戦国策 / 秦攻韓圍陘
秦攻韓,圍陘。范睢謂秦昭王曰:「有攻人者,有攻地者。穰侯十攻魏而不得傷者,非秦弱而魏強也,其所攻者,地也。地者,人主所甚愛也。人主者,人臣之所樂為死也。攻人主之所愛,與樂死者鬥,故十攻而弗能勝也。今王將攻韓圍陘,臣願王之毋獨攻其地,而攻其人也。王攻韓圍陘,以張儀為言。張儀之力多,且削地而以自贖於王,幾割地而韓不盡;張儀之力少,則王逐張儀,而更與不如張儀者市。則王之所求於韓者,言可得也。」
新字:秦攻韓,囲陘。范睢謂秦昭王曰:「有攻人者,有攻地者。穰侯十攻魏而不得傷者,非秦弱而魏強也,其所攻者,地也。地者,人主所甚愛也。人主者,人臣之所楽為死也。攻人主之所愛,与楽死者鬥,故十攻而弗能勝也。今王将攻韓囲陘,臣願王之毋独攻其地,而攻其人也。王攻韓囲陘,以張儀為言。張儀之力多,且削地而以自贖於王,幾割地而韓不尽;張儀之力少,則王逐張儀,而更与不如張儀者市。則王之所求於韓者,言可得也。」
書き下し
秦韓を攻め、陘を圍む。范睢秦昭王に謂ひて曰く、「人を攻むる者有り、地を攻むる者有り。穰侯十たび魏を攻めて傷つくるを得ざる者は、秦弱くして魏強きに非ざるなり、其の攻むる所の者、地なればなり。地なる者は、人主の甚だ愛する所なり。人主なる者は、人臣の樂しみて死する所なり。人主の愛する所を攻め、樂しみて死する者と鬥へば、故に十たび攻めて勝つ能はざるなり。今王將に韓を攻めて陘を圍まんとす、臣願はくは王の獨り其の地を攻めずして、其の人を攻めんことを。王韓を攻め陘を圍むに、張儀を以て言と爲せ。張儀の力多くんば、且つ地を削りて以て自ら王に贖ひ、幾んど地を割きて韓盡きざらん。張儀の力少なくんば、則ち王張儀を逐ひ、更に張儀に如かざる者と市せよ。則ち王の韓に求むる所の者、言ひて得可きなり。」
現代語訳
秦が韓を攻め、陘の地を包囲した。范雎は秦の昭王に言った。「人を攻める攻め方があり、土地を攻める攻め方があります。穰侯が十回にわたって魏を攻めても大きな損害を与えられなかったのは、秦が弱く魏が強かったからではなく、攻めた対象が土地だったからです。土地というものは、君主が非常に大切にするものです。それに対して君主というものは、臣下が喜んで命を捧げる対象です。君主が大切にするもの(土地)を攻めれば、喜んで命を捧げる臣下たちと戦うことになるので、十回攻めても勝つことができないのです。今、王はまさに韓を攻めて陘を包囲しようとしていますが、私が願うのは、王が土地だけを攻めるのではなく、その人を攻めることです。王が韓を攻めて陘を包囲する際には、韓側の実力者(張儀に相当する人物)を交渉の窓口とすべきです。その人物の力が強ければ、彼は自ら土地を削って王への贖いとし、ほとんどの土地を割いても韓は屈しないままで済むでしょう。その人物の力が弱ければ、王はその者を退けて、さらに力の劣る者と交渉すればよいのです。そうすれば、王が韓に求めるものは、言葉のやり取りだけで得られるでしょう。」
解説
この章句が説くこと
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史記 仲尼弟子列伝田常、斉に乱を作さんと欲するも、高・国・鮑・晏を憚り、故に其の兵を移して以て魯を伐たんと欲す。孔子之を聞き、門弟子に謂ひて曰く、「夫れ魯は墳墓の処る所、父母の国なり。国危きこと此くの如し、二三子何為れぞ出づる莫き」と。子貢行かんことを請ひ、孔子之を許す。遂に行きて斉に至り、田常に説きて曰く、「君の魯を伐つは過てり。夫れ魯は伐ち難き国なり、其の君は愚にして不仁、大臣は偽りて用無く、士民は甲兵の事を悪む、此れ与に戦ふ可からず。君は呉を伐つに如かず。呉は城高く地広く、甲堅く士選ばれ、此れ伐ち易きなり」と。田常忿然として色を作す。子貢曰く、「憂ひ内に在る者は彊きを攻め、憂ひ外に在る者は弱きを攻む。今君は憂ひ内に在り。魯を破りて以て斉を広め、戦ひ勝ちて以て主を驕らせ、国を破りて以て臣を尊くするも、君の功は与らざれば、則ち交々日に主に疏んぜられん。故に曰く呉を伐つに如かず、と。呉を伐ちて勝たずんば、民人外に死し、大臣内に空しく、孤主にして斉を制する者は唯君のみ」と。田常曰く、「善し。然り而れども吾が兵業已に魯に加はれり、去りて呉に之かば、大臣我を疑はん、奈何」と。子貢曰く、「君兵を按じて伐つ無かれ、臣請ふ往きて呉王に使ひし、之をして魯を救ひて斉を伐たしめ、君因りて兵を以て之を迎へよ」と。田常許す。
