説苑 / 正諫
晉平公使叔向聘於吳,吳人拭舟以逆之,左五百人,右五百人;有繡衣而豹裘者,有錦衣而狐裘者,叔向歸以告平公,平公曰:「吳其亡乎!奚以敬舟?奚以敬民?」叔向對曰:「君為馳底之臺,上何以發千兵?下何以陳鐘鼓?」諸侯聞君者,亦曰『奚以敬臺,奚以敬民?』所敬各異也。」於是平公乃罷臺。
新字:晉平公使叔向聘於吳,吳人拭舟以逆之,左五百人,右五百人;有繡衣而豹裘者,有錦衣而狐裘者,叔向帰以告平公,平公曰:「吳其亡乎!奚以敬舟?奚以敬民?」叔向対曰:「君為馳底之台,上何以発千兵?下何以陳鐘鼓?」諸侯聞君者,亦曰『奚以敬台,奚以敬民?』所敬各異也。」於是平公乃罷台。
書き下し
晋の平公、叔向をして呉に聘わしむ。呉人舟を拭いて以て之を逆う。左五百人、右五百人、繡衣にして豹裘なる者有り、錦衣にして狐裘なる者有り。叔向帰りて以て平公に告ぐ。平公曰わく、「呉其れ亡びんか。奚を以て舟を敬い、奚を以て民を敬わんや」と。叔向対えて曰わく、「君馳底の台を為るに、上何を以てか千兵を発し、下何を以てか鐘鼓を陳ねん。諸侯君を聞く者も、亦た曰わん、『奚を以て台を敬い、奚を以て民を敬わんや』と。敬う所各々異なるなり」と。是に於て平公乃ち台を罷む。
現代語訳
晋の平公が叔向を呉に使者として派遣した。呉人は船を美しく飾って彼を出迎えた。左に五百人、右に五百人、刺繍の衣に豹の皮衣を着た者、錦の衣に狐の皮衣を着た者がいた。叔向は帰国してこれを平公に報告した。平公は言った、「呉はきっと滅びるだろう。どうしてそんなに船を大切にし、どうしてそんなに民の労力を大切にしないのか」と。叔向は答えて言った、「君が馳底の台を建てられるとき、上ではどれほどの兵を動員し、下ではどれほどの鐘や太鼓を並べたてているでしょうか。諸侯で君のことを聞いた者も、同じように『どうしてそんなに台を大切にし、どうして民を大切にしないのか』と言うでしょう。大切にする対象がそれぞれ違うだけのことです」と。これを聞いて平公は台の建設を取りやめた。
解説
この章句が説くこと
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説苑・貴德晋の平公春臺を築く、叔向曰く、「不可なり。古者聖王は徳を貴びて施すことを務め、刑辟を緩くして民時に趨けり。今春臺を築くは、是れ民の時を奪ふなり。夫れ徳施されざれば、則ち民帰せず、刑緩くならざれば、則ち百姓愁ふ。帰せざるの民をして、愁怨の百姓を役せしめ、而して又其の時を奪ふは、是れ重ねて竭くすなり。夫れ百姓を牧するに、之を養育して而も重ねて之を竭くすは、豈に命を安んじ存を安んずる所以にして、人君と後世に称せられんや」と。平公曰く、「善し」と、乃ち臺の役を罷む。
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説苑・反質晉の平公馳逐の車を為る、龍旌象色、之に挂くるに犀象を以てし、之に錯うるに羽芝を以てす、車成りて金千鎰を題す、之を殿下に立て、群臣をして觀るを得しむ。田差三たび過ぎて一たびも顧みず、平公色を作して大いに怒り、田差に問う「爾三たび過ぎて一たびも顧みざるは、何を為すや?」と。田差對えて曰く、「臣聞く天子を說く者は天下を以てし、諸侯を說く者は國を以てし、大夫を說く者は官を以てし、士を說く者は事を以てし、農夫を說く者は食を以てし、婦姑を說く者は織を以てすと。桀は奢を以て亡び、紂は淫を以て敗る、是を以て敢えて顧みざるなり。」と。平公曰く、「善し。」と。乃ち左右に命じて曰く、「車を去れ!」と。
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説苑・正諫晋の平公、楽を好み、其の賦斂を多くし、下に城郭を治めしめて曰わく、「敢えて諫むる者有らば死せしめん」と。国人之を憂う。咎犯なる者有り、門大夫に見えて曰わく、「臣聞く、主君楽を好むと。故に楽を以て見えんとす」と。門大夫入りて言いて曰わく、「晋人咎犯なり。楽を以て見えんと欲す」と。平公曰わく、「之を内れよ」と。止まりて殿上に坐す。則ち鐘磬竽瑟を出だす。坐すこと頃く有り。平公曰わく、「客子楽を為すか」と。咎犯対えて曰わく、「臣楽を為す能わず、臣隠を善くす」と。平公隠士十二人を召す。咎犯曰わく、「隠臣竊かに昧死を顧みて御せん」と。平公諾す。咎犯其の左臂を申べて五指を詘む。平公隠官に問いて曰わく、「之を占うに何と為すか」と。隠官皆曰わく、「知らず」と。平公曰わく、「之を帰せ」と。咎犯則ち其の一指を申べて曰わく、「是れ一なり。遊びを便にして赭を尽くし城闕を峻くす。二なり。柱梁繡を衣て、士民褐無し。三なり。侏儒余酒有りて、死士渴す。四なり。民に飢色有りて、馬に栗秩有り。五なり。近臣敢えて諫めず、遠臣敢えて達せず」と。平公曰わく善しと。乃ち鐘鼓を屏け、竽瑟を除き、遂に咎犯と国を治むるに参ず。
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説苑・復恩呉の赤市智氏に使ひするに、道を衛に仮る、甯文子紵絺三百製を具へ、将に以て之を送らんとす、大夫豹曰く、「呉大国なりと雖も、交假の道を壊らざれば、則ち亦た敬なり、又何ぞ礼せんや」と。甯文子聴かず、遂に呉の赤市に之を致す。智氏に至り、既に事を得て、将に呉に帰らんとするに、智伯舟を造りて梁と為さしむ、呉の赤市曰く、「吾之を聞く、天子は水に済るに、舟を造りて梁と為し、諸侯は舟を維ぎて梁と為し、大夫は舟を方ぶ、と。舟を方ぶるは、臣の職なり、且つ敬すること太だ甚だしきは必ず故有り」と。人をして之を視しむるに、視れば則ち兵用ゐられて後に在り、将に亦た衛を襲はんとするなり。呉の赤市曰く、「衛吾が道を仮して厚く我を贈る、我難を見て告げざれば、是れ与に謀るなり」と。疾と称して留り、人をして衛に告げしむ、衛人警戒す、智伯之を聞き、乃ち止む。
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説苑・善說晉の平公叔向に問いて曰く、「歲饑え民疫し、翟人我を攻む、我將に若何せん。」對えて曰く、「歲饑うるも來年にして反らん。疾疫將に止まんとす。翟人患うるに足らざるなり。」公曰く、「患い此れより大なる者有りや。」對えて曰く、「夫れ大臣祿を重んじて諫を極めず、近臣罪を畏れて敢えて言わず、左右小官に寵を顧みて君知らず。此れ誠に患いの大なる者なり。」公曰く、「善し。」是に於て國中に令して曰く、「諫めんと欲する者有らば之が爲に隱せ、左右國吏の罪に言い及ぶことあらば。」
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