説苑 / 復恩
趙宣孟將上之絳,見翳桑下有臥餓人不能動,宣孟止車為之下,餐自含而餔之,餓人再咽而能食,宣孟問:「爾何為饑若此?」對曰:「臣居於絳,歸而糧絕,羞行乞而憎自致,以故至若此。」宣孟與之壺餐,脯二胊,再拜頓首受之,不敢食,問其故,對曰:「向者食之而美,臣有老母,將以貢之。」宣孟曰:「子斯食之,吾更與汝。」乃復為之簞食,以脯二束與錢百。去之絳,居三年,晉靈公欲殺宣孟,置伏士於房中,召宣孟而飲之酒,宣孟知之,中飲而出,靈公命房中士疾追殺之,一人追疾,既及宣孟,向宣孟之面曰:「今固是君邪!請為君反,死。」宣孟曰:「子名為誰?」及是且對曰:「何以名為?臣是夫桑下之餓人也。」遂鬥,而死,宣孟得以活,此所謂德惠也。故惠君子,君子得其福;惠小人,小人盡其力;夫德一人活其身,而況置惠於萬人乎?故曰德無細,怨無小,豈可無樹德而除怨,務利於人哉!利施者福報,怨往者禍來,形於內者應於外,不可不慎也,此書之所謂德無小者也。詩云:「赳赳武夫,公侯干城。」「濟濟多士,文王以寧。」人君胡可不務愛士乎!
新字:趙宣孟将上之絳,見翳桑下有臥餓人不能動,宣孟止車為之下,餐自含而餔之,餓人再咽而能食,宣孟問:「爾何為饑若此?」対曰:「臣居於絳,帰而糧絶,羞行乞而憎自致,以故至若此。」宣孟与之壺餐,脯二胊,再拝頓首受之,不敢食,問其故,対曰:「向者食之而美,臣有老母,将以貢之。」宣孟曰:「子斯食之,吾更与汝。」乃復為之簞食,以脯二束与銭百。去之絳,居三年,晉霊公欲殺宣孟,置伏士於房中,召宣孟而飲之酒,宣孟知之,中飲而出,霊公命房中士疾追殺之,一人追疾,既及宣孟,向宣孟之面曰:「今固是君邪!請為君反,死。」宣孟曰:「子名為誰?」及是且対曰:「何以名為?臣是夫桑下之餓人也。」遂鬥,而死,宣孟得以活,此所謂徳恵也。故恵君子,君子得其福;恵小人,小人尽其力;夫徳一人活其身,而況置恵於万人乎?故曰徳無細,怨無小,豈可無樹徳而除怨,務利於人哉!利施者福報,怨往者禍来,形於內者応於外,不可不慎也,此書之所謂徳無小者也。詩云:「赳赳武夫,公侯干城。」「済済多士,文王以寧。」人君胡可不務愛士乎!
