孔子家語 / 正論解
孔子覽《晉志》。晉趙穿殺靈公,趙盾亡,未及山而還。史書:「趙盾弒君。」盾曰:「不然。」史曰:「子為正卿,亡不出境,返不討賊;非子而誰?」盾曰:「嗚呼!『我之懷矣,自詒伊戚。』其我之謂乎?」孔子嘆曰:「董狐,古之良史也;書法不隱。趙宣子,古之良大夫也;為法受惡。惜也,越境乃免。」
新字:孔子覧《晋志》。晋趙穿殺霊公,趙盾亡,未及山而還。史書:「趙盾弒君。」盾曰:「不然。」史曰:「子為正卿,亡不出境,返不討賊;非子而誰?」盾曰:「嗚呼!『我之懐矣,自詒伊戚。』其我之謂乎?」孔子嘆曰:「董狐,古之良史也;書法不隠。趙宣子,古之良大夫也;為法受悪。惜也,越境乃免。」
書き下し
孔子《晉志》を覽る。晉の趙穿、靈公を殺す、趙盾亡げしも、未だ山に及ばずして還る。史書す、「趙盾君を弒す。」盾曰く、「然らず。」史曰く、「子は正卿為り、亡げて境を出でず、返りて賊を討たず、子に非ずして誰ぞや。」盾曰く、「嗚呼、『我之を懷う、自ら伊(こ)の戚を詒す。』其れ我を之れ謂うか。」孔子嘆じて曰く、「董狐は、古の良史なり、書法隱さず。趙宣子は、古の良大夫なり、法の為に惡を受く。惜しいかな、境を越えなば乃ち免れしを。」
現代語訳
孔子が『晋の記録』を読んでいたときのことである。晋の趙穿が霊公を殺害した。趙盾は逃亡していたが、まだ国境の山に到達しないうちに引き返した。史官(董狐)はこれを「趙盾がその君主を弑した」と記録した。趙盾は「そうではない」と言ったが、史官は言った。「あなたは正卿(執政大臣)でありながら、亡命しても国境を出ておらず、戻ってきても賊を討伐していない。あなたでなければ誰の罪だというのか。」趙盾は言った。「ああ、『我はこれを懐い(思い悩み)、自らこの憂いを招いた』とは、まさに私のことを言っているのだろう。」孔子は嘆じて言った。「董狐は、昔のすぐれた史官である。記録の仕方に隠すところがない。趙宣子(趙盾)は、昔のすぐれた大夫である。法(記録の道理)のために悪名を受け入れた。惜しいことだ、もし国境を越えていれば、その罪を免れられただろうに。」
解説

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『春秋左氏伝』宣公二年 董狐の筆以って朝に示す。宣子曰く、「然らず」と。對へて曰く、「子は正卿為り、亡げて竟を越えず、反りて賊を討たず。子に非ずして誰ぞ」と。宣子曰く、「嗚呼、『我の懷(おも)ひ、自ら伊(こ)の慼(うれ)ひを詒(のこ)す』とは、其れ我の謂なり」と。孔子曰く、「董狐は、古の良史なり、書法隱さず。趙宣子は、古の良大夫なり、法の為に惡を受く。惜しいかな、竟を越えなば乃ち免れん」と。宣子趙穿をして公子黑臀を周に逆へしめて、之を立つ。壬申、武宮に朝す。初め、麗姬の亂に、群公子を畜ふ無からんことを詛ふ。是より晉に公族無し。成公即位するに及び、乃ち卿の適子を宦して、之が為に田を為して、以って公族と為す。又其の餘子を宦して、亦た餘子と為す。其の庶子を公行と為す。晉是に於いて公族・餘子・公行有り。趙盾括を以って公族と為さんことを請ひて曰く、「君姬氏の愛子なり。君姬氏微(な)かりせば、則ち臣は狄人なり」と。公之を許す。冬、趙盾旄車の族と為り、屏季をして其の故族を以って公族大夫と為らしむ。
