説苑 / 復恩
秦繆公嘗出,而亡其駿馬,自往求之,見人已殺其馬,方共食其肉,繆公謂曰:「是吾駿馬也。」諸人皆懼而起,繆公曰:「吾聞食駿馬肉,不飲酒者殺人。」即以次飲之酒,殺馬者皆慚而去。居三年,晉攻秦繆公,圍之,往時食馬肉者,相謂曰:「可以出死報食馬得酒之恩矣。」遂潰圍。繆公卒得以解難,勝晉獲惠公以歸,此德出而福反也。
新字:秦繆公嘗出,而亡其駿馬,自往求之,見人已殺其馬,方共食其肉,繆公謂曰:「是吾駿馬也。」諸人皆懼而起,繆公曰:「吾聞食駿馬肉,不飲酒者殺人。」即以次飲之酒,殺馬者皆慚而去。居三年,晉攻秦繆公,囲之,往時食馬肉者,相謂曰:「可以出死報食馬得酒之恩矣。」遂潰囲。繆公卒得以解難,勝晉獲恵公以帰,此徳出而福反也。
書き下し
秦の繆公嘗て出づるに、其の駿馬を亡ふ、自ら往きて之を求む、人已に其の馬を殺し、方に共に其の肉を食らふを見る、繆公謂ひて曰く、「是れ吾が駿馬なり」と。諸人皆懼れて起つ、繆公曰く、「吾聞く、駿馬の肉を食らひて、酒を飲まざれば人を殺す、と」と。即ち次を以て之に酒を飲ましむ、馬を殺せし者皆慚ぢて去る。居ること三年、晋秦の繆公を攻めて、之を囲む、往時馬の肉を食らひし者、相謂ひて曰く、「以て死に出でて食馬得酒の恩に報ゆべし」と。遂に囲を潰る。繆公卒に以て難を解くを得、晋に勝ちて恵公を獲て以て帰る、此れ徳出でて福反るなり。
現代語訳
秦の繆公がかつて外出した際、彼の駿馬がいなくなった。自ら出向いて探しに行くと、ある人々がすでにその馬を殺し、ちょうど皆でその肉を食べているところであった。繆公は言った、「これは私の駿馬だ」と。その場にいた人々は皆恐れて立ち上がった。繆公は言った、「私はこう聞いている、駿馬の肉を食べて酒を飲まなければ、人を害することがある、と」。そう言って、順に彼らに酒を飲ませてやった。馬を殺した者たちは皆恥じ入って立ち去った。それから三年後、晋が秦の繆公を攻めて、これを包囲した。かつて馬の肉を食べた者たちは、互いに言い合った、「命を懸けてでも、あの馬の肉と酒をいただいた恩に報いようではないか」と。そうしてついに包囲を突破した。繆公はついにこの危難を脱することができ、晋に勝利して恵公を捕虜にして連れ帰った。これぞまさに、徳を施したことが幸福となって返ってきたということである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
-
説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
-
尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
-
人物志・材能寛弘の人は、宜しく郡国を為すべし。下をして其の功を施すを得しめて、其の事を総成す。急小の人は、宜しく百里を理むべし。事を己に辦ぜしむ。
-
牧民忠告・事長夫れ天下を能くする者は、其の志必ず高く、其の至る所必ず遠し。昔某郡に新守有り、褊驁(へんごう)にして大いに其の下を礼せず、常に掾属(えんぞく)をして庭下に羅拝(らはい)せしむ。一賢掾有り、初め疾を以て告に在り、疾愈(い)えて当に庭参すべし。是の日偶(たま)たま大雨あり、守は傘を張り茅(かや)を庭下に布(し)かしめ、掾をして拝せしむ、掾恬然(てんぜん)として容(かたち)を動かさず、興伏(こうふく)惟(こ)れ謹めり。識者其の他日必ず宰相と為るを知るなり、後果たして然り。
-
説苑・尊賢晋の文侯、地を行きて隧に登るに、大夫皆之を扶く。隨会扶けず。文侯曰く、「会よ、夫れ人臣為りて其の君を忍ぶ者は、其の罪奚如ん」と。対えて曰く、「其の罪重死なり」と。文侯曰く、「何をか重死と謂う」と。対えて曰く、「身死し、妻子戮せらる」と。隨会曰く、「君奚ぞ独り人臣為りて其の君を忍ぶ者を問いて、人君為りて其の臣を忍ぶ者を問わざるや」と。文侯曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、其の罪何如ん」と。隨会対えて曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、智士謀を為さず、弁士言を為さず、仁士行を為さず、勇士死を為さず」と。文侯綏を援きて車を下り、大夫に辞して曰く、「寡人に腰髀の病有り、願わくは諸大夫罪する勿かれ」と。