説苑 / 正諫
楚莊王築層臺,延石千重,延壤百里,士有三月之糧者,大臣諫者七十二人皆死矣;有諸御己者,違楚百里而耕,謂其耦曰:「吾將入見於王。」其耦曰:「以身乎?吾聞之,說人主者,皆閒暇之人也,然且至而死矣;今子特草茅之人耳。」諸御己曰:「若與子同耕則比力也,至於說人主不與子比智矣。」委其耕而入見莊王。莊王謂之曰:「諸御己來,汝將諫邪?」諸御己曰:「君有義之用,有法之行。且己聞之,土負水者平,木負繩者正,君受諫者聖;君築層臺,延石千重,延壤百里;民之釁咎血成於通塗,然且未敢諫也,己何敢諫乎?顧臣愚,竊聞昔者虞不用宮之奇而晉并之,陳不用子家羈而楚并之,曹不用僖負羈而宋并之,萊不用子猛而齊并之,吳不用子胥而越并之,秦人不用蹇叔之言而秦國危,桀殺關龍逢而湯得之,紂殺王子比干而武王得之,宣王殺杜伯而周室卑;此三天子,六諸侯,皆不能尊賢用辯士之言,故身死而國亡。」遂趨而出,楚王遽而追之曰:「己子反矣,吾將用子之諫;先日說寡人者,其說也不足以動寡人之心,又危加諸寡人,故皆至而死;今子之說,足以動寡人之心,又不危加諸寡人,故吾將用子之諫。」明日令曰:「有能入諫者,吾將與為兄弟。」遂解層臺而罷民,楚人歌之曰:「薪乎萊乎?無諸御己訖無子乎?萊乎薪乎?無諸御己訖無入乎!」
新字:楚荘王築層台,延石千重,延壤百里,士有三月之糧者,大臣諫者七十二人皆死矣;有諸御己者,違楚百里而耕,謂其耦曰:「吾将入見於王。」其耦曰:「以身乎?吾聞之,説人主者,皆閒暇之人也,然且至而死矣;今子特草茅之人耳。」諸御己曰:「若与子同耕則比力也,至於説人主不与子比智矣。」委其耕而入見荘王。荘王謂之曰:「諸御己来,汝将諫邪?」諸御己曰:「君有義之用,有法之行。且己聞之,土負水者平,木負縄者正,君受諫者聖;君築層台,延石千重,延壤百里;民之釁咎血成於通塗,然且未敢諫也,己何敢諫乎?顧臣愚,竊聞昔者虞不用宮之奇而晉并之,陳不用子家羈而楚并之,曹不用僖負羈而宋并之,萊不用子猛而斉并之,吳不用子胥而越并之,秦人不用蹇叔之言而秦国危,桀殺関竜逢而湯得之,紂殺王子比干而武王得之,宣王殺杜伯而周室卑;此三天子,六諸侯,皆不能尊賢用弁士之言,故身死而国亡。」遂趨而出,楚王遽而追之曰:「己子反矣,吾将用子之諫;先日説寡人者,其説也不足以動寡人之心,又危加諸寡人,故皆至而死;今子之説,足以動寡人之心,又不危加諸寡人,故吾将用子之諫。」明日令曰:「有能入諫者,吾将与為兄弟。」遂解層台而罷民,楚人歌之曰:「薪乎萊乎?無諸御己訖無子乎?萊乎薪乎?無諸御己訖無入乎!」
書き下し
楚の荘王、層台を築き、石を延べること千重、壌を延べること百里、士に三月の糧有る者、大臣諫むる者七十二人皆死せり。諸御己なる者有り、楚を違ること百里にして耕す。其の耦に謂いて曰わく、「吾将に入りて王に見えんとす」と。其の耦曰わく、「身を以てせんか。吾之を聞く、人主を説く者は、皆閒暇の人なりと。然れども且に至りて死せり。今子は特だ草茅の人のみ」と。諸御己曰わく、「若し子と同じく耕さば則ち力を比ぶるなり。人主を説くに至りては子と智を比べざるなり」と。其の耕を委てて入りて荘王に見ゆ。荘王之に謂いて曰わく、「諸御己来たる、汝将に諫めんとするか」と。諸御己曰わく、「君に義の用有り、法の行有り。且つ己之を聞く、土の水を負う者は平らかに、木の縄を負う者は正しく、君の諫を受くる者は聖なりと。君層台を築き、石を延べること千重、壌を延べること百里。民の釁咎、血通塗に成る。然れども且つ未だ敢えて諫めざるなり。己何ぞ敢えて諫めんや。