説苑 / 敬慎
孔子見羅者,其所得者皆黃口也,孔子曰:「黃口盡得,大爵獨不得,何也?」羅者對曰:「黃口從大爵者不得,大爵從黃口者可得。」孔子顧謂弟子曰:「君子慎所從,不得其人則有羅網之患。」
新字:孔子見羅者,其所得者皆黄口也,孔子曰:「黄口尽得,大爵独不得,何也?」羅者対曰:「黄口従大爵者不得,大爵従黄口者可得。」孔子顧謂弟子曰:「君子慎所従,不得其人則有羅網之患。」
書き下し
孔子羅者を見るに、其の得る所の者は皆黄口なり。孔子曰わく、「黄口尽く得られて、大爵独り得られざるは、何ぞや」と。羅者対えて曰わく、「黄口の大爵に従う者は得られず、大爵の黄口に従う者は得べし」と。孔子顧みて弟子に謂いて曰わく、「君子は従う所を慎め、其の人を得ざれば則ち羅網の患い有り」と。
現代語訳
孔子が鳥を網で捕らえる者を見ると、その捕らえた獲物は皆、黄色い嘴の若鳥ばかりであった。孔子は言った、「若鳥ばかりが皆捕らえられて、大きな鳥だけが捕らえられないのはなぜか」と。網打ちは答えて言った、「若鳥が大きな鳥について行く場合は捕らえられませんが、大きな鳥が若鳥について行く場合は捕らえられるのです」と。孔子は振り返って弟子たちに言った、「君子は誰について行くかを慎まなければならない。ふさわしい人を得られなければ、網にかかる患いに遭うことになる」と。
解説
この短い逸話は、若く経験の浅い者(黄口)が経験豊かな者(大爵)について行けば安全だが、逆に経験豊かな者が未熟な者に引きずられれば危険に陥るという、単純だが本質を突いた観察から成り立っている。孔子はここから君子慎所従、すなわち誰に従い誰と行動を共にするかという選択そのものが、身の安全や成否を大きく左右するという教訓を導き出す。組織においても、経験や実力のある人物が、判断を誤った若手や未熟な方針に引きずられて共倒れになる例は少なくなく、誰についていくか、誰と歩調を合わせるかという判断は、能力そのもの以上に重要な生存戦略となり得る。
この章句が説くこと
君子慎所従黄口と大爵追随先の見極め
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