説苑 / 貴德
凡人之性,莫不欲善其德,然而不能為善德者,利敗之也;故君子羞言利名,言利名尚羞之,況居而求利者也。
新字:凡人之性,莫不欲善其徳,然而不能為善徳者,利敗之也;故君子羞言利名,言利名尚羞之,況居而求利者也。
書き下し
凡そ人の性、其の徳を善くせんと欲せざる莫し、然れども善徳を為す能はざる者は、利之を敗ればなり。故に君子は利名を言ふことを羞づ、利名を言ふすら尚ほ之を羞づ、況んや居りて利を求むる者をや。
現代語訳
およそ人の本性というものは、誰もが自分の徳を立派にしたいと願わないものはない。しかしそれでも善い徳を実践できない者がいるのは、利益がそれを損なうからである。だから君子は利益や名声を口にすることさえ恥じる。利益や名声を口にすることすら恥じるのだから、まして自ら求めて利益を追い求める者においてはなおさらである。
解説
人は誰しも徳を望むという性善説的な前提を置きながら、その実践を妨げるのは他ならぬ利益への執着であると指摘する簡潔な一節である。ここで注目すべきは、単に利益を「求めること」だけでなく、それを「口にすること」すら君子は恥じるとする段階的な戒めである。利益への欲求は行動として現れる前に、まず言葉として表れる。組織のリーダーが会議の場で損得勘定を露骨に語り始めた瞬間、そこにいる人々の徳への意識は静かに損なわれ始める。利を語ること自体への慎みが、結果として徳ある行動を守る防波堤になるという洞察である。
この章句が説くこと
利と徳慎み性善
関連する章句
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荀子・性悪篇凡そ人の善を為さんと欲する者は、性の悪なるが為なり。夫れ薄(はく)は厚きを願い、悪(お)は美を願い、狹(せま)きは広きを願い、貧は富を願い、賤(せん)は貴(き)を願う。苟(いやし)くも之(これ)中(うち)に無き者は、必ず外に求む。故に富みては財を願わず、貴くしては埶(せい)を願わず。苟くも之中に有る者は、必ず外に及ばず。此れを用て之を観れば、人の善を為さんと欲するは、性の悪なるが為なり。今人の性、固(もと)より礼義無し、故に彊(つと)めて学びて之を有せんことを求むるなり。性は礼義を知らず、故に思慮して之を知らんことを求むるなり。然らば則ち性のみならば、則ち人に礼義無く、礼義を知らず。人に礼義無ければ則ち乱れ、礼義を知らざれば則ち悖(もと)る。然らば則ち性のみならば、則ち悖乱(はいらん)己(おのれ)に在り。此れを用て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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説苑・說叢君子は德を行いて以て其の身を全うし、小人は貪を行いて以て其の身を亡ぼす。相勸むるに禮を以てし、相強むるに仁を以てすれば、道を身に得て、譽を人に得ん。
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『商君書』算地民の利を求むるや、禮の法を失い、名を求むるや、性の常を失う。奚を以てその然るを論ずるや。今夫れ盜賊は、上は君上の禁ずる所を犯し、下は臣子の禮を失う。故に名は辱められ身は危うし、猶お止まざる者は、利なればなり。その上世の士は、衣は膚を煖めず、食は腸を滿たさず、その志意を苦しめ、その四肢を勞し、その五臟を傷めて、而も益々裕廣なるのみ。性の常に非ずして、而もこれを為す者は、名なればなり。故に曰く、名利の湊まる所は、則ち民これに道く、と。
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荀子・性悪篇人の性は悪にして、其の善なる者は偽(ぎ)なり。今(いま)人の性、生まれながらにして利を好むこと有り、是(これ)に順(したが)う、故に争奪生じて辞讓(じじょう)亡(ほろ)ぶ。生まれながらにして疾悪(しつお)すること有り、是に順う、故に残賊(ざんぞく)生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有り、声色(せいしょく)を好むこと有り、是に順う、故に淫乱(いんらん)生じて礼義文理(ぶんり)亡ぶ。然らば則ち人の性に從(したが)い、人の情に順わば、必ず争奪に出で、犯分乱理(はんぶんらんり)に合して、暴に帰す。故に必ず將(まさ)に師法(しほう)の化、礼義の道(みちび)き有りて、然る後に辞讓に出で、文理に合して、治に帰す。此れを用(もっ)て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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説苑・說叢君子は窮すと雖も亡國の勢に處らず、貧しと雖も亂君の祿を受けず。亂世に尊く、暴君に同じきは、君子之を恥ずるなり。眾人は形を毀るを以て恥と為し、君子は義を毀るを以て辱と為す。眾人は利を重んじ、廉士は名を重んず。
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荀子・性悪篇孟子曰く、「今(いま)人の性は善なり、將(まさ)に皆(みな)其の性を失喪(しっそう)せんとするが故なり」と。曰く、是(かく)の若(ごと)くんば則ち過(あやま)てり。今人の性、生まれながらにして其の朴(ぼく)を離れ、其の資(し)を離るれば、必ず失いて之を喪(うしな)わん。此れを用て之を観れば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかなり。所謂(いわゆる)性善なる者は、其の朴を離れずして之を美とし、其の資を離れずして之を利とするなり。夫の資朴の美に於(お)ける、心意の善に於けるをして、夫の以て見るべきの明の目を離れず、以て聴くべきの聡の耳を離れざるが若くならしめん、故に目明らかにして耳聡しと曰うなり。今人の性、飢えては飽かんことを欲し、寒くしては煖(あたた)かならんことを欲し、労しては休まんことを欲す。此れ人の情性なり。今人、長(ちょう)を見て敢えて先に食らわざる者は、將に讓る所有らんとすればなり。労して敢えて息(いこ)わんことを求めざる者は、將に代わる所有らんとすればなり。夫れ子の父に讓り、弟の兄に讓り、子の父に代わり、弟の兄に代わる、此の二行なる者は、皆(みな)性に反(そむ)きて情に悖(もと)るなり。然り而(しこ)うして孝子の道、礼義の文理なり。故に情性に順えば則ち辞讓せず、辞讓すれば則ち情性に悖る。此れを用て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。