説苑 / 復恩
齊懿公之為公子也,與邴歜之父爭田,不勝。及即位,乃掘而刖之,而使歜為僕;奪庸織之妻,而使織為參乘;公游於申池,二人浴於池,歜以鞭抶織,織怒,歜曰:「人奪女妻,而不敢怒;一抶女,庸何傷!」織曰:「孰與刖其父而不病,奚若?」乃謀殺公,納之竹中。
新字:斉懿公之為公子也,与邴歜之父争田,不勝。及即位,乃掘而刖之,而使歜為僕;奪庸織之妻,而使織為参乗;公游於申池,二人浴於池,歜以鞭抶織,織怒,歜曰:「人奪女妻,而不敢怒;一抶女,庸何傷!」織曰:「孰与刖其父而不病,奚若?」乃謀殺公,納之竹中。
書き下し
斉の懿公其の公子為りしとき、邴歜の父と田を争ひて、勝たず。即位するに及び、乃ち掘りて之を刖り、歜をして僕たらしむ。庸織の妻を奪ひて、織をして参乗たらしむ。公申池に游ぶ、二人池に浴す、歜織を鞭を以て抶つ、織怒る、歜曰く、「人女の妻を奪ふも、敢へて怒らず、一たび女を抶つ、庸ぞ何をか傷まん」と。織曰く、「其の父を刖りて病まざるに孰与ぞ、奚若ぞ」と。乃ち公を殺さんことを謀り、之を竹中に納る。
現代語訳
斉の懿公はまだ公子であった頃、邴歜の父と田地を争ったが、勝つことができなかった。即位すると、懿公はその父の遺体を掘り出してその足を切断し、邴歜を自分の御者にさせた。さらに庸織の妻を奪い、庸織を自分の車の右側に乗る従者にさせた。ある日、懿公が申池で遊んだ際、この二人も池で水浴びをした。邴歜が鞭で庸織を打った。庸織が怒ると、邴歜は言った、「殿はお前の妻を奪ったのに、お前はあえて怒りもしなかったではないか。私が一度お前を打っただけで、それが何だというのか」と。庸織は言った、「私の妻を奪われたことと、お前の父の遺体の足を切断されて平然としていることと、どちらがひどいというのか」と。そこで二人は懿公を殺す相談をし、その遺体を竹薮の中に投げ捨てた。
解説
この一節は復恩篇の中で唯一、恩ではなく怨みの連鎖と復讐が主君を滅ぼす結末に至る逸話であり、他の美談群と鮮烈な対比をなす。懿公が公子時代の私怨から、即位後に死者への冒涜(父の足を切断する)と生者への横暴(妻を奪う)という二重の屈辱を家臣に与え続けた結果、その二人の被害者同士が互いの屈辱を比べ合う中で連帯し、最終的に主君を弑逆するに至る。恩を忘れず必ず報いるという説苑全体の論理は、その裏返しとして、怨みもまた決して消えず必ず報復されるという warning を内包する。権力者が私的な恨みを公的な地位を使って晴らそうとするとき、その屈辱を受けた者たちの間に生まれる連帯こそが、いずれ自分自身を滅ぼす刃になるという教訓である。
この章句が説くこと
怨みの連鎖私怨と公権力因果応報の裏面
関連する章句
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