説苑 / 正諫
孟嘗君將西入秦,賓客諫之百通,則不聽也,曰:「以人事諫我,我盡知之;若以鬼道諫我,我則殺之。」謁者入曰:「有客以鬼道聞。」曰:「請客入。」客曰:「臣之來也,過於淄水上,見一土耦人,方與木梗人語,木梗謂土耦人曰:『子先,土也,持子以為耦人,遇天大雨,水潦並至,子必沮壞。』應曰:『我沮乃反吾真耳,今子,東園之桃也,刻子以為梗,遇天大雨,水潦並至,必浮子,泛泛乎不知所止。』今秦,四塞之國也,有虎狼之心,恐其有木梗之患。」於是孟嘗君逡巡而退,而無以應,卒不敢西嚮秦。
新字:孟嘗君将西入秦,賓客諫之百通,則不聴也,曰:「以人事諫我,我尽知之;若以鬼道諫我,我則殺之。」謁者入曰:「有客以鬼道聞。」曰:「請客入。」客曰:「臣之来也,過於淄水上,見一土耦人,方与木梗人語,木梗謂土耦人曰:『子先,土也,持子以為耦人,遇天大雨,水潦並至,子必沮壊。』応曰:『我沮乃反吾真耳,今子,東園之桃也,刻子以為梗,遇天大雨,水潦並至,必浮子,泛泛乎不知所止。』今秦,四塞之国也,有虎狼之心,恐其有木梗之患。」於是孟嘗君逡巡而退,而無以応,卒不敢西嚮秦。
書き下し
孟嘗君将に西のかた秦に入らんとす。賓客之を諫むること百通なるも、則ち聴かざるなり。曰わく、「人事を以て我を諫めば、我尽く之を知る。若し鬼道を以て我を諫めば、我則ち之を殺さん」と。謁者入りて曰わく、「客有り、鬼道を以て聞えんとす」と。曰わく、「客を請じ入れよ」と。客曰わく、「臣の来たるや、淄水の上を過ぎて、一の土耦人の方に木梗人と語るを見たり。木梗、土耦人に謂いて曰わく、『子は先んず、土なり。子を持して以て耦人と為す。天の大雨に遇い、水潦並び至らば、子必ず沮壊せん』と。応えて曰わく、『我沮すれば乃ち吾が真に反るのみ。今子は東園の桃なり。子を刻みて以て梗と為す。天の大雨に遇い、水潦並び至らば、必ず子を浮かべ、泛泛乎として止まる所を知らざらん』と。今秦は四塞の国にして、虎狼の心有り。恐らくは木梗の患有らん」と。是に於て孟嘗君逡巡して退き、以て応うる無く、卒に敢えて西のかた秦に嚮わず。
現代語訳
孟嘗君はまさに西の秦へ入国しようとしていた。賓客たちが百回にわたって諫めたが、彼は聞き入れなかった。彼は言った、「人事のことで諫めるならば、私はすべて承知している。もし鬼神の道(占いや怪異)をもって私を諫めるならば、その者は殺す」と。取次役が入って言った、「お客様が鬼神の道について申し上げたいとのことです」と。孟嘗君は「客人を入れよ」と言った。客は言った、「私がここに参る途中、淄水のほとりを通りましたところ、土でできた人形が木でできた人形と語り合っているのを見ました。木の人形が土の人形に言いました、『あなたは元来土でできている。あなたを人形にしたが、大雨に遭い水があふれれば、あなたは必ず崩れてしまうだろう』と。土の人形は答えました、『私が崩れれば、ただ本来の土に還るだけのこと。ところであなたは東園の桃の木だ。あなたを削って人形にしたが、大雨に遭い水があふれれば、あなたはきっと押し流され、あてどなく漂って、どこに流れ着くかも分からないだろう』と。今、秦は四方を要塞で囲まれた国で、虎や狼のような心を持っています。あなたも木の人形と同じ患いに遭うのではないかと恐れます」と。これを聞いて孟嘗君は逡巡して退き、返す言葉もなく、ついに秦へ向かおうとはしなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
