淮南子 / 繆稱訓
僖負羈以壺餐表其閭。趙宣孟以束脯免其軀,禮不隆,而德有餘,仁心之感恩接而憯怛生。故其入人深。俱之叫呼也,在家老則為恩厚,其在責人則生爭鬥。故曰:兵莫憯于意志,莫邪為下;寇莫大於陰陽,枹鼓為小。聖人為善,非以求名,而名從之。名不與利期,而利歸之。故人之憂喜,非為蹗,蹗焉往生也。故至人不容。故若眯而撫,若跌而據。聖人之為治,漠然不見賢焉,終而後知其可大也。若日之行,騏驥不能與之爭遠。
新字:僖負羈以壺餐表其閭。趙宣孟以束脯免其軀,礼不隆,而徳有余,仁心之感恩接而憯怛生。故其入人深。倶之叫呼也,在家老則為恩厚,其在責人則生争鬥。故曰:兵莫憯于意志,莫邪為下;寇莫大於陰陽,枹鼓為小。聖人為善,非以求名,而名従之。名不与利期,而利帰之。故人之憂喜,非為蹗,蹗焉往生也。故至人不容。故若眯而撫,若跌而拠。聖人之為治,漠然不見賢焉,終而後知其可大也。若日之行,騏驥不能与之争遠。
書き下し
僖負羈 壺餐を以て其の閭を表さる。趙宣孟 束脯を以て其の軀を免る。禮 隆からずして、德 餘り有り。仁心の感、恩 接して憯怛 生ず。故に其の人に入ること深し。俱に之れ叫呼するも、家老に在れば則ち恩厚と為り、其の人を責むるに在れば則ち爭鬥を生ず。故に曰く、兵は意志より憯きは莫くして、莫邪を下と為す。寇は陰陽より大なるは莫くして、枹鼓を小と為す、と。聖人の善を為すは、以て名を求むるに非ずして、名 之に從う。名は利と期せずして、利 之に歸す。故に人の憂喜は、蹗の為にするに非ずして、蹗 焉に往きて生ずるなり。故に至人は容れず。故に眯するが若くして撫し、跌くが若くして據る。聖人の治を為すや、漠然として賢を見ず、終わりて後に其の大なる可きを知る。日の行くが若く、騏驥も之と遠きを爭う能わず。
現代語訳
僖負羈は壺一杯の食事を差し出したことで、その里の門を表彰された。趙宣孟は干し肉一束を与えたことで、身を救われた。礼としては大きくないのに、徳のほうに余りがあった。仁の心が響き、恩が通って、痛ましく思う心が生じる。だから人の内に深く入る。同じように声を上げても、家の年長者に対してであれば厚い恩となり、人を責めるためであれば争いを生む。だから言う、武器で思いより鋭いものはなく、名剣の莫邪は下に置かれる。賊で陰陽の乱れより大きいものはなく、太鼓の合図は小さい、と。聖人が善を行うのは名を求めてではないのに、名がついてくる。名は利を当てにしないのに、利が帰ってくる。だから人の憂いや喜びは、足のためにあるのではないのに、足がそちらへ向かって生じる。だから至人は受け入れて構えない。だから、目にごみが入ったようにそっと触れ、つまずいたときのように支える。聖人が治めるときは、漠然として賢さが見えず、終わってはじめてその大きさが分かる。日が進むようなもので、駿馬でもその遠さと競うことはできない。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』繆稱訓聖人は譽を求めず、誹を辟けず。身を正し行いを直くすれば、眾邪 自ら息む。今 正を釋てて曲を追い、是に倍きて眾に從うは、是れ俗と儷び走りて、內に繩無きなり。故に聖人は己に反りて由らざるなり。道の篇章形埒有る者は、至れる者に非ざるなり。之を嘗めて味無く、之を視て形無く、人に傳う可からず。大戟は水を去り、亭曆は張を愈す。之を用うるに節せざれば、乃ち反って病と為る。物 多く之に類して非なり。唯だ聖人のみ其の微を知る。善く禦する者は其の馬を忘れず、善く射る者は其の弩を忘れず、善く人の上たる者は其の下を忘れず。誠に能く愛して之を利すれば、天下 從う可し。愛せず利せざれば、親子も父に叛く。天下に至貴にして勢位に非ざる有り、至富にして金玉に非ざる有り、至壽にして千歲に非ざる有り。心に原づき性に反れば、則ち貴し。情に適い足るを知れば、則ち富めり。死生の分を明らかにすれば、則ち壽し。言に常の是無く、行いに常の宜無き者は、小人なり。一事に察に、一伎に通ずる者は、中人なり。兼ね覆蓋して並びに之を有ち、伎能を度りて裁して之を使う者は、聖人なり。
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『淮南子』繆稱訓其の施 厚き者は其の報 美なり。其の怨 大なる者は其の禍 深し。薄く施して厚く望み、怨を畜えて患い無き者は、古今 未だ之れ有らざるなり。是の故に聖人は其の往く所以を察すれば、則ち其の來たる所以の者を知る。聖人の道は、猶お衢に中して尊を致すがごとし。過ぐる者 斟酌して、多少 同じからざるも、各々其の宜しき所を得。是の故に一人を得るは、百人を得る所以なり。人 其の上に願う所を以て、以て其の下に交われば、誰か戴かざらん。其の下に欲する所を以て、以て其の上に事えば、誰か喜ばざらん。『詩』に云う、「茲の一人に媚び、侯の慎德に應ず」と。慎德は大なり、一人は小なり。能く小を善くすれば、其れ能く大を善くせん。