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戦国策・齊令周最使鄭齊、周最をして鄭に使いせしめ、韓擾を立てて公叔を廢せしむ。周最之を患いて曰く、「公叔の周君と交わるや、我をして鄭に使いせしめ、韓擾を立てて公叔を廢せしむ。語に曰く、『室に怒りて色を市に』と。今公叔齊を怨むも、柰何ともする無く、必ず周君にして深く我を怨まん。」史舍曰く、「公行け、請う公叔をして必ず公を重んぜしめん。」周最行きて鄭に至るや、公叔大いに怒る。史舍入りて見えて曰く、「周最固より來使を欲せず、臣竊かに之を強いたり。周最來るを欲せざるは、公の為なり。臣の之を強いたるも、亦公の為なり。」公叔曰く、「請う其の說を聞かん。」對えて曰く、「齊の大夫諸子に犬有り、犬猛くして叱る可からず、之を叱れば必ず人を噬まん。客に之を叱らんと請う者有り、疾視して徐ろに之を叱るに、犬動かず。復た之を叱れば、犬遂に人を噬むの心無し。今周最固より足下に事うるを得たれど、已むを得ざるの故を以て來使す。彼將に禮もて其の辭を陳べ、其の言を緩くせんとす。鄭王必ず齊王を以て急ならずと為し、必ず許さざらん。今周最來らざれば、他人必ず來らん。來る使者公に交わり無くして、韓擾に德あらしめんと欲せば、其の之を使わすや必ず疾く、之を言うや必ず急なれば、則ち鄭王必ず之を許さん。」公叔曰く、「善し。」遂に周最を重んず。王果たして韓擾を許さず。
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『韓非子』說難第十二凡そ説の難きは、説く所の心を知り、吾が説を以て之に當つ可きに在り。
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『韓非子』說林上二十二今子は美にして我は悪し。...子我が舍人と為るに如かず。...逆旅の君、之を待つこと甚だ敬して、因て酒肉を獻ず。
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葉隠・聞書第二相手の気質を呑込んで会釈し、議論しても遺恨を残さぬ人に出会い候時は、その人の気質を早く呑込み、それぞれに応じて会釈あるべき事なり。その内、理堅く強勢の人には随分折れて取合い、角立たぬ様にして、間に相手になる上手(じょうず)の理を以て言い伏せ、その後は少しも遺恨を残さぬようにあるべし。これは胸の働き、詞(ことば)の働きなり。何某(なにがし)へ和尚出会の意見、口達(こうたつ)あり。
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戦国策・秦攻魏取寧邑秦、魏を攻めて寧邑を取り、諸侯皆賀す。趙王往きて賀せしむるも、三たび反りて通ずるを得ず。趙王之を憂い、左右に謂いて曰わく、「秦の強きを以て、寧邑を得て、以て斉・趙を制す。諸侯皆賀するに、吾往きて賀すれど独り通ずるを得ず、此れ必ず我に兵を加えん、之を為すこと奈何せん。」左右曰わく、「使者三たび往きて通ずるを得ざる者は、必ず使う所の者其の人に非ざればなり。諒毅なる者は、弁士なり、大王試みに之を使うべし。」諒毅親しく命を受けて往く。秦に至り、書を秦王に献じて曰わく、「大王地を寧邑に広げ、諸侯皆賀す、敝邑の寡君も亦竊かに之を嘉し、敢えて寧居せず、下臣をして其の幣物を奉じて三たび王廷に至らしむるも、使い通ずるを得ず。使いに若し罪無くば、願わくは大王其の歓を絶つこと無かれ。若し使いに罪有らば、願わくは之を請わん。」秦王使者をして報ぜしめて曰わく、「吾が趙国に使わす所の者、小大皆吾が言を聴かば、則ち書幣を受けん。若し吾が言に従わずんば、則ち使者帰らん。」諒毅対えて曰わく、「下臣の来たるは、固より大国の意を承けんことを願うなり、豈に敢えて難むこと有らんや。大王若し以て之に令する有らば、請う奉じて之を西行せん、敢えて疑う所無し。」是に於いて秦王乃ち使者に見えて曰わく、「趙豹・平原君、数(しばしば)寡人を欺弄す。趙能く此の二人を殺さば、則ち可なり。若し殺す能わずんば、請う今諸侯を率いて命を邯鄲城下に受けん。」諒毅曰わく、「趙豹・平原君は、親しく寡君の母弟なり、猶お大王の葉陽・涇陽君有るがごとし。大王孝を以て天下に治まると聞こゆ、衣服は之をして体に便ならしめ、膳啗は之をして口に嗛(あ)からしめ、未だ嘗て葉陽・涇陽君に分かたずんばあらず。葉陽君・涇陽君の車馬衣服は、大王の服御に非ざる無し。臣之を聞く、『巣を覆し卵を毀(こぼ)つ有れば、鳳皇翔(かけ)らず。胎を刳(えぐ)り夭を焚けば、騏驎至らず』と。今臣をして大王の令を受けて以て還り報ぜしめば、敝邑の君、畏懼して敢えて行わずんばあらず、乃ち葉陽君・涇陽君の心を傷つくること無からんや。」秦王曰わく、「諾。政に従わしむること勿からしめよ。」諒毅曰わく、「敝邑の君、母弟の教誨する能わざる有りて、以て大国を悪ましむ、請う之を黜(しりぞ)け、政事に与らしむること勿からしめ、以て大国に称(かな)わしめん。」秦王乃ち喜び、其の幣を受けて之を厚遇す。