呂氏春秋 / 遇合①
凡遇,合也。時不合,必待合而後行。故比翼之鳥死乎木,比目之魚死乎海。孔子周流海內,再干世主,如齊至衛,所見八十餘君,委質為弟子者三千人,達徒七十人,七十人者,萬乘之主得一人用可為師,不為無人,以此游僅至於魯司寇,此天子之所以時絕也,諸侯之所以大亂也。亂則愚者之多幸也,幸則必不勝其任矣。任久不勝,則幸反為禍。其幸大者,其禍亦大,非禍獨及己也。故君子不處幸,不為苟,必審諸己然後任,任然後動。
新字:凡遇,合也。時不合,必待合而後行。故比翼之鳥死乎木,比目之魚死乎海。孔子周流海内,再干世主,如斉至衛,所見八十余君,委質為弟子者三千人,達徒七十人,七十人者,万乗之主得一人用可為師,不為無人,以此游僅至於魯司寇,此天子之所以時絶也,諸侯之所以大乱也。乱則愚者之多幸也,幸則必不勝其任矣。任久不勝,則幸反為禍。其幸大者,其禍亦大,非禍独及己也。故君子不処幸,不為苟,必審諸己然後任,任然後動。
書き下し
凡そ遇は、合なり。時に合わざれば、必ず合うを待ちて、而る後行わる。故に比翼の鳥は木に死し、比目の魚は海に死す。孔子海内を周流し、再く世主に干め、齊に如き衛に至る、見ゆる所八十餘君、質を委して弟子為る者三千人、達徒七十人。七十人なる者は、萬乘の主、一人だに得れば用て師為る可し、人無しと為さず。此を以て游ぶも僅かに魯の司寇に至るのみ。此れ天子の時に絶ゆる所以にして、諸侯の大いに亂るる所以なり。亂るれば則ち愚者之れ多く幸せられ、幸せらるれば則ち必ず其の任に勝えず。任久しくして勝えざれば、則ち幸反って禍いと為る。其の幸の大なる者は、其の禍も亦た大なり。禍い獨り己に及ぶのみに非ざるなり。故に君子は幸に處らず、苟を為さず。必ず諸を己に審らかにして、然る後任じ、任じて然る後動く。
現代語訳
そもそも遇とは合うことである。時機が合わなければ、必ず合うのを待ってはじめて事が行われる。だから比翼の鳥は連れ合いに合わずに木で死に、比目の魚も海で死ぬ。孔子は天下を周遊し、あまねく諸侯に用いられようとし、斉へ行き衛に至り、会った君主は八十余人、弟子入りした者は三千人、道に通じた者は七十人。この七十人は、大国の君主が一人でも得れば師とできるほどで、人材がいなかったわけではない。それなのに孔子は周遊してもわずかに魯の司寇になっただけだ。これは聖人を用いる天子が絶えていたためであり、諸侯が大いに乱れていたためである。乱れれば愚者が多く幸運で登用され、登用されれば必ずその任に堪えられない。任について長く堪えられなければ、幸運はかえって禍となる。幸運の大きい者ほど禍も大きく、しかも禍は自分だけに及ぶのではない。だから君子は僥倖に頼らず、その場しのぎの迎合をしない。必ず自分に問うて確かめ、そのうえで任につき、任について動くのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、夫子南容を謂ふ、邦道無きときは刑戮を免ると。又曰く、愚にして自ら用ふることを好み、賤にして自ら専らにすることを好み、今の世に生まれて古の道に反る、此くのごとき者は、烖其の身に及ぶ者なりと。又桓司馬の難に遭ひて、微服して宋を過ぐ。夫子何ぞ難を畏るるの甚だしきや。曰く、一木を以て大厦の倒るるを支ふるは、君子為さず。是の故に、甯武子の愚を以て、及ぶべからずと為し、蘧伯玉の巻いて之を懐にするを以て、君子と為す。是れを実智と為し、是れを実徳と為す。浅見謏聞の能く窺測する所に非ざるなり。子夏曰く、君子は信ぜられて而る後に諫む。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を謗ると為すと。亦是の意なり。上表して憲宗の怒りに遭ひ、面りに韓侂胄の奸を発す。皆己に損有りて、天下に益無し。智者は強ひて為さず、徳有る者は自ら為さず。夫の後漢の党錮の諸人に至つては、其の禍最も甚だし。皆学問を主張することを知りて、君子の大道を知らざるに由るが故なり。宋儒中庸の明哲保身の旨を謬解して、害を善類に貽すこと甚だ大なり。方孝孺の永楽に在る、李東陽等の正徳に在る、是れのみ。謹まざるべけんや。
