説苑 / 政理
復槁之君朝齊,桓公問治民焉,復槁之君不對,而循口操衿抑心,桓公曰:「與民共甘苦饑寒乎?」「夫以我為聖人也,故不用言而諭。」因禮之千金。晉文公時,翟人有封狐、文豹之皮者,文公喟然嘆曰:「封狐文豹何罪哉?以其皮為罪也。」大夫欒枝曰:「地廣而不平,財聚而不散,獨非狐豹之罪乎?」文公曰:「善哉!說之。」欒枝曰:「地廣而不平,人將平之;財聚而不散,人將爭之。」於是列地以分民,散財以賑貧。
新字:復槁之君朝斉,桓公問治民焉,復槁之君不対,而循口操衿抑心,桓公曰:「与民共甘苦饑寒乎?」「夫以我為聖人也,故不用言而諭。」因礼之千金。晉文公時,翟人有封狐、文豹之皮者,文公喟然嘆曰:「封狐文豹何罪哉?以其皮為罪也。」大夫欒枝曰:「地広而不平,財聚而不散,独非狐豹之罪乎?」文公曰:「善哉!説之。」欒枝曰:「地広而不平,人将平之;財聚而不散,人将争之。」於是列地以分民,散財以賑貧。
書き下し
復槁の君、斉に朝す。桓公、治民を問う。復槁の君対えず、口を循り衿を操りて心を抑う。桓公曰く、「民と甘苦飢寒を共にするか。」復槁の君曰く、「夫れ我を以て聖人と為せばなり。故に言を用いずして諭る。」桓公因りて之を礼するに千金を以てす。晋の文公の時、翟人に封狐・文豹の皮を有つ者あり。文公喟然として嘆じて曰く、「封狐・文豹何の罪かあらん、其の皮を以て罪と為さるるなり。」大夫欒枝曰く、「地広くして平らかならず、財聚まりて散ぜず、独り狐豹の罪に非ざらんや。」文公曰く、「善きかな、之を説け。」欒枝曰く、「地広くして平らかならざれば、人将に之を平らかにせんとす。財聚まりて散ぜざれば、人将に之を争わんとす。」是に於て地を列ねて以て民に分ち、財を散じて以て貧を賑わす。
現代語訳
復槁の君が斉の朝廷に参内した。桓公が民を治める方法を尋ねると、復槁の君は答えず、ただ口元をなぞり衿を整え、心を抑えるような仕草をした。桓公が「民と苦楽や飢え寒さを共にしているのか」と尋ねると、復槁の君は初めて「それは私を聖人だと見なしてくれたからでしょう。だから言葉を用いずに悟らせたのです」と答えた。桓公はそこで彼を厚く礼遇し、千金を贈った。晋の文公の時代、北方の異民族である翟人の中に、狐や豹の見事な毛皮を持つ者がいた。文公はため息をついて嘆いて言った。「大狐や文豹に何の罪があろうか。その美しい毛皮ゆえに罪(狩られる運命)を負わされているのだ。」大夫の欒枝が言った。「土地が広いのに統治が行き届かず、財が集まるばかりで分配されない。それもまた狐や豹の毛皮と同じ罪ではないでしょうか。」文公は「なるほど、それを説明せよ」と言った。欒枝は言った。「土地が広いのに行き届かなければ、人々はそれを平らにしよう(奪い取ろう)とします。財が集まるばかりで分配されなければ、人々はそれを争おうとします。」そこで文公は土地を分けて民に与え、財を分けて貧しい者を救済した。
解説
この章句が説くこと
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説苑・建本文公、咎季を見るに、其の廟西牆に傅く。公曰わく、「孰か処りて西せる」と。対えて曰わく、「君の老臣なり」と。公曰わく、「西のかた而の宅を益せ」と。対えて曰わく、「臣の忠は老臣の力に如かず、其の牆壊れて築かず」と。公曰わく、「何ぞ築かざる」と。対えて曰わく、「一日稼せずんば、百日食わず」と。公出でて之を僕に告ぐ。僕軫に稽首して曰わく、「呂刑に云う、『一人慶い有れば、兆民之に頼る』と。君の明は、群臣の福なり」と。乃ち国に令して曰わく、「宮室を淫にして以て人の宅を妨ぐる毋かれ、板築時を以てし、農功を奪う無かれ」と。
