」虞卿曰わく、「夫れ魏は従主為るも、違う者は范座なり。今王能く百里の地、万戸の都を以て、范座を魏に殺さんことを請わば、范座死せば、則ち従事趙に移すべし。」趙王曰わく、「善し。」乃ち人をして百里の地を以て、范座を魏に殺さんことを請わしむ。魏王許諾し、司徒をして范座を執えしむるも、未だ殺さず。范座書を魏王に献じて曰わく、「臣聞く、趙王百里の地を以て、座の身を殺さんことを請うと。夫れ無罪の范座を殺すは、座の故薄ければなり。而して百里の地を得るは、大利なり。臣竊かに大王の為に之を美とす。然りと雖も、一有り、百里の地得べからずして、死せる者は復た生くべからざれば、則ち主必ず天下の笑いと為らん。臣竊かに以為えらく、死人を以て市するよりは、生人を以て市せしむるに若かず、と。」又其の後の相信陵君に書を遺りて曰わく、「夫れ趙・魏は敵戦の国なり。趙王咫尺の書を以て来たるに、魏王軽々しく之が為に無罪の座を殺す、座不肖と雖も、故に魏の相を免ぜられて望まる。嘗て魏の故を以て、罪を趙に得たり。夫れ国内に用うべき臣無くば、外地を得と雖も、勢い守る能わず。然れども今能く魏を守る者は、君に若くは莫し。王趙の座を殺すを聴くの後、強秦趙を襲うの欲、趙の割くに倍せば、則ち君将に何を以て之を止めんとするか。此れ君の累なり。」信陵君曰わく、「善し。」遽かに之を王に言いて之を出だす。
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史記 魏世家痤因りて書を信陵君に上りて曰く、『痤は、故の魏の免相なり。趙地を以て痤を殺さんとして魏王之を聴く。如し彊秦も亦将に趙の欲を襲はんとすること有らば、則ち君且に奈何せんとする』と。信陵君王に言ひて之を出だす。魏王、秦の救ひし故を以て、秦に親しみて韓を伐ち、以て故地を求めんと欲す。無忌魏王に謂ひて曰く、秦は戎翟と俗を同じくし、虎狼の心有り。貪戾にして利を好み信無く、礼義徳行を識らず。苟くも利有らば、親戚兄弟をも顧みず。禽獣の若きのみ。此れ天下の識る所なり。厚きを施し徳を積む所有るに非ざるなり。故に太后は母なるも、而も憂ひを以て死し、穣侯は舅なり、功焉より大なるは莫きも、而も竟に之を逐ふ。両弟罪無きも、而も再び之が国を奪ふ。此れ親戚に於て此の若し。而るを況んや仇讎の国に於てをや。今王秦と共に韓を伐ちて益々秦の患ひに近づく。臣甚だ之に惑ふ。而るに王識らずんば則ち明ならず、群臣以て聞する莫くんば則ち忠ならず。今韓氏は一女子を以て一弱主を奉じ、内に大乱有り、外に彊き秦・魏の兵と交はる。王以て亡びずと為すか。韓亡びて、秦鄭の地を有ち、大梁・鄴と与にせば、王以て安しと為すか。王故地を得んと欲し、今彊秦の親しみを負ふ。王以て利と為すか。秦は無事の国に非ざるなり。韓亡びし後、必ず将に更に事とせんとす。更に事とすれば必ず易きと利とに就く。易きと利とに就けば必ず楚と趙とを伐たざらん。是れ何ぞや。夫れ山を越え河を踰え、韓の上党を絶ちて彊趙を攻むるは、是れ閼与の事を復するなり。秦必ず為さず。若し河内に道し、鄴・朝歌を倍にし、漳・滏の水を絶ちて、趙の兵と邯鄲の郊に決するは、是れ知伯の禍なり。秦又敢へてせず。楚を伐つには、渉谷に道し、行くこと三千里にして、冥阸の塞を攻む。行く所甚だ遠く、攻むる所甚だ難し。秦又為さざるなり。
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史記 魏世家魏桓子韓康子を肘き、韓康子魏桓子を履む。肘足車上に接して、知氏地分れ、身死し国亡び、天下の笑ひと為る。今秦の兵彊しと雖も、知氏に過ぐること能はず。韓・魏弱しと雖も、尚ほ其の晋陽の下に在りしときより賢れり。此れ方に其の肘足を用ふるの時なり。願はくは王の易ること勿からんことを』と。是に於て秦王恐る。斉・楚相約して魏を攻む。魏人をして救ひを秦に求めしむ。冠蓋相望めども、秦の救ひ至らず。魏人に唐雎なる者有り。年九十余なり。