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『文武訓』武訓下聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔なからん者には我くみせじ、必ず事にのぞんでおそれ。謀を好んでなさんものなりとのたまへり。伍子胥が父兄の仇を報ぜしも、身を全うして呉王につかへ、呉国の力をかりしなり。若伍子胥も、敵身方の勢をはからずして、押しよせて父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意を遂げんや。張良が韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をかりてこそ、秦楚をば亡ぼしけれ。打つべき時ありてうたざらんは、まことにおこたりといふべし。工藤祐経は、家富み郎徒多くして用心をなす。祐成、時宗、単身にて即時に押寄せたらば、などか敵を打ちすますべき、只犬死をこそせめ。されば義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし説、さらに理にかなへりともおもほえず。われかつて曽我記の序において、此事を詳に論ぜり。
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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史記 魏世家魏桓子韓康子を肘き、韓康子魏桓子を履む。肘足車上に接して、知氏地分れ、身死し国亡び、天下の笑ひと為る。今秦の兵彊しと雖も、知氏に過ぐること能はず。韓・魏弱しと雖も、尚ほ其の晋陽の下に在りしときより賢れり。此れ方に其の肘足を用ふるの時なり。願はくは王の易ること勿からんことを』と。是に於て秦王恐る。斉・楚相約して魏を攻む。魏人をして救ひを秦に求めしむ。冠蓋相望めども、秦の救ひ至らず。魏人に唐雎なる者有り。年九十余なり。魏王に謂ひて曰く、『老臣請ふ西のかた秦王に説き、兵をして臣に先だちて出でしめん』と。魏王再拝し、遂に車を約して之を遣る。唐雎到り、入りて秦王に見ゆ。秦王曰く、『丈人芒然として乃ち遠く此に至る。甚だ苦しめり。夫れ魏の来りて救ひを求むること数々なり。寡人魏の急を知れり』と。唐雎対へて曰く、『大王已に魏の急を知りて救ひ発せざる者は、臣窃かに以為へらく策を用ふるの臣任無しと。夫れ魏は一万乗の国なり。然れども西面して秦に事へ、東藩と称し、冠帯を受け、春秋に祠る所以の者は、秦の彊き以て与と為すに足るを以てなり。今斉・楚の兵已に魏の郊に合す。而るに秦の救ひ発せざるは、亦将に其の未だ急ならざるを頼まんとするなり。之をして大いに急ならしめば、彼且に地を割きて従を約せんとす。王尚ほ何をか救はん。必ず其の急なるを待ちて之を救はば、是れ一東藩の魏を失ひて二敵の斉・楚を彊くす。則ち王何の利かあらん』と。是に於て秦の昭王遽かに為に兵を発して魏を救ふ。魏氏復た定まる。趙人をして魏王に謂はしめて曰く、『我が為に范痤を殺さば、吾請ふ七十里の地を献ぜん』と。魏王曰く、『諾』と。吏をして之を捕へしむ。囲みて未だ殺さず。痤因りて屋に上りて危に騎り、使者に謂ひて曰く、『其の死痤を以て市せんよりは、生痤を以て市するに如かず。如し痤死して、趙王に地を予へずんば、則ち王将に奈何せんとす。故に先づ与に割地を定め、然る後に痤を殺すに若かず』と。魏王曰く、『善し』と。
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言志四録・言志録 第百八十二条 幾の至るを候つ処し難きの事に遇はば、妄動するを得ず。須らく幾の至るを候ちて之に応ずべし。
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『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。

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