戦国策 / 韓珉相齊
韓珉相齊,令吏逐公疇豎,大怒於周之留成陽君也。謂韓珉曰:「公以二人者為賢人也,所入之國,因用之乎?則不如其處小國。何也?成陽君為秦去韓,公疇豎,楚王善之。今公因逐之,二人者必入秦、楚,必為公患。且明公之不善於天下。天下之不善公者,與欲有求於齊者,且收之,以臨齊而市公。」
新字:韓珉相斉,令吏逐公疇豎,大怒於周之留成陽君也。謂韓珉曰:「公以二人者為賢人也,所入之国,因用之乎?則不如其処小国。何也?成陽君為秦去韓,公疇豎,楚王善之。今公因逐之,二人者必入秦、楚,必為公患。且明公之不善於天下。天下之不善公者,与欲有求於斉者,且収之,以臨斉而市公。」
書き下し
韓珉齊に相たり、吏をして公疇豎を逐わしめ、周の成陽君を留むるに大いに怒る。韓珉に謂いて曰く、「公二人の者を以て賢人と為さば、入る所の國、因りて之を用いんか。則ち其の小國に處るに如かず。何ぞや。成陽君秦の為に韓を去り、公疇豎は、楚王之を善しとす。今公因りて之を逐わば、二人の者必ず秦・楚に入り、必ず公の患いと為らん。且つ公の天下に善からざるを明らかにす。天下の公を善しとせざる者、與に齊に求むる有らんと欲する者、且に之を收めて、以て齊に臨みて公を市らんとす。」
現代語訳
韓珉が斉の宰相となり、役人に命じて公疇豎を追放させ、周が成陽君を(周に)引き留めていることに大いに怒った。ある人が韓珉に言った。「あなたがこの二人を賢人だと認めるなら、彼らが入国した国はそのまま彼らを用いればよいはずです。むしろそれが小国にとっては望ましいことでしょう。なぜなら、成陽君は秦のために韓を去った人物であり、公疇豎は楚王がその人物を高く評価しているからです。今、あなたがこの二人をわざわざ追放すれば、彼らは必ず秦・楚へ入り込み、必ずあなたにとっての禍となるでしょう。それに、あなたが天下の人材に対して寛容でないことを世に示すことにもなります。天下にはあなたを快く思わない者や、あなたを通じて斉に何かを求めようとする者たちがいますが、そうした者たちがこの二人を取り込み、それを材料に斉に取り入り、あなたを陥れようとするでしょう。」
解説

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