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史記 晋世家晋の太史董狐書して「趙盾其の君を弑す」と曰ひ、以て朝に視す。盾曰く、「弑する者は趙穿なり。我罪無し」と。太史曰く、「子は正卿為り。而して亡げて境を出でず、反りて国の乱を誅せず。子に非ずして誰ぞ」と。孔子之を聞きて曰く、「董狐は、古の良史なり。書法隠さず。宣子は、良大夫なり。法の為に悪を受く。惜しいかな、疆を出でなば乃ち免れん」と。趙盾趙穿をして襄公の弟黒臀を周に迎へて之を立てしむ。是を成公と為す。成公は、文公の少子にして、其の母は周の女なり。壬申、武宮に朝す。成公の元年、趙氏に賜ひて公族と為す。鄭を伐つ。鄭晋に倍くの故なり。三年、鄭伯初めて立ち、晋に附きて楚を棄つ。楚怒り、鄭を伐つ。晋往きて之を救ふ。六年、秦を伐ち、秦の将赤を虜にす。七年、成公楚の荘王と彊を争ひ、諸侯を扈に会す。陳楚を畏れて、会せず。晋中行桓子をして陳を伐たしめ、因りて鄭を救ひ、楚と戦ひ、楚の師を敗る。是の年、成公卒し、子の景公拠立つ。景公の元年春、陳の大夫夏徴舒其の君霊公を弑す。二年、楚の荘王陳を伐ち、徴舒を誅す。三年、楚の荘王鄭を囲む。鄭急を晋に告ぐ。晋荀林父をして中軍に将たらしめ、隨会上軍に将たり、趙朔下軍に将たり、郤克・欒書・先縠・韓厥・鞏朔之を佐く。六月、河に至る。楚已に鄭を服し、鄭伯肉袒して与に盟ひて去ると聞き、荀林父還らんと欲す。先縠曰く、「凡そ鄭を救はんと来たる。至らざるは不可なり。将率心を離さん」と。卒に河を度る。楚已に鄭を服し、馬に河に飲ましむるを以て名と為して去らんと欲す。楚晋の軍と大いに戦ふ。鄭新たに楚に附き、之を畏れ、反って楚を助けて晋を攻む。晋の軍敗れ、河に走り、争ひて度る。船中の人の指甚だ衆し。楚我が将智罃を虜にす。帰りて林父曰く、「臣督将為り。軍敗るれば当に誅せらるべし。請ふ死せん」と。景公之を許さんと欲す。
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国語・晋語五霊公虐なり。趙宣子驟(しばしば)諫む。公之を患え、鉏麑(しょげい)をして之を賊せしむ。晨(あした)に往けば、則ち寝門辟(ひら)けり。盛服して将に朝せんとし、早くして仮寐(かび)す。麑退き、歎じて言いて曰く、「趙孟は敬なるかな。夫れ恭敬を忘れざるは、社稷の鎮なり。国の鎮を賊するは不忠、命を受けて之を廃するは不信、一名を此に享(う)けんよりは、死するに如かず」と。庭の槐(えんじゅ)に触れて死す。霊公将に趙盾(ちょうとん)を殺さんとして、克(よ)くせず。趙穿(ちょうせん)公を桃園に攻め、公子黒臀(こくでん)を逆(むか)えて之を立つ、実に成公為り。
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史記 晋世家晋趙盾をして車八百乗を以て周の乱を平らげて匡王を立てしむ。是の年、楚の荘王初めて即位す。十二年、斉人其の君懿公を弑す。十四年、霊公壮にして侈り、厚く斂めて以て牆に彫る。台上より人を弾き、其の丸を避くるを観る。宰夫熊蹯を胹(に)て熟せず。霊公怒り、宰夫を殺し、婦人をして其の尸を持ちて出でて之を棄てしむ。朝を過ぐ。趙盾・隨会前に数々諫むるも、聴かず。