戦国策・孟嘗君將入秦孟嘗君將に秦に入らんとす、止むる者千數なるも聽かず。蘇秦之を止めんと欲す、孟嘗曰く、「人事は、吾已に盡く之を知る。吾未だ聞かざる所の者は、獨り鬼事のみ。」蘇秦曰く、「臣の來るや、固より敢へて人事を言はず、固より且に鬼事を以て君に見えんとす。」孟嘗君之に見ゆ。孟嘗君に謂ひて曰く、「今者臣來たるに、淄上を過ぐるに、土偶人と桃梗と相與に語る有り。桃梗、土偶人に謂ひて曰く、『子は西岸の土なり、子を挺(こ)ねて以て人と爲す、歳八月に至り、雨降り下り、淄水至らば、則ち汝殘なはれん。』土偶曰く、『然らず。吾は西岸の土なり、土なれば則ち復た西岸に復せんのみ。今子は東國の桃梗なり、子を刻削して以て人と爲す、雨降り下り、淄水至らば、子を流して去らん、則ち子漂漂として將に何如とせん。』今秦は四塞の國、譬へば虎口のごとし、而して君之に入らば、則ち臣君の出づる所を知らず。」孟嘗君乃ち止む。
-
戦国策・蘇秦說李兌蘇秦李兌に說きて曰く、「雒陽乘軒車の蘇秦、家貧しく親老いたり、罷れたる車駑馬無く、桑輪蓬篋羸幐、書を負い橐を擔い、塵埃に觸れ、霜露を蒙り、漳・河を越え、足に繭を重ね、日に百くして舍り、外闕に造りて、前に見えんことを願い、口に天下の事を道わんとす。」李兌曰く、「先生鬼の言を以て我に見えば則ち可なり、若し人の事を以てせば、兌盡く之を知れり。」蘇秦對えて曰く、「臣固より鬼の言を以て君に見ゆ、人の言を以てするに非ざるなり。」李兌之に見ゆ。蘇秦曰く、「今日臣の來るや暮る、郭門に後れ、藉席得る所無く、人の田中に寄宿す、傍らに大叢有り。夜半、土梗木梗と鬬いて曰く、『汝我に如かず、我なる者は乃ち土なり。我をして疾風淋雨に逢わしめ、壞沮せば、乃ち復た土に歸せん。今汝木の根に非ずんば、則ち木の枝のみ。汝疾風淋雨に逢わば、漂いて漳・河に入り、東流して海に至り、汜濫して止まる所無からん。』臣竊かに以為らく土梗勝てりと。今君主父を殺して之を族す、君の天下に立つ、累卵より危うし。君臣が計を聽かば則ち生き、臣が計を聽かずんば則ち死せん。」李兌曰く、「先生舍に就け、明日復た來りて兌に見えよ。」蘇秦出づ。李兌の舍人李兌に謂いて曰く、「臣竊かに君と蘇公との談を觀るに、其の辯君に過ぎ、其の博君に過ぐ、君能く蘇公の計を聽くか。」李兌曰く、「能わず。」舍人曰く、「君即ち能わずんば、願わくは君兩耳を堅く塞ぎ、其の談を聽くこと無かれ。」明日復た見え、終日談じて去る。舍人出でて蘇君を送る、蘇秦舍人に謂いて曰く、「昨日我談ずること粗にして君動き、今日精にして君動かず、何ぞや。」舍人曰く、「先生の計大にして規高し、吾が君用うる能わざるなり。乃ち我君に兩耳を塞ぎ、談ずる者を聽くこと無からんことを請う。然りと雖も、先生明日復た來らば、吾請う先生を資くるに厚用を以てせん。」明日來り、掌を抵ちて談ず。李兌蘇秦に明月の珠、和氏の璧、黑貂の裘、黃金百鎰を送る。蘇秦得て以て用と爲し、西のかた秦に入る。
-