魏王に謂ひて曰く、『老臣請ふ西のかた秦王に説き、兵をして臣に先だちて出でしめん』と。魏王再拝し、遂に車を約して之を遣る。唐雎到り、入りて秦王に見ゆ。秦王曰く、『丈人芒然として乃ち遠く此に至る。甚だ苦しめり。夫れ魏の来りて救ひを求むること数々なり。寡人魏の急を知れり』と。唐雎対へて曰く、『大王已に魏の急を知りて救ひ発せざる者は、臣窃かに以為へらく策を用ふるの臣任無しと。夫れ魏は一万乗の国なり。然れども西面して秦に事へ、東藩と称し、冠帯を受け、春秋に祠る所以の者は、秦の彊き以て与と為すに足るを以てなり。今斉・楚の兵已に魏の郊に合す。而るに秦の救ひ発せざるは、亦将に其の未だ急ならざるを頼まんとするなり。之をして大いに急ならしめば、彼且に地を割きて従を約せんとす。王尚ほ何をか救はん。必ず其の急なるを待ちて之を救はば、是れ一東藩の魏を失ひて二敵の斉・楚を彊くす。則ち王何の利かあらん』と。是に於て秦の昭王遽かに為に兵を発して魏を救ふ。魏氏復た定まる。趙人をして魏王に謂はしめて曰く、『我が為に范痤を殺さば、吾請ふ七十里の地を献ぜん』と。魏王曰く、『諾』と。吏をして之を捕へしむ。囲みて未だ殺さず。痤因りて屋に上りて危に騎り、使者に謂ひて曰く、『其の死痤を以て市せんよりは、生痤を以て市するに如かず。如し痤死して、趙王に地を予へずんば、則ち王将に奈何せんとす。故に先づ与に割地を定め、然る後に痤を殺すに若かず』と。魏王曰く、『善し』と。
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戦国策・秦攻魏急秦、魏を攻むること急なり。或るひと魏王に謂いて曰く、「之を棄つるは之を用うるの易きに如かず、之に死するは之を棄つるの易きに如かず。之を棄つること能いて之を用うること能わず、之に死すること能いて之を棄つること能わざるは、此れ人の大過なり。今、王地を亡うこと数百里、城を亡うこと数十、而して国患解けず、是れ王之を棄つるにして、之を用うるに非ざるなり。今、秦の強きや、天下敵無く、而して魏の弱きや甚だし、而るに王是を以て秦に質す、王又た死すること能いて之を棄つること能わず、此れ重過なり。今、王能く臣の計を用いば、地を虧くも国を傷つくるに足らず、体を卑くするも身を苦しむるに足らず、患を解きて怨みに報いん。秦、四境の内より、執法以下、長輓に至る者まで、故に畢く曰く、『嫪氏に与せんか、呂氏に与せんか』と。門閭の下、廊廟の上に至ると雖も、猶お之くのごとし。今、王地を割きて以て秦に賂い、以て嫪毐の功と為し、体を卑くして秦を尊び、以て嫪毐に因る。王国を以て嫪毐を贊くれば、嫪毐を以て勝てり。王国を以て嫪氏を贊くれば、太后の王を徳とするや、骨髄より深く、王の交わり最も天下の上と為らん。秦・魏百たび相交わり、百たび相欺く。今、嫪氏の秦に善くするに由りて交わり天下の上と為らば、天下孰か呂氏を棄てて嫪氏に従わざらんや。天下必ず呂氏を合して嫪氏に従わば、則ち王の怨み報いられん。」
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史記 范雎蔡沢列伝范君の仇は君の家に在り、願はくは人をして帰りてその頭を取りて来たらしめよ。然らずんば、吾君を関より出ださず」と。平原君曰く、「貴くして交はりを為すは、賤しきが為なり。富みて交はりを為すは、貧しきが為なり。夫れ魏斉は勝の友なり、在るとも固より出ださざるなり、今また臣の所に在らず」と。昭王乃ち趙王に書を遺りて曰く、「王の弟秦に在り、范君の仇魏斉は平原君の家に在り。王、人をして疾くその頭を持ちて来たらしめよ。然らずんば、吾兵を挙げて趙を伐ち、また王の弟を関より出ださず」と。趙の孝成王乃ち卒を発して平原君の家を囲む。急なり、魏斉夜亡げ出で、趙の相虞卿に見ゆ。虞卿度るに趙王は終に説くべからず、乃ちその相印を解き、魏斉と亡げ、閒行し、諸侯の以て急に抵るべき者莫きを念ひ、乃ちまた大梁に走り、信陵君に因りて以て楚に走らんと欲す。