顧みるに臣愚かなるも、竊かに聞く、昔者虞は宮之奇を用いずして晋之を并せ、陳は子家羈を用いずして楚之を并せ、曹は僖負羈を用いずして宋之を并せ、萊は子猛を用いずして斉之を并せ、呉は子胥を用いずして越之を并せ、秦人は蹇叔の言を用いずして秦国危うし、桀は関龍逢を殺して湯之を得、紂は王子比干を殺して武王之を得、宣王は杜伯を殺して周室卑し。此の三天子、六諸侯、皆賢を尊び弁士の言を用いる能わず、故に身死して国亡ぶ」と。遂に趨りて出づ。楚王遽かにして之を追いて曰わく、「己子反れ、吾将に子の諫を用いんとす。先日寡人を説く者は、其の説寡人の心を動かすに足らず、又危を寡人に加う。故に皆至りて死せり。今子の説は、寡人の心を動かすに足り、又危を寡人に加えず。故に吾将に子の諫を用いんとす」と。明日令して曰わく、「能く入りて諫むる者有らば、吾将に与に兄弟と為らんとす」と。遂に層台を解きて民を罷む。楚人之を歌いて曰わく、「薪か莱か、諸御己無くんば訖に子無からんか、莱か薪か、諸御己無くんば訖に入る無からんか」と。
現代語訳
楚の荘王は高台を築き、千重にも及ぶ石を運び、百里にも及ぶ土を運ばせ、兵士には三か月分の食糧を持たせた。大臣で諫めた者は七十二人、皆殺された。諸御己という者がおり、楚の都から百里離れた所で農耕していた。彼は農耕仲間に言った、「私はこれから宮中に入って王にお目にかかるつもりだ」と。仲間は言った、「自分の命を賭けてか。私はこう聞いている、君主を説得する者は皆、暇のある人たちだと。それでもなお、行けば死んでいる。今のお前はただの草深い田舎者にすぎない」と。諸御己は言った、「もしお前と一緒に耕作するなら、力量を比べる話だ。しかし君主を説得することについては、お前と知恵を比べる話ではない」と。そして耕作を放り出し、宮中に入って荘王に謁見した。荘王は彼に言った、「諸御己が来たか。お前はこれから諫めるつもりか」と。諸御己は言った、「君には義の実践があり、法の運用があります。そして私はこう聞いています、土は水を受け止めれば平らになり、木は墨縄に従えば真っ直ぐになり、君主は諫言を受け入れれば聖明になると。君は高台を築き、千重の石、百里の土を運ばせています。民の傷や咎、血は道々に満ちています。それでもなお私はあえて諫めようとはしませんでした。この私がどうしてあえて諫められましょうか。ただ、愚かながら私がひそかに聞くところでは、昔、虞は宮之奇を用いなかったために晋に併合され、陳は子家羈を用いなかったために楚に併合され、曹は僖負羈を用いなかったために宋に併合され、萊は子猛を用いなかったために斉に併合され、呉は子胥を用いなかったために越に併合され、秦人は蹇叔の言を用いなかったために秦国は危うくなり、桀は関龍逢を殺したために湯がそれを得、紂は王子比干を殺したために武王がそれを得、宣王は杜伯を殺して周室は衰えました。この三人の天子と六人の諸侯は、皆、賢者を尊び弁舌の士の言を用いることができず、そのため身は死に国は滅びました」と。そして小走りに退出した。楚王はあわてて彼を追いかけて言った、「諸御己よ、戻ってきてくれ。私はこれからお前の諫言を用いよう。これまで私を説得しようとした者たちは、その説得が私の心を動かすには足りず、しかも私に危険を及ぼそうとした。だから皆、来ては死んだのだ。しかし今のお前の説くところは、私の心を動かすに十分であり、しかも私に危険を及ぼすこともない。だから私はこれからお前の諫言を用いよう」と。翌日、命令を発して言った、「よく宮中に入って諫めることのできる者があれば、私はその者と兄弟の契りを結ぼう」と。そしてついに高台の建設を取りやめ、民を労役から解放した。楚の人々はこれを歌にして言った、「薪か、萊か。諸御己がいなければ、我らの子は絶えていただろう。萊か、薪か。諸御己がいなければ、誰も宮中に入ることはできなかっただろう」と。
