呂氏春秋 / 不侵④
孟嘗君為從,公孫弘謂孟嘗君曰:“君不若使人西觀秦王。意者秦王帝王之主也,君恐不得為臣,何暇從以難之?意者秦王不肖主也,君從以難之未晚也。”孟嘗君曰:“善。願因請公往矣。”公孫弘敬諾,以車十乘之秦。秦昭王聞之,而欲醜之以辭,以觀公孫弘。公孫弘見昭王,昭王曰:“薛之地小大幾何?”公孫弘對曰:“百里。”昭王笑曰:“寡人之國,地數千里,猶未敢以有難也。今孟嘗君之地方百里,而因欲以難寡人猶可乎?”公孫弘對曰:“孟嘗君好士,大王不好士。”昭王曰:“孟嘗君之好士何如?”公孫弘對曰:“義不臣乎天子,不友乎諸侯,得意則不慚為人君,不得意則不肯為人臣,如此者三人。能治可為管、商之師,說義聽行,其能致主霸王,如此者五人。萬乘之嚴主,辱其使者,退而自刎也,必以其血汙其衣,有如臣者七人。”昭王笑而謝焉曰:“客胡為若此?寡人善孟嘗君,欲客之必謹諭寡人之意也。”公孫弘敬諾。公孫弘可謂不侵矣。昭王,大王也。孟嘗君,千乘也。立千乘之義而不可凌,可謂士矣。
新字:孟嘗君為従,公孫弘謂孟嘗君曰:“君不若使人西観秦王。意者秦王帝王之主也,君恐不得為臣,何暇従以難之?意者秦王不肖主也,君従以難之未晩也。”孟嘗君曰:“善。願因請公往矣。”公孫弘敬諾,以車十乗之秦。秦昭王聞之,而欲醜之以辞,以観公孫弘。公孫弘見昭王,昭王曰:“薛之地小大幾何?”公孫弘対曰:“百里。”昭王笑曰:“寡人之国,地数千里,猶未敢以有難也。今孟嘗君之地方百里,而因欲以難寡人猶可乎?”公孫弘対曰:“孟嘗君好士,大王不好士。”昭王曰:“孟嘗君之好士何如?”公孫弘対曰:“義不臣乎天子,不友乎諸侯,得意則不慚為人君,不得意則不肯為人臣,如此者三人。能治可為管、商之師,説義聴行,其能致主覇王,如此者五人。万乗之厳主,辱其使者,退而自刎也,必以其血汙其衣,有如臣者七人。”昭王笑而謝焉曰:“客胡為若此?寡人善孟嘗君,欲客之必謹諭寡人之意也。”公孫弘敬諾。公孫弘可謂不侵矣。昭王,大王也。孟嘗君,千乗也。立千乗之義而不可凌,可謂士矣。
書き下し
孟嘗君、從を為すや、公孫弘、孟嘗君に謂いて曰く、「君、人をして西のかた秦王を觀しむるに若かず。意うに、秦王、帝王の主ならば、君、臣為るを得ざるを恐れん。何の暇ありてか從して以て之を難まん。意うに、秦王、不肖の主ならば、君從して以て之を難むも未だ晩からざるなり。」孟嘗君曰く、「善し。願わくは因りて公の往かんことを請う。」公孫弘敬みて諾し、車十乘を以て秦に之く。秦の昭王之を聞き、之を醜むるに辭を以てせんとし、以て公孫弘を觀んと欲す。公孫弘、昭王に見ゆ。昭王曰く、「薛の地は小大幾何ぞ。」公孫弘對えて曰く、「百里なり。」昭王笑いて曰く、「寡人の國は地數千里なれども、猶ほ未だ敢て以て難むこと有らざるなり。今孟嘗君の地方百里にして、因りて以て寡人を難まんと欲するは猶ほ可ならんか。」公孫弘對えて曰く、「孟嘗君は士を好み、大王は士を好まず。」昭王曰く、「孟嘗君の士を好むこと何如。」公孫弘對えて曰く、「義、天子に臣たらず、諸侯に友たらず。意を得れば則ち人君の為にするを慚ぢず、意を得ざれば則ち人臣と為るを肯ぜず。此くの如き者三人あり。能く治むること管・商の師為る可く、義を說び行いを聽かば、其れ能く主を霸王に致す。此くの如き者五人あり。萬乘の嚴主なるも、其の使者を辱しむれば、退きて自刎し、必ず其の血を以て其の衣を汙さん。臣の如き者七人有り。」昭王笑いて謝して曰く、「客胡為れぞ此の若くなる。寡人、孟嘗君に善し。客の必ず謹みて寡人の意を諭らかにせんことを欲するなり。」公孫弘敬みて諾す。公孫弘、侵されずと謂う可し。昭王は大王なり。孟嘗君は千乘なり。千乘の義を立てて凌ぐ可からず。士と謂う可し。
