三略 / 中略
軍勢曰:使義士,不以財。故義者,不為不仁者死。智者,不為闇主謀。
書き下し
軍勢に曰く、義士を使ふに、財を以てせず。故に義なる者は、不仁の者の為に死せず。智なる者は、闇主の為に謀らず。
現代語訳
軍勢に言う。義を重んじる者を動かすのに、財貨を用いてはならない。だから義ある者は、思いやりのない者のために命を捨てはしない。知恵ある者は、道理に暗い主君のために策を巡らしはしない。
解説
人を動かす手段は相手によって変えねばならない、という前段の用人論を、さらに踏み込んで述べた一段です。義を重んじる人は、金銭で釣られることを侮辱と受け取ります。彼らが身を投じるのは、その相手が仁のある人物だと信じられるときだけです。同じく知恵ある人は、道理をわきまえない主君のためには頭を使いません。優れた人材ほど、報酬ではなく相手の人格と志を見て身の置きどころを決めるということです。ここには、経営者にとって耳の痛い含意があります。優秀な人が採れない、あるいは去っていくとき、原因を待遇の不足に求めがちですが、実際には自分自身が信頼に値する人物として見られていないだけかもしれません。高い志を持つ人を迎えたいなら、まず迎える側が志と誠実さを備えているかが問われます。人は条件に応募し、人物に付いていくのです。
この章句が説くこと
義士報酬の限界人格と信頼人材流出
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 楚、奔命に罷る晉將に遁れんとす。雍子命を軍に發して曰く、『老幼を歸し、孤疾を反し、二人役すれば一人を歸せ。兵を簡び乘を蒐め、馬に秣ひ蓐食し、師陳して次を焚け。明日將に戰はんとす』と。歸る者を行かしめ、而して楚の囚を逸す。楚師宵に潰ゆ。晉彭城を降し、而して諸を宋に歸し、魚石を以て歸る。楚東夷を失ひ、子辛之に死す。則ち雍子の為す所なり。子反子靈と夏姬を爭ひて、其の事を雍害す。子靈晉に奔る。晉人之に邢を與へ、以て謀主と為す。北狄を扞禦し、吳を晉に通じ、吳に楚に叛くことを教へ、之に乘車・射御・驅侵を教へ、其の子狐庸をして吳の行人為らしむ。吳是に於いて巢を伐ち、駕を取り、棘に克ち、州來に入る。楚奔命に罷る。今に至るまで患ひを為す。則ち子靈の為す所なり。若敖の亂に、伯賁の子賁皇晉に奔る。晉人之に苗を與へ、以て謀主と為す。鄢陵の役に、楚晨に晉軍に壓して陳す。晉將に遁れんとす。苗賁皇曰く、『楚師の良は其の中軍の王族に在るのみ。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 楚材晋用對へて曰く、「晉の卿は楚に如かず。其の大夫は則ち賢なり。皆卿の材なり。杞梓・皮革の、楚より往くが如し。楚に材有りと雖も、晉實に之を用ゐる」と。子木曰く、「夫れ獨り族姻無からんや」と。對へて曰く、「有りと雖も、楚の材を用ゐること實に多し。歸生之を聞く、善く國を為むる者は、賞僭はずして刑濫れず。賞僭へば則ち淫人に及ばんことを懼れ、刑濫るれば則ち善人に及ばんことを懼る。若し不幸にして過たば、寧ろ僭ふとも濫るること無かれ。其の善を失はんよりは、寧ろ其れ淫を利せよ。善人無ければ、則ち國之に從ふ。詩に曰く、『人の云に亡ぶる、邦國殄瘁す』と。善人無きの謂ひなり。故に夏書に曰く、『其の不辜を殺さんよりは、寧ろ不經を失せよ』と。善を失はんことを懼るるなり。商頌に之有りて曰く、『僭はず濫れず、敢へて怠皇せず。下國に命じて、厥の福を封建す』と。此れ湯の天福を獲たる所以なり。古の民を治むる者は、賞を勸めて刑を畏れ、民を恤へて倦まず。賞するに春夏を以てし、刑するに秋冬を以てす。是を以て將に賞せんとすれば之が為に膳を加ふ。膳を加ふれば則ち飫賜す。此を以て其の賞を勸むるを知るなり。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 賞を勧め刑を畏る將に刑せんとすれば之が為に舉げず。舉げざれば則ち樂を徹す。此を以て其の刑を畏るるを知るなり。夙に興き夜に寐ね、朝夕政に臨む。此を以て其の民を恤ふるを知るなり。三者は禮の大節なり。禮有れば敗るること無し。今楚淫刑多く、其の大夫死を四方に逃れて、之が謀主と為り、以て楚國を害す。救療すべからず。所謂能はざるなり。子儀の亂に、析公晉に奔る。晉人諸を戎車の殿に寘き、以て謀主と為す。繞角の役に、晉將に遁れんとす。析公曰く、『楚師は輕窕にして、震蕩し易し。若し多く鼓を鈞しく聲して夜を以て之に軍せば、楚師必ず遁れん』と。晉人之に從ふ。楚師宵に潰ゆ。晉遂に蔡を侵し沈を襲ひ、其の君を獲、申・息の師を桑隧に敗り、申麗を獲て還る。鄭是に於いて敢へて南面せず。楚華夏を失ふは、則ち析公の為す所なり。雍子の父兄雍子を譖す。君と大夫と是を善とせず。雍子晉に奔る。晉人之に鄐を與へ、以て謀主と為す。彭城の役に、晉・楚靡角の谷に遇ふ。