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『新序』雜事第二晉の文公麋を逐いて之を失う。農夫老古に問いて曰く、吾が麋は何くに在る、と。老古足を以て指して曰く、是くの如く往けり、と。公曰く、寡人子に問うに、足を以て指すは、何ぞや、と。老古衣を振るいて起ちて曰く、一に人君の此くの如きを意わざるなり。虎豹の居るや、閒を厭いて人に近づく。故に得らる。魚鼈の居るや、深きを厭いて淺きに之く。故に得らる。諸侯は衆を厭いて其の國を亡う。詩に云う、維れ鵲に巢有り、維れ鳩之に居る、と。君放きて歸らずんば、人將に君たらんとす、と。是に於いて文公恐る。歸りて欒武子に遇う。欒武子曰く、獵して獸を得たるか。而も悦色有り、と。文公曰く、寡人麋を逐いて之を失う。善言を得たり。故に悦色有り、と。欒武子曰く、其の人安くに在りや、と。曰く、吾未だ與に來たらざるなり、と。欒武子曰く、上位に居りて其の下を恤れまざるは、驕なり。令を緩くして誅を急にするは、暴なり。人の言を取りて其の身を棄つるは、盜なり、と。文公曰く、善し、と。還りて老古を載せ、與に俱に歸る。
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『塩鉄論』救匱篇賢良曰く、蓋し枉を橈ぐる者は直を以てし、文を救う者は質を以てす。昔者、晏子齊に相たり、一狐裘三十載なり。故に民奢れば、之に示すに儉を以てし、民儉なれば、之に示すに禮を以てす。方今公卿大夫の子孫、誠に能く車輿を節し、衣服を適し、躬ら親ら節儉し、率いるに敦樸を以てし、園池を罷め、田宅を損じ、內は市列に事無く、外は山澤に事無くんば、農夫は其の功を施す所有り、女工は其の業を粥ぐ所有り、是くの如くんば、則ち氣脈和平にして、聚不足の病無からん。
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説苑・反質齊の桓公管仲に謂いて曰く、「吾が國甚だ小にして、財用甚だ少なきに、群臣の衣服輿駕甚だ汰なり、吾之を禁ぜんと欲す、可なるか?」管仲曰く、「臣之を聞く、君之を嘗むれば、臣之を食らう。君之を好めば、臣之を服す。今君の食らうや必ず桂の漿、練紫の衣を衣、狐白の裘なり。此れ群臣の奢汰する所なり。詩に云う、『躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。』君之を禁ぜんと欲せば、胡ぞ自ら親らせざる?」と。桓公曰く、「善し。」と。是に於て練帛の衣、大白の冠に更制し、朝すること一年にして齊國儉なり。
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説苑・反質季文子魯に相たり、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず。仲孫它諫めて曰く、「子魯の上卿為るに、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず、人其れ子を以て愛と為し、且つ國を華ならしめずと為さん。」と。文子曰く、「然るか?吾國人の父母の麤を衣、蔬を食らうを觀る、吾是を以て敢えてせざるなり。且つ吾聞く君子は德を以て國を華ならしむ、妾と馬とを以てすとは聞かず。夫れ德とは我に得て、又彼に得る、故に行うべし。若し奢侈に淫し、文章に沈まば、自ら反る能わず、何を以て國を守らんや?」仲孫它慚じて退く。
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『新序』雜事第二晉の文公出でて田し獸を逐い、碭として大澤に入り、迷いて出づる所を知らず。其の中に漁者有り。文公謂いて曰く、我は若が君なり。道は安くより出でん。我且に厚く若に賜わんとす、と。漁者曰く、臣願わくは獻ずる有らん、と。公曰く、澤を出でて之を受けん、と。是に於いて遂に澤を出づ。公令して曰く、子の寡人に教えんと欲する所の者は、何等ぞや。願わくは之を受けん、と。漁者曰く、鴻鵠は河海の中に保つ。厭きて小澤に移徙せんと欲すれば、則ち必ず九繒の憂い有り。黿鼉は深淵に保つ。厭きて淺渚に出づれば、則ち必ず羅網釣射の憂い有り。今君獸を逐い、碭として入りて此に至る。何ぞ行くことの太だ遠きや、と。文公曰く、善いかな、と。從者に謂いて漁者の名を記さしむ。漁者曰く、君何ぞ名を以てせん。君其れ天を尊び地に事え、社稷を敬し、四國を固くし、萬民を慈愛し、賦斂を薄くし、租税を輕くせば、臣も亦た焉に與らん。君社稷を敬せず、四國を固くせず、外は禮を諸侯に失い、内は民心に逆らわば、一國流亡す。漁者厚賜を得と雖も、保つ能わざるなり、と。遂に辭して受けず。曰く、君亟かに國に歸れ。臣も亦た吾が漁する所に反らん、と。