書き下し
趙宣孟将に絳に上らんとす、翳桑の下に臥せる餓人有りて動く能はざるを見る、宣孟車を止めて之が為に下り、餐自ら含みて之に餔ふ、餓人再び咽みて能く食す、宣孟問ふ、「爾何為れぞ饑ゑて此くの若きか」と。対へて曰く、「臣絳に居り、帰りて糧絶ゆ、行乞を羞ぢて自ら致すを憎み、故に此くの若きに至れり」と。宣孟壺餐を之に与へ、脯二胊、再拝頓首して之を受くるも、敢へて食らはず、其の故を問へば、対へて曰く、「向者之を食らひて美なりき、臣に老母有り、将に以て之に貢ぜんとす」と。宣孟曰く、「子斯に之を食らへ、吾更に汝に与へん」と。乃ち復た之が為に簞食を為し、脯二束と銭百とを以て与ふ。之を去りて絳に居ること三年、晋の霊公宣孟を殺さんと欲し、伏士を房中に置き、宣孟を召して之に酒を飲ましむ、宣孟之を知り、中飲にして出づ、霊公房中の士に命じて疾く之を追殺せしむ、一人追ふこと疾く、既に宣孟に及び、宣孟の面に向ひて曰く、「今固に是れ君なるか、請ふ君の為に反りて、死せん」と。宣孟曰く、「子の名を誰と為すか」と。是に及びて且に対へんとして曰く、「何を以て名と為さん、臣は是れ夫の桑の下の餓人なり」と。遂に鬥ひて、死す、宣孟以て活くるを得たり、此れ所謂徳惠なり。故に君子を惠すれば、君子其の福を得、小人を惠すれば、小人其の力を尽くす、夫れ徳一人を活かして其の身に況んや万人に惠を置くをや。故に曰く、徳に小無く、怨みに小無し、豈に徳を樹つる無くして怨みを除き、利を人に務むべけんや、利する者は福報い、怨み往く者は禍来る、内に形るる者は外に応ず、慎まざるべからざるなり、此れ書の所謂徳に小無き者なり。詩に云く、「赳赳たる武夫、公侯の干城」、「済済たる多士、文王以て寧し」と。人君胡ぞ士を愛することを務めざるべけんや。
現代語訳
趙宣孟が絳の都に上ろうとしたとき、翳桑のほとりで倒れ動けなくなっている飢えた人を見かけた。宣孟は車を止めてわざわざ降り、自分の食事を口に含んで彼に食べさせた。飢えた人は二度ほど飲み込んでようやく食べられるようになった。宣孟が「あなたはどうしてこんなに飢えているのか」と尋ねると、その人は答えた、「私は絳に住んでおりましたが、帰る途中で食糧が尽きました。物乞いをすることを恥じ、また自分から求めることを憎んでいたため、このようになったのです」と。宣孟は器に入った食事を与え、干し肉二束も与えた。その人は二度拝礼して押し頂いてそれを受け取ったが、あえて食べようとしなかった。理由を尋ねると、答えて言った、「先ほどいただいたものは大変美味でした。私には老いた母がおります、これを持ち帰って母に差し上げようと思うのです」と。宣孟は言った、「あなたはそれを召し上がりなさい、私が改めてあなたに別のものを差し上げよう」と。そこであらためて竹籠に入れた食事を用意し、干し肉二束と銭百枚を添えて与えた。それから彼はそこを去り、宣孟は絳に住んで三年が経った。晋の霊公が宣孟を殺そうと企み、部屋の中に伏兵を潜ませ、宣孟を招いて酒を飲ませた。宣孟はこれを察知し、酒宴の途中で退出した。霊公は部屋の中の兵士に命じて急いで彼を追わせ殺そうとした。一人の兵士が素早く追いつき、宣孟の前に立ちはだかって言った、「あなたは本当にあのお方でしょうか。どうかあなたの身代わりとなって、ここで死なせてください」と。宣孟は「あなたの名は何というのか」と尋ねた。その者は答えようとして言った、「名など知って何としましょう。私はあの桑の木の下で飢えていた者でございます」と。そう言ってついに追手と戦い、討ち死にした。宣孟はそのおかげで生きながらえることができた。これがいわゆる徳の恵みというものである。だから君子に恵みを施せば君子はその福を得、小人に恵みを施せば小人はその力を尽くしてくれる。そもそも一人を助けたことでその身が救われるほどの徳があるのだから、まして万人に恵みを施せばなおさらではないか。だから言う、徳には小さいものなどなく、怨みにも小さいものなどない、と。徳を積むことなく怨みだけを除こうとしたり、利益だけを人に施そうと務めたりすることなどできようか。人に利益を施す者には福が報われ、人に怨みを残す者には禍が返ってくる。内に秘めた行いは必ず外に表れて応える。慎まなければならないのはこのことである。これが書経にいう『徳に小さいものはない』ということである。詩経にいう、「勇ましい武人こそ、公侯を守る盾となる」「大勢の立派な人材があってこそ、文王は国を安んじられた」と。君主たる者、どうして人材を大切にすることに努めずにいられようか。