信陵君これを聞き、秦を畏れ、猶予して未だ見ゆるを肯んぜずして曰く、「虞卿は何如なる人ぞ」と。時に侯嬴旁らに在りて曰く、「人は固より未だ知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり。夫れ虞卿は屩を躡み簦を檐ひ、一たび趙王に見えて、白璧一双・黄金百鎰を賜はる。再び見えて、拝して上卿と為る。三たび見えて、卒に相印を受け、万戸侯に封ぜらる。此の時に当たりて、天下争ひてこれを知る。夫れ魏斉は窮困して虞卿に過る、虞卿は敢へて爵禄の尊きを重んぜず、相印を解き、万戸侯を捐てて閒行す。士の窮に急にして公子に帰す、公子曰く『何如なる人ぞ』と。人は固より知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり」と。信陵君大いに慚ぢ、駕して野に如きてこれを迎ふ。魏斉、信陵君の初めこれに見ゆるを難るを聞き、怒りて自剄す。趙王これを聞き、卒にその頭を取りて秦に予ふ。秦の昭王乃ち平原君を出だして趙に帰す。昭王の四十三年、秦韓の汾陘を攻め、これを抜き、因りて河上の広武に城く。後五年、昭王、応侯の謀を用ひ、反閒を縦にして趙を売る。趙その故を以て、馬服子をして廉頗に代はりて将たらしむ。
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戦国策・秦將伐魏秦将に魏を伐たんとす。魏王之を聞き、夜孟嘗君に見(まみ)え、之に告げて曰く、「秦且に魏を攻めんとす、子寡人の為に謀れ、奈何(いかん)せん」と。孟嘗君曰く、「諸侯の救い有らば、則ち国存す可し」と。王曰く、「寡人子の行かんことを願う」と。重ねて之が為に車百乗を約す。孟嘗君趙に之(ゆ)き、趙王に謂いて曰く、「文兵を借りて以て魏を救わんことを願う」と。趙王曰く、「寡人能わず」と。孟嘗君曰く、「夫れ敢えて兵を借るる者は、以て王に忠なればなり」と。王曰く、「聞くを得可きか」と。孟嘗君曰く、「夫れ趙の兵は、能く魏の兵より彊(つよ)きに非ず、魏の兵は、能く趙より弱きに非ず。然れども趙の地歳(とし)ごとに危うからずして、民歳ごとに死せず、而して魏の地歳ごとに危うくして、民歳ごとに死する者は、何ぞや。其の西のかた趙の蔽(へい)為ればなり。今趙魏を救わず、魏秦に歃盟(さつめい)せば、是れ趙強秦と界を為すなり、地も亦た且に歳ごとに危うからんとし、民も亦た且に歳ごとに死せんとす。此れ文の大王に忠なる所以なり」と。趙王許諾し、之が為に兵十万、車三百乗を起こす。又北のかた燕王に見えて曰く、「先日公子常に両王の交わりを約せり。今秦且に魏を攻めんとす、願わくは大王の之を救わんことを」と。燕王曰く、「吾歳熟せざること二年なり、今又数千里を行きて以て魏を助くれば、且つ奈何せん」と。田文曰く、「夫れ数千里を行きて人を救う者は、此れ国の利なり。今魏王国門を出でて軍を望見せば、数千里を行きて人を助けんと欲すと雖も、得可けんや」と。燕王尚お未だ許さず。田文曰く、「臣便計を王に効すも、王臣の忠計を用いずんば、文行かんことを請う。天下の将に大変有らんことを恐る」と。王曰く、「大変聞くを得可きか」と。曰く、「秦魏を攻めて未だ之に克つ能わざるなり、而して台已に燔(や)かれ、游已に奪わる。而して燕魏を救わずんば、魏王節を折りて地を割き、国の半ばを以て秦に与えん、秦必ず去らん。秦已に魏を去らば、魏王悉く韓・魏の兵をあげ、又西のかた秦兵を借り、趙の衆に因り、四国を以て燕を攻めば、王且に何をか利とせん。数千里を行きて人を助くるを利とせんか、燕の南門を出でて軍を望見するを利とせんか。則ち道里近くして輸(ゆ)も又易し、王何をか利とせん」と。燕王曰く、「子行け、寡人子に聴かん」と。乃ち之が為に兵八万、車二百乗を起こし、以て田文に従わしむ。魏王大いに説(よろこ)びて曰く、「君燕・趙の兵を得ること甚だ衆(おお)くして且つ亟(すみ)やかなり」と。秦王大いに恐れ、地を割きて魏に講ぜんことを請う。因りて燕・趙の兵を帰し、田文を封ず。