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説苑 / 敬慎

子贛之承,或在塗,見道側巾幣布擁蒙而衣衰,其名曰丹綽。子贛問焉,曰:「此至承幾何?」嘿然不對。子贛曰:「人問乎己而不應,何也?」屏其擁蒙而言曰:「望而黷人者,仁乎?睹而不識者,智乎?輕侮人者,義乎?」子贛下車曰:「賜不仁,過聞三言,可復聞乎?」曰:「是足於子矣,吾不告子。」於是子贛三偶則式,五偶則下。

新字:子贛之承,或在塗,見道側巾幣布擁蒙而衣衰,其名曰丹綽。子贛問焉,曰:「此至承幾何?」嘿然不対。子贛曰:「人問乎己而不応,何也?」屏其擁蒙而言曰:「望而黷人者,仁乎?睹而不識者,智乎?軽侮人者,義乎?」子贛下車曰:「賜不仁,過聞三言,可復聞乎?」曰:「是足於子矣,吾不告子。」於是子贛三偶則式,五偶則下。

書き下し

子贛の承、或いは塗に在り、道側に巾幣布擁蒙して衰を衣たる者を見る。其の名を丹綽と曰う。子贛問いて曰わく、「此れ承に至ること幾何ぞ」と。嘿然として対えず。子贛曰わく、「人己に問いて応ぜざるは、何ぞや」と。其の擁蒙を屏けて言いて曰わく、「望みて人を黷す者は、仁ならんや。睹て識らざる者は、智ならんや。人を軽侮する者は、義ならんや」と。子贛車を下りて曰わく、「賜不仁なり、過ちて三言を聞く、復た聞くべきか」と。曰わく、「是れ子に於て足れり、吾子に告げず」と。是に於て子贛三たび偶えば則ち式し、五たび偶えば則ち下る。

現代語訳

子贛が(魯の)大夫として赴任する途中、道端で頭巾と粗末な布をかぶり、喪服を着た人物を見かけた。その名は丹綽といった。子贛は尋ねた、「この身なりで大夫の職に至るまで、どれほどかかったのか」と。相手は黙って答えなかった。子贛は言った、「人が尋ねているのに応じないのはなぜか」と。相手は頭巾を少しめくって言った、「一目見ただけで軽々しく人を判断するのは、仁と言えるでしょうか。見た目だけで相手を知ろうとしないのは、智と言えるでしょうか。人を侮り軽んじるのは、義と言えるでしょうか」と。子贛は車から下りて言った、「私(賜)は不仁でした。過って三つの言葉を聞かせていただきました。もう一度お聞かせいただけますか」と。相手は言った、「これだけであなたには十分でしょう。これ以上は申し上げません」と。それ以来、子贛は身なりの粗末な人物に三度出会えば式(車上で会釈)をし、五度出会えば車を下りるようになった。

解説

見た目が粗末だからといって軽々しく声をかけ品定めしようとした子贛は、相手からの寡黙な三つの問いかけ、一目で判断することは仁か、見た目だけで知ろうとしないのは智か、人を侮ることは義か、によって自らの浅はかさを気づかされる。相手が具体的に説教するのではなく、あくまで問いの形で子贛自身に考えさせている点が巧みであり、答えを与えるより問いを投げかけることの方が、相手の内省を深く促す場合があることを示している。以後、子贛が身なりの粗末な人にまで礼を尽くすようになったという結末は、外見による偏見を一度の出会いで正した効果の大きさを物語る。

この章句が説くこと

外見による偏見問いによる気づき敬意の再学習

この一句を、あなたの毎日に。

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