説苑 / 復恩
楚人獻黿於鄭靈公,公子家見公子宋之食指動,謂公子家曰:「我如是必嘗異味。」及食大夫黿,召公子宋而不與;公子宋怒,染指於鼎,嘗之而出,公怒欲殺之。公子宋與公子家先遂殺靈公。子夏曰:「春秋者,記君不君,臣不臣,父不父,子不子者也;此非一日之事也,有漸以至焉。」
新字:楚人献黿於鄭霊公,公子家見公子宋之食指動,謂公子家曰:「我如是必嘗異味。」及食大夫黿,召公子宋而不与;公子宋怒,染指於鼎,嘗之而出,公怒欲殺之。公子宋与公子家先遂殺霊公。子夏曰:「春秋者,記君不君,臣不臣,父不父,子不子者也;此非一日之事也,有漸以至焉。」
書き下し
楚人黿を鄭の霊公に献ず、公子家公子宋の食指の動くを見て、公子家に謂ひて曰く、「我是くの如くんば必ず異味を嘗めん」と。食に及びて大夫黿を食するに、公子宋を召して与へず、公子宋怒り、指を鼎に染め、之を嘗めて出づ、公怒りて之を殺さんと欲す、公子宋公子家と先んじて遂に霊公を殺す。子夏曰く、「春秋は、君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらざる者を記すなり、此れ一日の事に非ざるなり、漸有りて以て焉に至るなり」と。
現代語訳
楚の人が大きな亀(黿)を鄭の霊公に献上した。公子家は公子宋の人差し指が動くのを見て、公子家に言った、「私はこのようになると、必ず珍しい味を口にすることになるのだ」と。食事の際、大夫たちが黿の肉を食べることになったが、霊公は公子宋を呼びながら、あえて彼にはその肉を与えなかった。公子宋は怒り、自ら指を鼎の中に浸してその味を確かめてから退出した。霊公は怒ってこれを殺そうとしたが、逆に公子宋は公子家と共謀し、先んじて霊公を殺してしまった。子夏はこれについて言った、「春秋という書物は、主君が主君らしくなく、臣下が臣下らしくなく、父が父らしくなく、子が子らしくない事例を記録するものだ。これは一日にして起こったことではなく、次第に積み重なってこの結末に至ったのである」と。
解説

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史記 陳杞世家靈公其の大夫孔寧・儀行父と皆夏姬に通じ、其の衣を衷にして以て朝に戯る。泄冶諫めて曰く、「君臣淫乱すれば、民何をか效はん」と。靈公以て二子に告ぐ、二子泄冶を殺さんことを請ふ、公禁ぜず、遂に泄冶を殺す。十五年、靈公二子と夏氏に飲む。公二子に戯れて曰く、「徵舒汝に似たり」と。二子曰く、「亦た公に似たり」と。徵舒怒る。靈公酒を罷めて出づ、徵舒弩を廏門に伏せて靈公を射殺す。
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