韓非子 / 孤憤第十一
治辯之功制於近習,精潔之行決於毁譽,則脩智之吏廢,則人主之明塞矣。
新字:治弁之功制於近習,精潔之行決於毀誉,則脩智之吏廃,則人主之明塞矣。
書き下し
治辯の功、近習に制せられ、精潔行い、毀譽に決せらるれば、則ち修智の吏廢せられ、而して人主の明塞る。
現代語訳
治績の功績が側近たちによって阻まれ、清廉な行いが世間の評判で決められるならば、知恵を修めた役人は廃され、君主の目は塞がれる。
解説
きちんと仕事をこなした功績が、そばに仕える者たちによって握りつぶされ、清く正しい行いが世間の評判だけで決められてしまうと、知恵と実力を備えた役人はやる気をなくして去り、人の上に立つ者は物事が見えなくなってしまう、という話です。清廉で有能な人が、実際の働きより「周りからどう見られているか」や「側近にどれだけ気に入られているか」で評価される場では、真面目に働く人ほど嫌気がさして離れていきます。そうなると、上に立つ人の周りには都合の良いことしか言わない人ばかりが残り、本当のことが伝わらなくなってしまいます。これは会社だけでなく、家庭や地域の集まりでも起こり得ることです。本当に頼りになる人を遠ざけてしまえば、後に残るのは表面だけを取り繕う人たちだけになる、という戒めです。
この章句が説くこと
清廉潔白コンプライアンス社内政治人材流出裸の王様
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