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『淮南子』繆稱訓水 濁れば魚 噞し、令 苛なれば民 亂る。城 峭しき者は必ず崩れ、岸 青き者は必ず陀つ。故に商鞅 法を立てて支解せられ、吳起 刻削して車裂せらる。國を治むるは譬えば瑟を張るが若し。大絃 絚れば、則ち小絃 絕ゆ。故に轡を急にし策を數する者は、千里の禦に非ざるなり。有聲の聲は、百里に過ぎず。無聲の聲は、四海に施さる。是の故に祿 其の功に過ぐる者は損い、名 其の實に過ぐる者は蔽わる。情行 合いて名 之に副えば、禍福 虛しくは至らざるなり。身に醜夢有るも、正行に勝たず。國に妖祥有るも、善政に勝たず。是の故に前に軒冕の賞有るも、功無くして取る可からず。後に斧鉞の禁有るも、罪無くして蒙る可からず。素より正を修むる者は、道を離れざればなり。君子は小善を為すに足らずと謂いて之を舍てず。小善 積みて大善と為る。小不善を傷なう無しと為して之を為すと謂わず。小不善 積みて大不善と為る。是の故に積羽は舟を沈め、群輕は軸を折る。故に君子は微に禁ず。壹快は以て善を成すに足らず、快を積みて德と為る。壹恨は以て非を成すに足らず、恨を積みて怨と成る。故に三代の稱は、千歲の積譽なり。桀・紂の謗は、千歲の積毀なり。
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『淮南子』繆稱訓凡そ萬物 之を施す所有れば、小として不可なる無し。之を用うる所無しと為せば、碧瑜も糞土なり。人の情、害の中に於いて爭いて小を取り、利の中に於いて爭いて大を取る。故に味を同じくして厚膊を嗜む者は、必ず其れ之を甘しとする者なり。師を同じくして群を超ゆる者は、必ず其れ之を樂しむ者なり。甘しとせず樂しまずして、能く表と為る者は、未だ之を聞かざるなり。君子は時なれば則ち進み、之を得るに義を以てす。何の幸か之れ有らん。時ならざれば則ち退き、之を讓るに義を以てす。何の不幸か之れ有らん。故に伯夷 首陽の下に餓死するも、猶お自ら悔いざるは、其の賤しとする所を棄てて、其の貴ぶ所を得ればなり。福の萌すや綿綿、禍の生ずるや分分たり。禍福の始めて萌すや微なり。故に民 之を嫚る。唯だ聖人のみ其の始めを見て其の終わりを知る。故に傳に曰く、「魯の酒 薄くして邯鄲 圍まれ、羊羹 斟まずして宋國 危うし」と。
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『淮南子』繆稱訓慈父の子を愛するは、報を為すに非ず。內に心を解く可からざればなり。聖人の民を養うは、用を求むるに非ず。性 已む能わざればなり。火の自ら熱く、冰の自ら寒きが若し。夫れ何をか修めん。其の力を恃み、其の功を賴むに及びては、火を舟中に失うが若し。故に君子は始めを見て、其の終わりを知るなり。媒妁 人を譽むるも、之を德とする莫し。庸を取りて強いて之に飯するも、之を愛する莫し。親父慈母と雖も、此に加えず。以て為す有れば、則ち恩 接せざればなり。故に往く者を送るは、來たるを迎うる所以に非ず。死者に施すは、專ら生の為にするに非ず。誠 己より出づれば、則ち動かす所の者 遠し。錦繡 廟に登るは、文を貴べばなり。圭璋 前に在るは、質を尚べばなり。文 質に勝たざる、之を君子と謂う。故に終年 車を為るも、三寸の鎋無ければ、以て驅馳す可からず。匠人 戶を斫るも、一尺の楗無ければ、以て閉藏す可からず。故に君子は斯に其の結ぶ所を行う。心の精なる者は、以て神化す可くして、以て人を導く可からず。目の精なる者は、以て消澤す可くして、以て昭誋す可からず。混冥の中に在りて、人に諭す可からず。故に舜 席を降らずして天下 治まり、桀 陛を下らずして天下 亂るるは、蓋し情 叫呼よりも甚だしければなり。諸を己に無くして、諸を人に求むるは、古今 未だ之を聞かざるなり。
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『淮南子』繆稱訓聖人の行いは、合する所無く、離るる所無し。譬えば鼓の若く、與に調する所無くして、比せざる所無し。絲管金石は、小大修短に敘有り、聲を異にして和す。君臣上下は、官職に差有り、事を殊にして調う。夫れ織る者は日々に進み、耕す者は日々に卻く。事 相反して、成功は一なり。申喜 乞人の歌を聞きて悲しみ、出でて之を視れば、其の母なり。艾陵の戰いに、夫差曰く、「夷の聲 陽なり、句吳 其れ庶からんか」と。同じく是れ聲にして信を取ること異なるは、諸を情に有すればなり。故に心 哀しみて歌えば樂しからず、心 樂しみて哭すれば哀しからず。夫子曰く、「弦は則ち是なり、其の聲は非なり」と。文なる者は、物に接する所以にして、情 中に系がれて外に發せんと欲する者なり。文を以て情を滅すれば、則ち情を失う。情を以て文を滅すれば、則ち文を失う。文情 理 通ずれば、則ち鳳麟 極まる。至德の遠きを懷くるを言うなり。