呂氏春秋 / 報更②
昔趙宣孟將上之絳,見骫桑之下,有餓人臥不能起者,宣孟止車,為之下食,蠲而餔之,再咽而後能視。宣孟問之曰:“女何為而餓若是?”對曰:“臣宦於絳,歸而糧絕,羞行乞而憎自取,故至於此。”宣孟與脯一朐,拜受而弗敢食也。問其故,對曰:“臣有老母,將以遺之。”宣孟曰:“斯食之,吾更與女。”乃復賜之脯二束與錢百,而遂去之。處二年,晉靈公欲殺宣孟,伏士於房中以待之,因發酒於宣孟。宣孟知之,中飲而出。靈公令房中之士疾追而殺之。一人追疾,先及宣孟,之面曰:“嘻,君轝!吾請為君反死。”宣孟曰:“而名為誰?”反走對曰:“何以名為!臣骫桑下之餓人也。”還鬥而死。宣孟遂活。此書之所謂“德幾無小”者也。宣孟德一士猶活其身,而況德萬人乎?故詩曰:“赳赳武夫,公侯干城”,“濟濟多士,文王以寧”。人主胡可以不務哀士?士其難知,唯博之為可,博則無所遁矣。
新字:昔趙宣孟将上之絳,見骫桑之下,有餓人臥不能起者,宣孟止車,為之下食,蠲而餔之,再咽而後能視。宣孟問之曰:“女何為而餓若是?”対曰:“臣宦於絳,帰而糧絶,羞行乞而憎自取,故至於此。”宣孟与脯一朐,拝受而弗敢食也。問其故,対曰:“臣有老母,将以遺之。”宣孟曰:“斯食之,吾更与女。”乃復賜之脯二束与銭百,而遂去之。処二年,晉霊公欲殺宣孟,伏士於房中以待之,因発酒於宣孟。宣孟知之,中飲而出。霊公令房中之士疾追而殺之。一人追疾,先及宣孟,之面曰:“嘻,君轝!吾請為君反死。”宣孟曰:“而名為誰?”反走対曰:“何以名為!臣骫桑下之餓人也。”還鬥而死。宣孟遂活。此書之所謂“徳幾無小”者也。宣孟徳一士猶活其身,而況徳万人乎?故詩曰:“赳赳武夫,公侯干城”,“済済多士,文王以寧”。人主胡可以不務哀士?士其難知,唯博之為可,博則無所遁矣。
書き下し
昔、趙宣孟、將に上り絳に之かんとし、骫桑の下に、餓人の臥して起つこと能わざる者有るを見る。宣孟、車を止め、之が為に食を下し、蠲めて之を餔せしむ。再咽して後能く視る。宣孟之に問いて曰く、「女何為れぞ餓えたること是の若し。」對えて曰く、「臣、絳に宦し、歸らんとして糧絶ゆ。行乞を羞じ自ら取ることを憎む。故に此に至る。」宣孟、脯二朐を與う。拜受すれども敢て食わず。其の故を問う。對えて曰く、「臣に老母有り。將に以て之に遺らんとす。」宣孟曰く、「斯く之を食え。吾更に女に與えん。」乃ち復た之に脯二束と錢百とを賜い、而して遂に之を去る。處ること二年、晉の靈公、宣孟を殺さんと欲して、士を房中に伏し、以て之を待ち、因りて酒を宣孟に發す。宣孟之を知り、中飲にして出づ。靈公、房中の士をして疾く追いて之を殺さしめんとす。一人追うこと疾く、先づ宣孟に及び、之に面して曰く、「嘻、君轝せよ。吾請う君が為に反りて死せん。」宣孟曰く、「而の名は誰とか為す。」反り走るもの對えて曰く、「何ぞ名を以てすることを為さん。臣は骫桑下の餓人なり。」還り鬭いて死し、宣孟遂に活きたり。此れ書の所謂、幾を德て小とする無き者なり。宣孟、一士に徳て猶ほ其の身を活かす、而るを況んや萬人に徳るをや。故に詩に曰く、「赳赳たる武夫は、公侯の干城なり」、「濟濟たる多士、文王以て寧し」。人主胡ぞ以て士を哀れむことを務めざる可けんや。士は其れ知り難し。唯だ博きをのみ之れ可と為す。博ければ則ち遁るる所無し。
現代語訳
昔、趙宣孟が都の絳へ上ろうとしたとき、茂った桑の木の下に、飢えて倒れ起き上がれない男を見つけた。宣孟は車を止めて食べ物を与え、口をすすがせて食べさせた。男は二口ほど飲み込んでようやく目が見えるようになった。宣孟が「どうしてこんなに飢えたのか」と問うと、男は「絳で仕えていたが、帰る途中で食糧が尽きた。物乞いは恥ずかしく、盗むのも嫌なので、こうなりました」と答えた。宣孟が干し肉二切れを与えると、男は押しいただいたが食べようとしない。理由を問うと「老いた母に持ち帰りたいのです」と言う。