現代語訳
孟嘗君が合従(諸侯連合で秦に対抗する策)を進めようとしたとき、公孫弘が孟嘗君に言った、「あなたはまず人を西の秦に遣わして秦王を観察させるのがよいでしょう。思うに、もし秦王が帝王の器の主君なら、あなたは臣従を免れないかもしれず、合従して秦に敵対する余裕などありません。もし秦王が愚かな主君なら、それから合従して敵対しても遅くはありません」。孟嘗君は「よかろう。ではあなたが行ってくれ」と言った。公孫弘は謹んで承知し、車十乗で秦へ赴いた。秦の昭王はこれを聞き、言葉で辱めてやろうと考え、公孫弘の器量を見ようとした。公孫弘が昭王に謁見すると、昭王は言った、「薛(孟嘗君の領地)の広さはどれほどか」。公孫弘は「百里です」と答えた。昭王は笑って言った、「わが国は数千里の地を持つが、それでもまだあえて他国に敵対しようとはしない。今、孟嘗君は百里四方の地でありながら、それをもって私に敵対しようというのか、そんなことができるのか」。公孫弘は答えた、「孟嘗君は士を好み、大王は士を好みません」。昭王が「孟嘗君の士の好みようはどれほどか」と問うと、公孫弘は答えた、「節義において天子にも臣従せず諸侯とも気安く交わらず、志が容れられれば人君の補佐となることも恥じず、志が容れられなければ人の臣下になろうとはしない――そういう者が三人います。統治にかけては管仲・商鞅の師となれるほどで、その義が受け入れられ進言が用いられれば、主君を覇王にまで押し上げられる――そういう者が五人います。万乗の厳めしい君主であっても、その使者を辱めれば、退いて自刎し、必ずその血で相手の衣を汚す――私のような者が七人おります」。昭王は笑って詫びて言った、「客人よ、どうしてそう気色ばむのか。私は孟嘗君と親しくしたいのだ。あなたが必ず謹んで私の気持ちを孟嘗君に伝えてくれることを願っている」。公孫弘は謹んで承知した。公孫弘は、辱められ侵されない者といえよう。昭王は大国の王、孟嘗君は千乗の君にすぎない。それでも千乗の主君の義を立てて侮られなかったのだから、公孫弘は真の士といえる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
戦国策・孟嘗君為從孟嘗君從を爲す。公孫弘孟嘗君に謂ひて曰く、「君何ぞ人をして先づ秦王を觀しめざる。意ふに秦王帝王の主ならば、君恐らくは臣爲るを得ざらん、奚(いづ)くにか從を以て之を難ずるに暇あらんや。意ふに秦王不肖の主ならば、君從を以て之を難ずとも、未だ晩からず。」孟嘗君曰く、「善し、願はくは因りて公に往かんことを請はん。」公孫弘敬しんで諾し、車十乘を以て秦に之く。昭王之を聞き、之を媿(はづか)しめんと欲して辭を以てす。公孫弘見ゆるに、昭王曰く、「薛公の地、大小幾何ぞ。」公孫弘對へて曰く、「百里なり。」昭王笑ひて曰く、「寡人の地數千里なるも、猶ほ未だ敢へて以て難有らざるなり。今孟嘗君の地方百里にして、因りて寡人を難ぜんと欲するも、猶ほ可ならんや。」公孫弘對へて曰く、「孟嘗君人を好むも、大王人を好まず。」昭王曰く、「孟嘗君の人を好むや、奚如(いかん)。」公孫弘曰く、「義天子に臣たらず、諸侯に友たらず、志を得れば人主爲るを慚ぢず、志を得ざれば人臣爲るを肯んぜず、此くの如き者三人。