解説
この章句が説くこと
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説苑・正諫楚の荘王、立ちて君と為り、三年朝を聴かず、乃ち国に令して曰わく、「寡人、人臣為りて遽かに其の君を諫むる者を悪む。今寡人国家を有ち、社稷を立つ。諫むる有らば死して赦す無し」と。蘇従曰わく、「君の高爵に処り、君の厚禄を食みて、其の死を愛して其の君を諫めざれば、則ち忠臣に非ざるなり」と。乃ち入りて諫む。荘王、鼓鐘の間に立ち、左に楊姫を伏し、右に越姫を擁し、左に裯衽し、右に朝服す。曰わく、「吾が鼓鐘の暇あらざるに、何の諫をか聴かん」と。蘇従曰わく、「臣之を聞く、道を好む者は資多く、楽を好む者は迷い多し。道を好む者は糧多く、楽を好む者は亡ぶこと多し。荊国の亡ぶること日無からん。死臣敢えて以て王に告ぐ」と。王曰わく善しと。左に蘇従の手を執り、右に陰刃を抽き、鐘鼓の懸を刎つ。明日蘇従を授けて相と為す。
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史記 楚世家居ること数月、淫益ます甚だし。大夫蘇従乃ち入りて諫む。王曰く、「若令を聞かざるか」と。対へて曰く、「身を殺して以て君を明らかにするは、臣の願ひなり」と。是に於て乃ち淫楽を罷め、政を聴く。誅する所の者数百人、進むる所の者数百人、伍舉・蘇従に任ずるに政を以てす、国人大いに説ぶ。
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説苑・正諫楚の昭王、荊台に之きて游ばんと欲す。司馬子綦進みて諫めて曰わく、「荊台の游は、左に洞庭の波、右に彭蠡の水、南に猟山を望み、下に方淮に臨む。其の楽しみ人をして老いを遺れ死を忘れしむ。人君游ぶ者は尽く以て其の国を亡ぼす。願わくは大王往きて游ぶこと勿かれ」と。王曰わく、「荊台は乃ち吾が地なり。地有りて之に游ぶに、子何為れぞ我が游を絶つか」と。怒りて之を撃つ。是に於て令尹子西、安車四馬を駕し、殿下を径りて曰わく、「今日の荊台の游、観ざるべからざるなり」と。王車に登りて其の背を拊して曰わく、「荊台の游、子と共に之を楽しまん」と。馬を歩ませること十里、轡を引きて止まりて曰わく、「臣敢えて車を下らず。願わくは道有らんことを得ん。大王肯えて之を聴かんか」と。王曰わく、「第だ之を言え」と。令尹子西曰わく、「臣之を聞く、人臣と為りて其の君に忠なる者は、爵禄以て賞するに足らず。人臣と為りて其の君に諛う者は、刑罰以て誅するに足らず。子綦の若き者は忠君なり。臣の若き者は諛臣なり。願わくは大王臣の軀を殺し、臣の家を罰して、子綦を禄せよ」と。王曰わく、「若し我能く止め、公子の言を聴かば、独り能く我が游を禁ずるのみ。後世之に游ばば、極まる時無からん。奈何せん」と。令尹子西曰わく、「後世を禁ぜんと欲するは易きのみ。願わくは大王山陵崩阤するに、陵を荊台に為せ。未だ嘗て鐘鼓管絃の楽を持して父の墓上に游ぶ者有らざるなり」と。是に於て王車を還し、卒に荊台に游ばず、令して先に置かる者を罷めしむ。孔子魯より之を聞きて曰わく、「美なるかな。令尹子西、之を十里の前に諫めて、之を百世の後に権る者なり」と。