説苑・善說孟嘗君客を齊王に寄す。三年にして用いられず。故に客反りて孟嘗君に謂いて曰く、「君の臣を寄するや、三年にして用いられず。臣の罪を知らざるか、君の過ちか。」孟嘗君曰く、「寡人之を聞く、縷は針に因りて入り、針に因らずんば急ならず。女を嫁するは媒に因りて成り、媒に因らずんば親しまず。夫れ子の材必ず薄からん。尚お何ぞ寡人を怨まんや。」客曰く、「然らず。臣聞く、周氏の嚳、韓氏の盧は天下の疾狗なり。菟を見て指屬すれば、則ち菟を失う無し。望見して狗を放てば、則ち累世菟を得ること能わず。狗能くせざるに非ず、之を屬する者の罪なり。」孟嘗君曰く、「然らず。昔華舟杞梁戰いて死す。其の妻之を悲しみ、城に向いて哭す。隅之が爲に崩れ、城之が爲にす。君子誠に能く內に刑れば、則ち物外に應ず。夫れ土壤すら且つ忠を爲すべし、況んや穀を食む君有るをや。」客曰く、「然らず。臣鷦鷯の葦苕に巢くうを見る。之を髮毛に著け、之を女工に建つるも爲すこと能わず、完堅と謂うべし。大風至れば、則ち苕折れ卵破れ子死する者は何ぞや。其の託する所之をして然らしむるなり。且つ夫れ狐は人の攻むる所なり、鼠は人の燻ずる所なり。臣未だ嘗て稷の狐攻めらるるを見ず、社の鼠燻ぜらるるを見ざるなり。何となれば則ち託する所然るなり。」是に於て孟嘗君復た之を齊に屬す。齊王相と爲さしむ。
-
戦国策・孟嘗君為從孟嘗君從を爲す。公孫弘孟嘗君に謂ひて曰く、「君何ぞ人をして先づ秦王を觀しめざる。意ふに秦王帝王の主ならば、君恐らくは臣爲るを得ざらん、奚(いづ)くにか從を以て之を難ずるに暇あらんや。意ふに秦王不肖の主ならば、君從を以て之を難ずとも、未だ晩からず。」孟嘗君曰く、「善し、願はくは因りて公に往かんことを請はん。」公孫弘敬しんで諾し、車十乘を以て秦に之く。昭王之を聞き、之を媿(はづか)しめんと欲して辭を以てす。公孫弘見ゆるに、昭王曰く、「薛公の地、大小幾何ぞ。」公孫弘對へて曰く、「百里なり。」昭王笑ひて曰く、「寡人の地數千里なるも、猶ほ未だ敢へて以て難有らざるなり。今孟嘗君の地方百里にして、因りて寡人を難ぜんと欲するも、猶ほ可ならんや。」公孫弘對へて曰く、「孟嘗君人を好むも、大王人を好まず。」昭王曰く、「孟嘗君の人を好むや、奚如(いかん)。」公孫弘曰く、「義天子に臣たらず、諸侯に友たらず、志を得れば人主爲るを慚ぢず、志を得ざれば人臣爲るを肯んぜず、此くの如き者三人。而して治は管・商の師爲る可く、義を説きて行を聽き、能く其の此くの如くならしむる者五人。萬乘の嚴主なり。其の使者を辱むれば、退きて自ら刎(くびは)ね、必ず其の血を以て其の衣を洿(けが)す者、臣の如き者十人。」昭王笑ひて之に謝して曰く、「客胡爲(なんす)れぞ此くの若くする、寡人直だ客と論ずるのみ。寡人孟嘗君を善しとし、客をして必ず寡人の志を諭さしめんと欲するなり。」公孫弘曰く、「敬んで諾せん。」公孫弘侵されずと謂ふ可し。昭王は、大國なり。孟嘗は、千乘なり。千乘の義を立てて陵(しの)がる可からず、士を使ふに足ると謂ふ可し。
-
呂氏春秋・不侵④孟嘗君、從を為すや、公孫弘、孟嘗君に謂いて曰く、「君、人をして西のかた秦王を觀しむるに若かず。意うに、秦王、帝王の主ならば、君、臣為るを得ざるを恐れん。何の暇ありてか從して以て之を難まん。意うに、秦王、不肖の主ならば、君從して以て之を難むも未だ晩からざるなり。」孟嘗君曰く、「善し。願わくは因りて公の往かんことを請う。」公孫弘敬みて諾し、車十乘を以て秦に之く。秦の昭王之を聞き、之を醜むるに辭を以てせんとし、以て公孫弘を觀んと欲す。公孫弘、昭王に見ゆ。昭王曰く、「薛の地は小大幾何ぞ。」公孫弘對えて曰く、「百里なり。」昭王笑いて曰く、「寡人の國は地數千里なれども、猶ほ未だ敢て以て難むこと有らざるなり。今孟嘗君の地方百里にして、因りて以て寡人を難まんと欲するは猶ほ可ならんか。」