説苑 / 尊賢
衛君問於田讓曰:「寡人封侯盡千里之地,賞賜盡御府繒帛而士不至,何也?」田讓對曰:「君之賞賜,不可以功及也;君之誅罰,不可以理避也;猶舉杖而呼狗,張弓而祝雞矣;雖有香餌而不能致者,害之必也。」
新字:衛君問於田譲曰:「寡人封侯尽千里之地,賞賜尽御府繒帛而士不至,何也?」田譲対曰:「君之賞賜,不可以功及也;君之誅罰,不可以理避也;猶舉杖而呼狗,張弓而祝鶏矣;雖有香餌而不能致者,害之必也。」
書き下し
衛君田譲に問いて曰く、「寡人封侯尽く千里の地、賞賜尽く御府の繒帛にして士至らざるは、何ぞや」と。田譲対えて曰く、「君の賞賜は、功を以て及ぼすべからず。君の誅罰は、理を以て避くべからず。猶お杖を挙げて狗を呼び、弓を張りて雞を祝るがごとし。香餌有りと雖も致す能わざるは、之を害すること必なればなり」と。
現代語訳
衛の君主が田譲に尋ねた。「私は諸侯に千里四方の領地を惜しみなく与え、恩賞は御府の絹織物をすべて与えているのに士が来ないのはなぜか。」田譲は答えた。「あなたの恩賞は功績に応じて与えられるわけではなく、刑罰も道理に基づいて避けられるものではありません。それは杖を振り上げながら犬を呼び寄せようとしたり、弓を張り絞りながら鶏を招き寄せようとするようなものです。香ばしい餌があっても引き寄せられないのは、必ず害を加えられると分かっているからです。」
解説
衛君は物質的な恩賞の豊かさを人材招致の条件として十分だと考えているが、田譲は、恩賞や処罰の運用が功績や道理と結びついていない限り、どれほど餌が魅力的でも警戒されて誰も寄りつかないと指摘する。杖を振り上げながら犬を呼ぶ、弓を引き絞りながら鶏を招くという比喩は、報酬制度そのものよりも、それが公正な基準に基づいて運用されているかという「信頼」こそが人を引き寄せる本質であることを鋭く示しており、高い給与や好待遇を掲げても人事評価の恣意性や理不尽な処分が横行していれば人材が定着しない現代の組織にも重なる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
信賞必罰公正さ信頼
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