而して治は管・商の師爲る可く、義を説きて行を聽き、能く其の此くの如くならしむる者五人。萬乘の嚴主なり。其の使者を辱むれば、退きて自ら刎(くびは)ね、必ず其の血を以て其の衣を洿(けが)す者、臣の如き者十人。」昭王笑ひて之に謝して曰く、「客胡爲(なんす)れぞ此くの若くする、寡人直だ客と論ずるのみ。寡人孟嘗君を善しとし、客をして必ず寡人の志を諭さしめんと欲するなり。」公孫弘曰く、「敬んで諾せん。」公孫弘侵されずと謂ふ可し。昭王は、大國なり。孟嘗は、千乘なり。千乘の義を立てて陵(しの)がる可からず、士を使ふに足ると謂ふ可し。
-
説苑・正諫孟嘗君将に西のかた秦に入らんとす。賓客之を諫むること百通なるも、則ち聴かざるなり。曰わく、「人事を以て我を諫めば、我尽く之を知る。若し鬼道を以て我を諫めば、我則ち之を殺さん」と。謁者入りて曰わく、「客有り、鬼道を以て聞えんとす」と。曰わく、「客を請じ入れよ」と。客曰わく、「臣の来たるや、淄水の上を過ぎて、一の土耦人の方に木梗人と語るを見たり。木梗、土耦人に謂いて曰わく、『子は先んず、土なり。子を持して以て耦人と為す。天の大雨に遇い、水潦並び至らば、子必ず沮壊せん』と。応えて曰わく、『我沮すれば乃ち吾が真に反るのみ。今子は東園の桃なり。子を刻みて以て梗と為す。天の大雨に遇い、水潦並び至らば、必ず子を浮かべ、泛泛乎として止まる所を知らざらん』と。今秦は四塞の国にして、虎狼の心有り。恐らくは木梗の患有らん」と。是に於て孟嘗君逡巡して退き、以て応うる無く、卒に敢えて西のかた秦に嚮わず。
-
呂氏春秋・不侵①天下は身より輕し、而れども士は身を以て人の為にす。身を以て人の為にするは、此くの如く其れ重きなり、而れども人知らざれば、以て奚に道りてか相得ん。賢主は必ず自ら士を知る、故に士は力を盡くし智を竭くし、直言して交々爭いて、其の患いを辭せず。豫讓・公孫弘是れなり。是の時に當り、智伯・孟嘗君、之を知れり。世の人主は、地百里を得ば則ち喜び、四境皆賀す。士を得れば則ち喜ばず、相賀するを知らず。輕重に通ぜざればなり。
-
戦国策・孟嘗君出行國至楚孟嘗君國を出行し、楚に至り、象床を獻ず。郢の登徒、直(あた)りて之を送らしめられ、行くを欲せず。孟嘗君の門人公孫戍に見えて曰く、「臣は郢の登徒なり、直りて象床を送る。象床の直千金、此を傷つくること若し髮のごとく漂はば、妻子を賣るも償ふに足らず。足下能く僕をして行く無からしめば、先人に寶劍有り、願はくは獻ずるを得ん。」公孫曰く、「諾。」入りて孟嘗君に見えて曰く、「君豈に楚の象床を受くるか。」孟嘗君曰く、「然り。」公孫戍曰く、「臣願はくは君受くる勿かれ。」孟嘗君曰く、「何ぞや。」公孫戍曰く、「小國の皆相印を君に致す所以の者は、君齊に於て能く貧窮を振達し、存亡繼絕の義有るを聞けばなり。小國の英桀の士、皆國事を以て君を累はし、誠に君の義を説び、君の廉を慕ふなり。今君楚に到りて象床を受けば、未だ至らざる所の國、將た何を以て君を待たん。臣戍願はくは君受くる勿かれ。」孟嘗君曰く、「諾。」公孫戍趨りて去る。未だ出でざるに、中閨に至り、君召して之を返して曰く、「子文に象床を受くる無からしむ、甚だ善し。今何ぞ舉足の高く、志の揚がるや。」公孫戍曰く、「臣に大喜三有り、之に重ぬるに寶劍一有り。」孟嘗君曰く、「何の謂ひぞや。」公孫戍曰く、「門下百數なるも、敢へて入りて諫むる莫し、臣獨り入りて諫む、臣の一喜なり。諫めて聽くを得たり、臣の二喜なり。諫めて君の過ちを止めたり、臣の三喜なり。象床を輸するに、郢の登徒行くを欲せず、戍に先人の寶劍を以て許す。」孟嘗君曰く、「善し。之を受けたるか。」公孫戍曰く、「未だ敢へてせず。」曰く、「急ぎ之を受けよ。」因りて門版に書して曰く、「能く文の名を揚げ、文の過ちを止め、私に寶を外に得たる者有らば、疾く入りて諫めよ。」