公孫弘對えて曰く、「孟嘗君は士を好み、大王は士を好まず。」昭王曰く、「孟嘗君の士を好むこと何如。」公孫弘對えて曰く、「義、天子に臣たらず、諸侯に友たらず。意を得れば則ち人君の為にするを慚ぢず、意を得ざれば則ち人臣と為るを肯ぜず。此くの如き者三人あり。能く治むること管・商の師為る可く、義を說び行いを聽かば、其れ能く主を霸王に致す。此くの如き者五人あり。萬乘の嚴主なるも、其の使者を辱しむれば、退きて自刎し、必ず其の血を以て其の衣を汙さん。臣の如き者七人有り。」昭王笑いて謝して曰く、「客胡為れぞ此の若くなる。寡人、孟嘗君に善し。客の必ず謹みて寡人の意を諭らかにせんことを欲するなり。」公孫弘敬みて諾す。公孫弘、侵されずと謂う可し。昭王は大王なり。孟嘗君は千乘なり。千乘の義を立てて凌ぐ可からず。士と謂う可し。
-
戦国策・秦將伐魏秦将に魏を伐たんとす。魏王之を聞き、夜孟嘗君に見(まみ)え、之に告げて曰く、「秦且に魏を攻めんとす、子寡人の為に謀れ、奈何(いかん)せん」と。孟嘗君曰く、「諸侯の救い有らば、則ち国存す可し」と。王曰く、「寡人子の行かんことを願う」と。重ねて之が為に車百乗を約す。孟嘗君趙に之(ゆ)き、趙王に謂いて曰く、「文兵を借りて以て魏を救わんことを願う」と。趙王曰く、「寡人能わず」と。孟嘗君曰く、「夫れ敢えて兵を借るる者は、以て王に忠なればなり」と。王曰く、「聞くを得可きか」と。孟嘗君曰く、「夫れ趙の兵は、能く魏の兵より彊(つよ)きに非ず、魏の兵は、能く趙より弱きに非ず。然れども趙の地歳(とし)ごとに危うからずして、民歳ごとに死せず、而して魏の地歳ごとに危うくして、民歳ごとに死する者は、何ぞや。其の西のかた趙の蔽(へい)為ればなり。今趙魏を救わず、魏秦に歃盟(さつめい)せば、是れ趙強秦と界を為すなり、地も亦た且に歳ごとに危うからんとし、民も亦た且に歳ごとに死せんとす。此れ文の大王に忠なる所以なり」と。趙王許諾し、之が為に兵十万、車三百乗を起こす。又北のかた燕王に見えて曰く、「先日公子常に両王の交わりを約せり。今秦且に魏を攻めんとす、願わくは大王の之を救わんことを」と。燕王曰く、「吾歳熟せざること二年なり、今又数千里を行きて以て魏を助くれば、且つ奈何せん」と。田文曰く、「夫れ数千里を行きて人を救う者は、此れ国の利なり。今魏王国門を出でて軍を望見せば、数千里を行きて人を助けんと欲すと雖も、得可けんや」と。燕王尚お未だ許さず。田文曰く、「臣便計を王に効すも、王臣の忠計を用いずんば、文行かんことを請う。天下の将に大変有らんことを恐る」と。王曰く、「大変聞くを得可きか」と。曰く、「秦魏を攻めて未だ之に克つ能わざるなり、而して台已に燔(や)かれ、游已に奪わる。而して燕魏を救わずんば、魏王節を折りて地を割き、国の半ばを以て秦に与えん、秦必ず去らん。秦已に魏を去らば、魏王悉く韓・魏の兵をあげ、又西のかた秦兵を借り、趙の衆に因り、四国を以て燕を攻めば、王且に何をか利とせん。数千里を行きて人を助くるを利とせんか、燕の南門を出でて軍を望見するを利とせんか。則ち道里近くして輸(ゆ)も又易し、王何をか利とせん」と。燕王曰く、「子行け、寡人子に聴かん」と。乃ち之が為に兵八万、車二百乗を起こし、以て田文に従わしむ。魏王大いに説(よろこ)びて曰く、「君燕・趙の兵を得ること甚だ衆(おお)くして且つ亟(すみ)やかなり」と。秦王大いに恐れ、地を割きて魏に講ぜんことを請う。因りて燕・趙の兵を帰し、田文を封ず。