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 礼は政の輿冬、曹の武公來朝す、始めて見ゆるなり。商任に會す、欒氏を錮するなり。齊侯・衛侯、敬せず。叔向曰く、「二君は必ず免れざらん。會朝は禮の經なり。禮は政の輿なり。政は身の守りなり。禮を怠れば政を失ひ、政を失へば立たず。是を以って亂るるなり」と。知起・中行喜・州綽・邢蒯、出でて齊に奔る。皆欒氏の黨なり。樂王鮒范宣子に謂ひて曰く、「盍ぞ州綽・邢蒯を反さざる。勇士なり」と。宣子曰く、「彼は欒氏の勇なり。余何をか獲ん」と。王鮒曰く、「子彼の欒氏と為らば、乃ち亦た子の勇なり」と。齊の莊公朝して殖綽・郭最を指して曰く、「是れ寡人の雄なり」と。州綽曰く、「君以って雄と為さば、誰か敢へて雄とせざらん。然れども臣は不敏なれど、平陰の役に、二子に先んじて鳴けり」と。莊公勇爵を為る。殖綽・郭最、與らんと欲す。州綽曰く、「東閭の役に、臣の左驂迫られ、門中に還りて、其の枚數を識れり。其れ以って此に與る可きか」と。公曰く、「子は晉君の為なり」と。對へて曰く、「臣の隸為るは新たなり。然れども二子は、諸を禽獸に譬ふれば、臣其の肉を食らひて、其の皮に寢處せり」と。
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『春秋左氏伝』成公十六年 巣車に登る楚子巢車に登りて以って晉の軍を望む。子重大宰伯州犁をして王の後に侍せしむ。王曰く、「騁せて左右するは、何ぞや」と。曰く、「軍吏を召すなり」と。「皆中軍に聚まれり」と。曰く、「合謀するなり」と。「幕を張れり」と。曰く、「虔みて先君に卜するなり」と。「幕を徹せり」と。曰く、「將に命を發せんとするなり」と。「甚だ囂しく、且つ塵上れり」と。曰く、「將に井を塞ぎ灶を夷らげて行を為さんとするなり」と。「皆乘れり。左右兵を執りて下れり」と。曰く、「誓を聽くなり」と。「戰はんか」と。曰く、「未だ知る可からざるなり」と。「乘りて左右皆下れり」と。曰く、「戰禱するなり」と。伯州犁公卒を以って王に告ぐ。苗賁皇晉侯の側に在り、亦た王卒を以って告ぐ。皆曰く、「國士在り、且つ厚し。當る可からざるなり」と。苗賁皇晉侯に言ひて曰く、「楚の良は、其の中軍の王族に在るのみ。請ふ良を分ちて以って其の左右を擊ち、而して三軍王卒に萃まらば、必ず大いに之を敗らん」と。公之を筮す。史曰く、「吉なり。其の卦は復に遇ふ。曰く、『南國蹙まり、其の元を射る。王厥の目に中る』と。國蹙まり王傷つく、敗れずして何をか待たん」と。公之に從ふ。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 班荊道故左師曰く、「誰をか君夫人と為す。余胡ぞ知らざる」と。圉人歸りて以て夫人に告ぐ。夫人之に錦と馬とを饋らしめ、之に先だつに玉を以てして曰く、「君の妾棄、某をして獻ぜしむ」と。左師命を改めて「君夫人」と曰ひ、而る後に再拜稽首して之を受く。鄭伯晉より歸り、子西をして晉に如きて聘せしむ。辭して曰く、「寡君來りて執事を煩はし、戾を免れざるを懼る。夏をして不敏を謝せしむ」と。君子曰く、「善く大國に事ふ」と。初め、楚の伍參蔡の太師子朝と友たり。其の子伍舉聲子と相善し。伍舉王子牟に娶る。王子牟申公と為りて亡ぐ。楚人曰く、「伍舉實に之を送れり」と。伍舉鄭に奔り、將に遂に晉に奔らんとす。聲子將に晉に如かんとし、之に鄭の郊に遇ふ。荊を班きて相與に食ひ、故に復するを言ふ。聲子曰く、「子行け。吾必ず子を復せん」と。宋の向戌將に晉・楚を平らげんとするに及び、聲子使ひを晉に通じ、還りて楚に如く。令尹子木之と語り、晉の故を問ふ。且つ曰く、「晉の大夫と楚と孰れか賢なる」と。
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