説苑 / 敬慎
夫福生於隱約,而禍生於得意,齊頃公是也。齊頃公、桓公之子孫也,地廣民眾,兵強國富,又得霸者之餘尊,驕蹇怠傲,未嘗肯出會同諸侯,乃興師伐魯,反敗衛師于新築,輕小嫚大之行甚。俄而晉魯往聘,以使者戲,二國怒,歸求黨與助,得衛及曹,四國相輔期戰於鞍,大敗齊師,獲齊頃公,斬逢丑父,於是戄然大恐,賴逢丑父之欺,奔逃得歸。弔死問疾,七年不飲酒,不食肉,外金石絲竹之聲,遠婦女之色,出會與盟,卑下諸侯,國家內得行義,聲問震乎諸侯,所亡之地弗求而自為來,尊寵不武而得之,可謂能詘免變化以致之,故福生於隱約,而禍生於得意,此得失之效也。
新字:夫福生於隠約,而禍生於得意,斉頃公是也。斉頃公、桓公之子孫也,地広民眾,兵強国富,又得覇者之余尊,驕蹇怠傲,未嘗肯出会同諸侯,乃興師伐魯,反敗衛師于新築,軽小嫚大之行甚。俄而晉魯往聘,以使者戯,二国怒,帰求党与助,得衛及曹,四国相輔期戦於鞍,大敗斉師,獲斉頃公,斬逢丑父,於是戄然大恐,頼逢丑父之欺,奔逃得帰。弔死問疾,七年不飲酒,不食肉,外金石糸竹之声,遠婦女之色,出会与盟,卑下諸侯,国家内得行義,声問震乎諸侯,所亡之地弗求而自為来,尊寵不武而得之,可謂能詘免変化以致之,故福生於隠約,而禍生於得意,此得失之効也。
書き下し
夫れ福は隠約に生じ、禍は得意に生ず、斉の頃公是れなり。斉の頃公は、桓公の子孫なり。地広く民衆く、兵強く国富み、又覇者の余尊を得て、驕蹇怠傲、未だ嘗て肯えて出でて諸侯に会同せず。乃ち師を興して魯を伐ち、反りて衛師を新築に敗る。小を軽んじ大を嫚る行い甚だし。俄かにして晋魯往きて聘し、使者を以て戯る。二国怒り、帰りて党与の助けを求め、衛及び曹を得、四国相い輔けて鞍に期して戦い、大いに斉師を敗り、斉の頃公を獲え、逢丑父を斬る。是に於て戄然として大いに恐れ、逢丑父の欺きに頼りて奔逃して帰るを得たり。死を弔い疾を問い、七年酒を飲まず肉を食わず、金石糸竹の声を外にし、婦女の色を遠ざけ、出でて会と盟に与り、諸侯に卑下し、国家内に義を行うを得、声問諸侯に震う。亡ぶる所の地求めずして自ら来たり、尊寵武ならずして之を得たり。詘免変化して以て之を致すこと能うと謂うべし。故に福は隠約に生じ、禍は得意に生ず。此れ得失の効なり。
現代語訳
そもそも福は困窮の中から生まれ、禍は得意の絶頂から生まれる。斉の頃公がその例である。斉の頃公は、桓公の子孫である。領土は広く民は多く、兵は強く国は富み、さらに覇者(桓公)の余光を得ていたため、驕り高ぶって怠惰であり、諸侯との会合にすすんで出席しようとしなかった。そして軍を興して魯を討ち、逆に衛の軍を新築で破った。小国を軽んじ大国を侮る行いが甚だしかった。ほどなくして晋と魯が斉に使者を派遣したが、頃公は使者をからかいものにした。二国は怒り、帰国して同盟国の助けを求め、衛と曹を得て、四国が協力して鞍で戦い、斉軍を大いに破り、斉の頃公を捕虜にし、逢丑父を斬った。頃公はここに至って戄然として大いに恐れ、逢丑父の身代わりの計略によってようやく逃げ帰ることができた。それから死者を弔い病人を見舞い、七年間酒も飲まず肉も食べず、鐘や琴の音楽を遠ざけ、婦女の色を遠ざけ、会盟に出席し、諸侯にへりくだり、国内では義を実践できるようになり、その評判は諸侯の間に鳴り響いた。失った領土は求めずとも自然に戻ってきて、尊敬と寵愛は武力によらずして得られた。屈服し態度を改めることによって、これほどのことを成し遂げたと言えよう。だから福は困窮の中から生まれ、禍は得意の絶頂から生まれるのである。これは得ることと失うことの実際の結果である。
解説
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説苑・敬慎大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなり。衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶ。晋の文公是れ其の効なり。晋の文公亡命に出で、道を修めて休まず、国を饗くるに至るを得たり。国を饗くるの時、上に明天子無く、下に賢方伯無く、強楚会を主どり、諸侯背畔し、天子道を失い、出でて鄭に居る。文公是に於て中国の微なるを憫れみ、咎犯・先軫・陽処父に任じ、百姓を畜愛し、戎士を厲養し、四年にして政治内に定まり、則ち兵を挙げて衛を伐ち、曹伯を執え、還りて強楚を敗り、威天下に震い、明王法もて諸侯を率いて天子に朝せしめ、敢えて聴かざる莫く、天下曠然として平定し、周室尊顕す。故に曰わく大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなりと。文公是に於て覇功立ち、期至りて意を得るに湯武の心あり、作して其の衆を忘れ、一年三たび師を用いて、且つ休息せず。遂に進みて許を囲み、兵亟しく弊れて服する能わず、諸侯を罷めて帰り、此より政事に怠り、狄泉の盟を為すに、親ら至らず、信衰え誼欠け、羅の補われざるが如く、威武詘折して信ぜられず、則ち諸侯朝せず、鄭遂に叛き、夷狄内侵し、衛商に遷りて止まる。故に曰わく、衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶと。
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