説苑 / 尊賢
宋司城子罕之貴子韋也,入與共食,出與同衣;司城子罕亡,子韋不從,子罕來,復召子韋而貴之。左右曰:「君之善子韋也,君亡不從,來又復貴之,君獨不愧於君之忠臣乎?」子罕曰:「吾唯不能用子韋,故至於亡;今吾之得復也,尚是子韋之遺德餘教也,吾故貴之。且我之亡也,吾臣之削跡拔樹以從我者,奚益於吾亡哉?」
新字:宋司城子罕之貴子韋也,入与共食,出与同衣;司城子罕亡,子韋不従,子罕来,復召子韋而貴之。左右曰:「君之善子韋也,君亡不従,来又復貴之,君独不愧於君之忠臣乎?」子罕曰:「吾唯不能用子韋,故至於亡;今吾之得復也,尚是子韋之遺徳余教也,吾故貴之。且我之亡也,吾臣之削跡抜樹以従我者,奚益於吾亡哉?」
書き下し
宋の司城子罕の子韋を貴ぶや、入りては与に食を共にし、出でては与に衣を同じくす。司城子罕亡ぐるに、子韋従わず。子罕来たるに、復た子韋を召して之を貴ぶ。左右曰く、「君の子韋を善くするや、君亡げて従わず、来たれば又復た之を貴ぶ、君独り君の忠臣に愧じざるか」と。子罕曰く、「吾唯だ子韋を用いる能わざりしが故に、亡ぐるに至れり。今吾の復するを得るは、尚お是れ子韋の遺徳余教なり、吾故に之を貴ぶ。且つ我の亡ぐるや、吾が臣の跡を削り樹を抜きて以て我に従いし者、奚ぞ吾が亡ぐるに益あらんや」と。
現代語訳
宋の司城(官職名)である子罕は、子韋を重んじ、家にいる時は共に食事をし、外出する時は衣服を共にするほどであった。ところが子罕が(政変で国を)追われて出奔した際、子韋は付き従わなかった。子罕が復位して戻ってくると、再び子韋を呼び寄せて重用した。側近の者たちが言った。「あなたが子韋を良く思っていても、あなたが出奔した時には従わず、戻ってくればまた重用するとは。あなたはご自身の忠臣たちに恥じないのですか」。子罕は答えた。「私はただ子韋(の諫言)を用いることができなかったからこそ、出奔する羽目になったのだ。今、私が復位できたのも、なお子韋が残した徳や教えのおかげである。だから私は彼を重んじるのだ。それに、私が出奔した際、自分の足跡を消し木を抜いてまで私に付き従った家臣たちが、私の出奔そのものに何の益があっただろうか」と。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『格言聯璧』持躬類・己の不是を見るは萬善の門衆の惡むは必ず察す、衆の好むを必ず察するは易し。 自ら惡むは必ず察す、自ら好むを必ず察するは難し。 人の不是を見るは、諸惡の根なり。 己の不是を見るは、萬善の門なり。 過ちと爲さずの三字、多少の良心を昧卻す。 奈何ともする沒しの三字、多少の體面を抹卻す。
-
『呻吟語』内篇・修身・己が惡を攻むる者己が惡を攻むる者は、人の惡を攻むるに顧るを得ず。若し嘵嘵爾として人を雌黃せば、定めて是れ自ら治むること疏なる底ならん。
-
『酔古堂剣掃』集醒・時時に檢點し得到る事無ければ便ち閒雜の念頭有りや否やを思ひ、事有れば便ち粗浮の意氣有りや否やを思ふ。意を得れば便ち驕矜の辭色有りや否やを思ひ、意を失へば便ち怨望の情懷有りや否やを思ふ。時時に檢點し得到りて、多より少に入り、有より無に入る、才かに是れ學問の真消息なり。
-
『大和俗訓』巻之七・躬行下一夜にして後、けふのわが身のなせるわざを、よくかへりみて、ひが事あらば、後日のかがみとして、改めん事を思ふべし。毎夜かくの如くすべし。一人の身の上、さしあたりて為すべきこと多し。よく思ひて、油断なく、早くつとむべし。油断あれば、急なる事はさしおきて急がず、急ならざる事をいそぎて勤む。緩急をかんがへて、前後の次第を失ふべからす。さして用なき事をつとめ、いたづら事を好みて日をおくるは、はかなしといふべし。若き時は、殊にすべきわざにも心を用ひずして、むなしく過すこと多し。よくよく心をつくべし。
-
『近思録』巻2 為学若し往来憧憧然として、其の私心を用ひて以て物に感ずれば、則ち思ひの及ぶ所の者は、能く感じて動く有るも、及ばざる所の者は感ずること能はざるなり。係る有るの私心を以て、既に一隅一事に主たれば、豈に能く廓然として通ぜざる所無からんや。君子の艱阻に遇ふや、必ず自ら身を省みて、失有りて之を致すかと。未だ善ならざる所有れば則ち之を改む。心に歉(あきた)らざる無ければ則ち勉めを加ふ。乃ち自ら其の徳を修むるなり。明に非ざれば則ち動くも之く所無く、動に非ざれば則ち明も用ふる所無し。習は、重ねて習ふなり。時に復た思ひ繹ねて、中に浹洽すれば、則ち説ぶなり。善を以て人に及ぼして信従する者衆し、故に楽しむべきなり。人に及ぼすことを楽しむと雖も、是とせられずして悶ゆる無きは、乃ち所謂君子なり。
-
『大和俗訓』巻之七・躬行下一子曰、躬自ら厚くして、人を責むるに薄ければ、うらみに遠ざかる。言ふ意は、わが身の行をあつくし、十分に善くせんことを求めて、常に我が身の行のたらざる事を思ひて、つとめ行ふべし。人の足らざるをゆるして責むべからず。かくの如くすれば、人の怨なし。