-
説苑・善說張祿門を掌り、孟嘗君に見えて曰く、「衣新にして舊びず、倉庾盈ちて虛しからず、之を爲すに道有り、君も亦た之を知るか。」孟嘗君曰く、「衣新にして舊びざるは、則ち是れ脩なり。倉庾盈ちて虛しからざるは、則ち是れ富なり。之を爲すこと奈何せん。其の說聞くを得べきか。」張祿曰く、「願わくは君貴くして則ち賢を舉げ、富みて則ち貧を振わば、是くの若くんば則ち衣新にして舊びず、倉庾盈ちて虛しからざらん。」孟嘗君其の言を以て然りと爲し、其の意を說び、其の辭を辯じ、明日人をして黃金百斤、文織百純を奉ぜしめ、之を張先生に進む。先生辭して受けず。後に先生復た孟嘗君に見ゆ。孟嘗君曰く、「前に先生幸いに文に教えて曰く、『衣新にして舊びず、倉庾盈ちて虛しからず、之を爲すに說有り、汝も亦た之を知るか』と。文竊かに教えを說び、故に人をして黃金百斤、文織百純を奉ぜしめ、之を先生に進め、以て門內の贍らざる者に補わしむ。先生曷爲れぞ辭して受けざるか。」張祿曰く、「君將に君の偶錢を掘り、君の庾粟を發して以て士に補わんとせば、則ち衣弊れ履穿ちて贍らざるのみ。何ぞ衣新にして舊びず、倉庾盈ちて虛しからざるに暇あらんや。」孟嘗君曰く、「然らば則ち之を爲すこと奈何せん。」張祿曰く、「夫れ秦は四塞の國なり。遊宦する者入るを得ず。願わくは君吾が爲に丈尺の書を爲り、我を秦王に寄せよ。我往きて遇わば、固より君の入るるなり。往きて遇わずんば、人間謀を求むと雖も、固より臣に遇わじ。」孟嘗君曰く、「敬んで命を聞けり。」因りて之が爲に書し、之を秦王に寄す。往きて大いに遇せらる。秦王に謂いて曰く、「祿の來りて大王の境に入りしより、田疇益々辟け、吏民益々治まる。然れども大王に一つ得ざる者有り、大王之を知るか。」王曰く、「知らず。」曰く、「夫れ山東に相有り、所謂孟嘗君なる者、其の人賢人なり。天下急無ければ已む、急有れば則ち能く天下の雄俊の士を收め、之と交を合わせ友を連ぬる者、疑うらくは獨り此のみ。然らば則ち大王胡ぞ我が爲に之を友とせざる。」秦王曰く、「敬んで命を受けん。」千金を奉げて以て孟嘗君に遺る。孟嘗君食を輟めて之を察して寤りて曰く、「此れ張生の所謂衣新にして舊びず、倉庾盈ちて虛しからずとは。」
-
戦国策・孟嘗君在薛孟嘗君薛に在り、荊人之を攻む。淳于髡齊の爲に荊に使ひし、還反して薛を過ぐ。而して孟嘗人をして體貌せしめて親ら之を郊迎す。淳于髡に謂ひて曰く、「荊人薛を攻む、夫子憂へずんば、文以て復た侍する無からん。」淳于髡曰く、「敬んで命を聞かん。」齊に至り、畢く報ず。王曰く、「何をか荊に見る。」對へて曰く、「荊甚だ固く、而して薛も亦た其の力を量らず。」王曰く、「何の謂ひぞや。」對へて曰く、「薛其の力を量らずして、先王の爲に清廟を立つ。荊固くして之を攻む、清廟必ず危からん。故に薛力を量らずと曰ひ、荊も亦た甚だ固しと曰ふ。」齊王其の顏色を和らげて曰く、「譆(ああ)、先君の廟焉に在り。」疾く兵を興して之を救ふ。顛蹶の請、望拜の謁、得ると雖も則ち薄し。善く説く者は、其の勢を陳べ、其の方を言ふ、人の急なる、自ら隘窘の中に在るが若し、豈に強力を用ひんや。