説苑 / 政理
齊人甚好轂擊相犯以為樂,禁之不止,晏子患之,乃為新車良馬出與人相犯也,曰:「轂擊者不祥,臣其察祀不順,居處不敬乎?」下車棄而去之,然後國人乃不為。故曰:「禁之以制,而身不先行也,民不肯止,故化其心莫若教也。」
新字:斉人甚好轂擊相犯以為楽,禁之不止,晏子患之,乃為新車良馬出与人相犯也,曰:「轂擊者不祥,臣其察祀不順,居処不敬乎?」下車棄而去之,然後国人乃不為。故曰:「禁之以制,而身不先行也,民不肯止,故化其心莫若教也。」
書き下し
斉人甚だ轂を撃ちて相犯すを好みて以て楽しみと為す。之を禁ずれども止まず。晏子之を患え、乃ち新車良馬を為りて出でて人と相犯すや、曰く、「轂を撃つは不祥なり、臣其れ祭祀順わず、居処敬まざるか。」車を下りて棄てて之を去る。然る後国人乃ち為さず。故に曰く、「之を禁ずるに制を以てして、身自ら先んじて行わざれば、民肯えて止まらず。故に其の心を化するは教うるに若くは莫し。」
現代語訳
斉の人々は車の轂(こしき、車輪の中心部)をぶつけ合わせて競うことをひどく好み、それを娯楽としていた。禁令を出しても止まなかった。晏子はこれを憂い、そこで新しい車と良い馬を用意し、自ら外に出て人と轂をぶつけ合ってから、こう言った。「轂をぶつけ合うのは不吉なことだ。私の祭祀のやり方が正しくなかったのか、日頃の身の処し方が慎み深くなかったのか。」そして車を降り、その車を捨てて立ち去った。そうした後、国中の人々はもうこの遊びをしなくなった。だからこう言うのだ。「規則によって禁じるだけで、自分自身が率先して行わなければ、民は納得して止めようとしない。だから民の心を教化するには、教え諭す(自ら模範を示す)ことに勝るものはないのだ。」
解説
前の逸話(男装禁止)と対をなす構成で、今度は禁令ではなく自らの行動によって風習を変える方法が示される。晏子は法や罰則で禁じるのではなく、あえて自らその行為をした上で「これは不吉なことであり、自分の日頃の慎みが足りなかったからだ」と自己を省みる姿勢を演じ、車を捨てるという象徴的な行為によって民衆に手本を示した。禁止という強制ではなく、自ら悪しき習慣を恥じて捨て去る姿を見せることで人々の心を動かしたのである。ルールや罰則をいくら整備しても人の心からの納得がなければ行動は変わらず、率先して模範を示し、価値観そのものに働きかける教化にこそ真の効果があるという教訓は、現代の職場や社会運動における行動変容の難しさにも重なる。
この章句が説くこと
率先垂範教化禁令の限界
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