宣孟は「これは食べなさい。改めて与えよう」と言い、干し肉二束と銭百を与えて去った。二年後、晋の霊公が宣孟を殺そうとして部屋に兵を伏せ、酒宴に招いた。宣孟は気づいて途中で退出した。霊公が兵に急ぎ追わせると、一人が先に追いつき、宣孟に向かって「さあ、車で早くお逃げを。私はあなたのために引き返して死にます」と言った。宣孟が「お前の名は」と問うと、走り引き返しながら「名など名乗るまでもありません。私はあの桑の下の飢えた男です」と答え、引き返して戦い死んだ。こうして宣孟は助かった。これが古書にいう「わずかな恩でも小さいと侮ってはならない」ということである。宣孟は一人の士に恩を施しただけで自分の命を救われた。まして万人に恩を施せばなおさらである。だから『詩』に「たくましい武夫は公侯の盾」「多くの立派な士がいて文王は安らかだった」とある。君主はどうして士をいたわることに努めずにいられよう。士は見分けにくいものだから、広く恵むのがよい。広ければ、優れた者を取り逃がすことはない。
解説
この章句が説くこと
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説苑・復恩趙宣孟将に絳に上らんとす、翳桑の下に臥せる餓人有りて動く能はざるを見る、宣孟車を止めて之が為に下り、餐自ら含みて之に餔ふ、餓人再び咽みて能く食す、宣孟問ふ、「爾何為れぞ饑ゑて此くの若きか」と。対へて曰く、「臣絳に居り、帰りて糧絶ゆ、行乞を羞ぢて自ら致すを憎み、故に此くの若きに至れり」と。宣孟壺餐を之に与へ、脯二胊、再拝頓首して之を受くるも、敢へて食らはず、其の故を問へば、対へて曰く、「向者之を食らひて美なりき、臣に老母有り、将に以て之に貢ぜんとす」と。宣孟曰く、「子斯に之を食らへ、吾更に汝に与へん」と。乃ち復た之が為に簞食を為し、脯二束と銭百とを以て与ふ。之を去りて絳に居ること三年、晋の霊公宣孟を殺さんと欲し、伏士を房中に置き、宣孟を召して之に酒を飲ましむ、宣孟之を知り、中飲にして出づ、霊公房中の士に命じて疾く之を追殺せしむ、一人追ふこと疾く、既に宣孟に及び、宣孟の面に向ひて曰く、「今固に是れ君なるか、請ふ君の為に反りて、死せん」と。宣孟曰く、「子の名を誰と為すか」と。是に及びて且に対へんとして曰く、「何を以て名と為さん、臣は是れ夫の桑の下の餓人なり」と。遂に鬥ひて、死す、宣孟以て活くるを得たり、此れ所謂徳惠なり。故に君子を惠すれば、君子其の福を得、小人を惠すれば、小人其の力を尽くす、夫れ徳一人を活かして其の身に況んや万人に惠を置くをや。故に曰く、徳に小無く、怨みに小無し、豈に徳を樹つる無くして怨みを除き、利を人に務むべけんや、利する者は福報い、怨み往く者は禍来る、内に形るる者は外に応ず、慎まざるべからざるなり、此れ書の所謂徳に小無き者なり。詩に云く、「赳赳たる武夫、公侯の干城」、「済済たる多士、文王以て寧し」と。人君胡ぞ士を愛することを務めざるべけんや。
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呂氏春秋・報更①國、小なりと雖も、其の食は以て天下の賢者を食うに足り、其の車は以て天下の賢者を乘するに足り、其の財は以て天下の賢者を禮する足り、天下の賢者と徒と為る。此れ文王の王たる所以なり。今未だ王たること能わずと雖も、其の以て安きを為すは、亦た易からずや。此れ趙宣孟の免れたる所以なり、周の昭文君の顯れし所以なり、孟嘗君の荊の兵を卻けたる所以なり。古の大いに功名を立てたるものと、國を安んじ身を免れたる者とは、其の道他無し。其れ必ず此に之れ由るなり。堪士は驕恣を以て屈す可からず。