已にして又死人の手を見、二人前みて諫む。隨会先づ諫むるも、聴かず。霊公之を患ひ、鉏麑をして趙盾を刺さしむ。盾の閨門開き、居処節あり。鉏麑退きて嘆じて曰く、「忠臣を殺すも、君命を棄つるも、罪は一なり」と。遂に樹に触れて死す。初め、盾常に首山に田し、桑下に餓人有るを見る。餓人は、示瞇明なり。盾之に食を与ふ。其の半ばを食らふ。其の故を問ふ。曰く、「宦すること三年、未だ母の存するや不やを知らず。願はくは母に遺らん」と。盾之を義とし、益々之に飯肉を与ふ。已にして晋の宰夫と為る。趙盾復た知らざるなり。九月、晋の霊公趙盾に酒を飲ましめ、甲を伏せて将に盾を攻めんとす。公の宰示瞇明之を知り、盾酔ひて起つこと能はざるを恐れ、進みて曰く、「君臣に賜ふに、觴三たび行はば以て罷むべし」と。以て趙盾を去らしめ、先んぜしめて、難に及ぶこと毋からしめんと欲す。盾既に去る。霊公の伏士未だ会せず。先づ齧狗の敖と名づくるを縦つ。明盾の為に狗を搏ち殺す。盾曰く、「人を棄てて狗を用ふ。猛しと雖も何をか為さん」と。然れども明の陰徳を為すを知らず。已にして霊公伏士を縦ちて出でて趙盾を逐はしむ。示瞇明反って霊公の伏士を撃つ。伏士進むこと能はず。而して竟に盾を脱す。盾其の故を問ふ。曰く、「我は桑下の餓人なり」と。其の名を問ふも、告げず。明も亦た因りて亡げ去る。盾遂に奔るも、未だ晋の境を出でず。乙丑、盾の昆弟の将軍趙穿霊公を桃園に襲殺して趙盾を迎ふ。趙盾素より貴く、民の和を得たり。霊公は少くして侈り、民附かず。故に弑を為すこと易し。盾位に復す。
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呂氏春秋・過理②晉の靈公は無道なり。上從り人に彈きて其の丸を避くるを觀、宰人をして熊蹯を臑しめて熟せず、之を殺して、婦人をして載せて朝を過ぎしめ、以て威を示すは、不適なり。趙盾驟々諫むれども聽かず、公之を惡み、乃ち沮麛を使う。沮麛、之を見、賊するに忍びず。曰く、「恭敬を忘れざるは、民の主なり。民の主を賊するは不忠なり。君の命を棄つるは不信なり、此に一あるは、死するに若かず。」乃ち廷の槐に觸して死す。
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『春秋左氏伝』宣公二年 過ちて改むる……晉の靈公君たらず。斂を厚くして以って牆を彫り、臺上より人を彈じて、其の丸を辟くるを觀る。宰夫熊蹯を胹(に)て熟せず、之を殺し、諸を畚(ふご)に寘き、婦人をして載せて朝を過ぎしむ。趙盾・士季、其の手を見て、其の故を問ひて、之を患ふ。將に諫めんとす。士季曰く、「諫めて入らずんば、則ち之に繼ぐ莫きなり。會請ふ先んぜん、入らずんば、則ち子之に繼げ」と。三たび進みて溜に及び、而る後に之を視て曰く、「吾過つ所を知れり、將に之を改めん」と。稽首して對へて曰く、「人誰か過ち無からん。過ちて能く改むる、善之より大なるは莫し。詩に曰く、『初め有らざる靡し、克く終はり有るは鮮し』と。夫れ是の如くんば、則ち能く過ちを補ふ者鮮し。君能く終はり有らば、則ち社稷の固めなり、豈に惟だ群臣のみ之に賴らんや。又曰く、『袞職闕くる有り、惟だ仲山甫のみ之を補ふ』と。能く過ちを補ふなり。君能く過ちを補はば、袞廢れざらん」と。猶ほ改めず。……