説苑 / 貴德
中行穆子圍鼓,鼓人有以城反者,不許,軍吏曰:「師徒不勤,可得城,奚故不受?」曰:「有以吾城反者,吾所甚惡也;人以城來,我獨奚好焉?賞所甚惡,有失賞也,若所好何?不賞,是失信也,奚以示民?」鼓人又請降,使人視之,其民尚有食也,不聽,鼓人告食盡力竭而後取之,克鼓而反,不戮一人。
新字:中行穆子囲鼓,鼓人有以城反者,不許,軍吏曰:「師徒不勤,可得城,奚故不受?」曰:「有以吾城反者,吾所甚悪也;人以城来,我独奚好焉?賞所甚悪,有失賞也,若所好何?不賞,是失信也,奚以示民?」鼓人又請降,使人視之,其民尚有食也,不聴,鼓人告食尽力竭而後取之,克鼓而反,不戮一人。
書き下し
中行穆子鼓を囲む、鼓人に城を以て反する者有るも、許さず、軍吏曰く、「師徒勤めずして、城を得べし、奚の故に受けざる」と。曰く、「吾が城を以て反する者有るは、吾が甚だ悪む所なり、人城を以て来る、我独り奚をか好まんや。甚だ悪む所を賞せば、賞を失ふ有り、好む所をば何にせん、賞せざれば、是れ信を失ふなり、奚を以て民に示さん」と。鼓人又た降を請ふ、人をして之を視しむるに、其の民尚ほ食有り、聴かず、鼓人食尽き力竭きたるを告げて而る後に之を取る。鼓を克ちて反り、一人を戮せず。
現代語訳
中行穆子が鼓の国を包囲した。鼓の国の者に城を差し出して寝返る者があったが、これを許さなかった。軍の役人は言った、「兵士たちが苦労せずに城を得られるのに、どうして受け入れないのですか」と。穆子は言った、「わが方の城を差し出して寝返る者がいれば、私はそれを非常に憎むだろう。それなのに、他人の城を差し出す者が来たとき、私だけがそれを好んでよいだろうか。自分が最も憎むはずの行為を、こちらの都合で賞するのでは筋が通らず、賞の与え方を誤ることになる。かといって好意そのものに何も報いなければ、それは信義に反することになる。どちらにしても民に示しがつかない」と。鼓の人々が再び降伏を申し出たので、人をやって様子を見させたところ、まだ食糧が残っていたので、これも受け入れなかった。鼓の人々が食糧も尽き力も尽きたと申し出た後、初めてこれを受け入れた。鼓の国を攻め落として帰還する際、ただの一人も殺さなかった。
解説
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説苑・立節仏肸中牟の県を用て畔く。禄邑を設け鼎に炊きて曰わく、「我に与する者は邑を受け、我に与せざる者は其れ烹らん」と。中牟の士皆之に与す。城北の余子田基独り後れて至り、衣を袪げて将に鼎に入らんとして曰わく、「基之を聞く、義なる者は軒冕前に在るも義に非ずんば受けず、斧鉞後に在るも義もて死すとも避けずと」と。遂に衣を袪げて将に鼎に入らんとす。仏肸播げて趙に之く。簡子中牟を屠り、得て之を取る。功有る者を論ずるに、田基を用て始めと為す。田基曰わく、「吾聞く、廉士は人を恥じしめずと。此くの如くにして中牟の功を受けなば、則ち中牟の士終身慚じん」と。其の母を襁負して、南のかた楚に徙る。楚王其の義を高しとして待つに司馬を以てす。
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『新序』雜事第四昔者、趙の中牟叛く。趙襄子師を率いて之を伐つ。圍未だ合わずして城の自ら壞るる者十堵なり。襄子金を撃ちて退く。士軍吏曰く、君中牟の罪を誅す。而して城自ら壞るるは是れ天の助くるなり。君曷爲れぞ之を去る、と。襄子曰く、吾之を叔向に聞きて曰く、君子は人に利に乘ぜず、人に險に迫らず、と。之をして城かしめて後に攻めん、と。中牟其の義を聞き、乃ち降らんことを請う。詩に曰く、王猶允に塞ち、徐方既に來たる、と。此の謂いなり。襄子遂に知氏を滅ぼし、代を并せて天下に強し。本と中牟を伐つに由るなり。
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説苑・復恩魏の文侯中山を攻む、楽羊将たり、已に中山を得、還り反りて文侯に報ず、喜功の色有り、文侯主書に命じて曰く、「群臣賓客の献ずる所の書、操りて以て進めよ」と。主書の者両篋を挙げて以て進む、将軍をして之を視しむるに、尽く中山を難ずるの事なり、将軍還り走りて北面して再拝して曰く、「中山の挙は、臣の力に非ず、君の功なり」と。
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