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孔子家語・辯政楚王將に荊臺に遊ばんとし、司馬子祺諫むるも、王之を怒る。令尹子西殿下に賀して、諫めて曰わく、「今荊臺の觀は、失う可からざるなり。」王喜びて子西の背を拊ちて曰わく、「子と共に之を樂しまん。」子西馬を步ませて十里、轡を引きて止まり、曰わく、「臣願わくは道有るを言わん、王肯えて之を聽かんか。」王曰わく、「子其れ之を言え。」子西曰わく、「臣聞く人臣為りて其の君に忠なる者は、爵祿以て賞するに足らず。其の君に諛う者は、刑罰以て誅するに足らずと。夫れ子祺は、忠臣なり。而して臣は、諛臣なり。願わくは王忠を賞して諛を誅せよ。」王曰わく、「我今司馬の諫を聽く、是れ獨り能く我を禁ずるのみ。若し後世之に遊ばば、何ぞや。」子西曰わく、「後世を禁ずるは易きのみ。大王萬歲の後、山陵を荊臺の上に起こせ。則ち子孫必ず父祖の墓に遊びて、以て歡樂を為すに忍びざらん。」王曰わく、「善し。」乃ち還る。孔子之を聞きて曰わく、「至れるかな、子西の諫めや。之を千里の上に入れ、之を百世の後に抑うる者なり。」
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『新序』雜事第二莊辛楚の襄王に諫めて曰く、君王左に州侯、右に夏侯、新安君と壽陵君とを從えて軒を同じくし、淫衍侈靡にして國政を忘る。郢其れ危うし、と。王曰く、先生老いて惽めるか。妄りに楚國の爲に妖を爲すか、と。莊辛對えて曰く、臣敢えて楚の爲に妖を爲すに非ず。誠に之を見ればなり。君王卒に此の四子なる者に近づかば、則ち楚必ず亡びん。辛請う趙に留まりて以て之を觀ん、と。是に於いて十月を出でずして、王果たして巫山・江漢・鄢郢の地を亡う。是に於いて王乃ち使いをして莊辛を趙に召さしむ。辛至る。王曰く、嘻、先生來たれるか。寡人先生の言を用いざるを以て此に至れり。之を爲すこと柰何、と。莊辛曰く、君王辛の言を用いば則ち可なり。辛の言を用いずんば又た將に甚だしからんとす。此れ庶人に稱すること有りて曰く、羊を亡いて牢を固くするも未だ遲しと爲さず、兎を見て狗を呼ぶも未だ晩しと爲さず、と。湯武は百里を以て王たり、桀紂は天下を以て亡ぶ。今楚は小なりと雖も、長を絶ちて短を繼がば、千里を以て數う。豈に特だ百里ならんや。且つ君王獨り夫の青蛉を見ざるか。六足四翼、天地の間に蜚翔し、蚊虻を求めて之を食らい、甘露に時して之を飲む。自ら以爲えらく患い無く、民と爭う無しと。知らず、五尺の童子、絲を膠して竿し、之を四仞の上に加え、而して下りて蟲蛾の食と爲るを、と。
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荀子・堯問篇魏の武侯、事を謀りて当たり、群臣能く逮(およ)ぶもの莫し。朝を退きて喜色有り。呉起進みて曰く、亦た嘗て楚の荘王の語を以て、左右に聞かしむる者有りや、と。武侯曰く、楚の荘王の語は何如(いかん)、と。呉起対えて曰く、楚の荘王、事を謀りて当たり、群臣逮ぶもの莫し。朝を退きて憂色有り。申公巫臣(しんこうふしん)進み問いて曰く、王、朝(ちょう)して憂色有るは、何ぞや、と。荘王曰く、不穀(ふこく)事を謀りて当たり、群臣能く逮ぶもの莫し。是を以て憂うるなり。其れ中蘬(ちゅうき)の言に在り。曰く、諸侯にして自ら師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑(たす)くる者を得る者は存し、自ら謀りて己に若(し)くもの莫き者は亡ぶ、と。今、不穀の不肖を以てして、群臣能く逮ぶもの莫し。吾が国、亡ぶるに幾(ちか)からんか。是を以て憂うるなり、と。楚の荘王は以て憂え、而して君は以て喜ぶ、と。武侯逡巡(しゅんじゅん)して再拝して曰く、天、夫子をして寡人の過ちを振(すく)わしむるなり、と。