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呂氏春秋・報更③張儀は、魏氏の餘子なり。將に西のかた秦に游ばんとして、東周を過る。客に之を昭文君に語ぐる者有り。曰く、「魏氏の人張儀は、材士なり。將に西のかた秦に游ばんとす。願わくは君の之を禮貌せんことを。」昭文君見て之に謂いて曰く、「聞く、客秦に之く、と。寡人の國は小にして、以て客を留むるに足らず。然りと雖も游、豈に必ずしも遇せられんや。客或いは遇せられずんば、請う寡人の為に一たび歸れ。國小なりと雖も、請う客と之を共にせん。」張儀還り走り、北面して再拜す。張儀行く。昭文君送りて之に資す。秦に至りて、留ること間有りて、惠王説びて之を相とす。張儀、天下に徳とする所の者は、昭文君に若くは無し。周は千乘なれども、重きこと萬乘に過ぎたりとす。秦の惠王をして之を師とせしむ。逢澤の會に、魏王嘗て御為り、韓王右為り、名號今に至るも忘れられず。此れ張儀の力なり。
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戦国策・中山君饗都士中山君都士を饗す、大夫司馬子期焉に在り。羊羹遍からず、司馬子期怒りて楚に走り、楚王に説きて中山を伐たしむ、中山君亡ぐ。二人有り、戈を挈げて其の後に随う者、中山君顧みて二人に謂いて曰く、「子奚を為す者ぞや」と。二人対えて曰く、「臣に父有り、嘗て餓えて且に死せんとするに、君壺飡を下して之に餌わしむ。臣が父且に死せんとするに、曰く、『中山事有らば、汝必ず之に死せよ』と。故に来たりて君に死するなり」と。中山君喟然として仰ぎ歎じて曰く、「与うるは衆少を期せず、其れ厄に当たるに於てす。怨むは深浅を期せず、其れ心を傷つくるに於てす。吾一杯の羊羹を以て国を亡ぼし、一壺の飡を以て士二人を得たり」と。
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呂氏春秋・愛士②昔者、秦の繆公、駕に乘りて車敗を為し、右服失して、埜人之を取る。繆公自ら往きて之を求むるに、埜人方將に之を岐山の陽に食らわんとするを見る。繆公歎じて曰く、駿馬の肉を食らいて、還やかに酒を飲まずんば、余、其の女を傷わんことを恐るるなり、と。是に於て遍く飲ましめて去る。處ること一年、韓原の戰を為す。晉人已に繆公の車を環み、晉の梁由靡已に繆公の左驂を扣え、晉の惠公の右の路石、投を奮いて繆公の甲を撃ち、之に中つる者已に六札なり。埜人の嘗て馬肉を岐山の陽に食らう者三百有餘人、力を畢くして繆公の為に疾やく車下に鬭い、遂に大いに晉に克ち、反て惠公を獲て以て歸る。此れ詩の所謂、君子に君たれば則ち正、以て其の德を行わしめ、賤人に君たれば則ち寬、以て其の力を盡くさしむ、と曰う者なり。人主其れ胡ぞ以て德を行い人を愛することを務めること無かる可けんや。徳を行い人を愛すれば則ち民其の上に親しみ、民其の上に親しめば、則ち皆其の君の為に死することを樂しむ。
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呂氏春秋・介立②東方に士有り、爰旌目と曰う。將に適く有らんとして、道に餓ゆ。狐父の盜を丘と曰う。見て壺餐を下して以て之に餔わしむ。爰旌目三たび之を餔いて、而る後に能く視て、曰く、「子は何為る者なり。」曰く、「我狐父の人丘なり。」爰旌目曰く、「譆、汝盜に非ずや。胡為れぞ我に食わしむるや。吾が義として子の食を食らわざるなり。」兩手を地に據りて之を吐かんとするも、出でず。喀喀然として遂に地に伏して死せり。鄭人のショを下すや、莊蹻の郢を暴するや、秦人の長平を圍むや、韓・荊・趙、此の三國の者の將帥貴人皆多く驕り、其の士卒衆庶皆多く壯なり。因りて相暴して以て相殺し、脆弱の者は拜して以て死を避れんことを請い、其れ卒に遞いに相食み、其の義を辧ぜず、幸にして以て活くるを得んことを冀えばなり。爰旌目の如きは已に食らいて死せず、其の義を惡みて死せざるを肯ぜず。今此に相為に謀る、豈に遠からずや。