説苑 / 立節
楚有士申鳴者,在家而養其父,孝聞於楚國,王欲授之相,申鳴辭不受,其父曰:「王欲相汝,汝何不受乎?」申鳴對曰:「舍父之孝子而為王之忠臣,何也?」其父曰:「使有祿於國,立義於庭,汝樂吾無憂矣,吾欲汝之相也。」申鳴曰:「諾。」遂入朝,楚王因授之相。居三年,白公為亂,殺司馬子期,申鳴將往死之,父止之曰:「棄父而死,其可乎?」申鳴曰:「聞夫仕者身歸於君而祿歸於親,今既去子事君,得無死其難乎?」遂辭而往,因以兵圍之。白公謂石乞曰:「申鳴者,天下之勇士也,今以兵圍我,吾為之奈何?」石乞曰:「申鳴者,天下之孝子也,往劫其父以兵,申鳴聞之必來,因與之語。」白公曰:「善。」則往取其父,持之以兵,告申鳴曰:「子與吾,吾與子分楚國;子不與吾,子父則死矣。」申鳴流涕而應之曰:「始吾父之孝子也,今吾君之忠臣也;吾聞之也,食其食者死其事,受其祿者畢其能;今吾已不得為父之孝子矣,乃君之忠臣也,吾何得以全身!」援桴鼓之,遂殺白公,其父亦死,王賞之金百斤,申鳴曰:「食君之食,避君之難,非忠臣也;定君之國,殺臣之父,非孝子也。名不可兩立,行不可兩全也,如是而生,何面目立於天下。」遂自殺也。
新字:楚有士申鳴者,在家而養其父,孝聞於楚国,王欲授之相,申鳴辞不受,其父曰:「王欲相汝,汝何不受乎?」申鳴対曰:「舎父之孝子而為王之忠臣,何也?」其父曰:「使有禄於国,立義於庭,汝楽吾無憂矣,吾欲汝之相也。」申鳴曰:「諾。」遂入朝,楚王因授之相。居三年,白公為乱,殺司馬子期,申鳴将往死之,父止之曰:「棄父而死,其可乎?」申鳴曰:「聞夫仕者身帰於君而禄帰於親,今既去子事君,得無死其難乎?」遂辞而往,因以兵囲之。白公謂石乞曰:「申鳴者,天下之勇士也,今以兵囲我,吾為之奈何?」石乞曰:「申鳴者,天下之孝子也,往劫其父以兵,申鳴聞之必来,因与之語。」白公曰:「善。」則往取其父,持之以兵,告申鳴曰:「子与吾,吾与子分楚国;子不与吾,子父則死矣。」申鳴流涕而応之曰:「始吾父之孝子也,今吾君之忠臣也;吾聞之也,食其食者死其事,受其禄者畢其能;今吾已不得為父之孝子矣,乃君之忠臣也,吾何得以全身!」援桴鼓之,遂殺白公,其父亦死,王賞之金百斤,申鳴曰:「食君之食,避君之難,非忠臣也;定君之国,殺臣之父,非孝子也。名不可両立,行不可両全也,如是而生,何面目立於天下。」遂自殺也。
書き下し
楚に士有り申鳴なる者、家に在りて其の父を養い、孝楚国に聞こゆ。王之に相を授けんと欲す。申鳴辞して受けず。其の父曰わく、「王汝を相とせんと欲す、汝何為れぞ受けざる」と。申鳴対えて曰わく、「父の孝子を舎てて王の忠臣と為るは、何ぞや」と。其の父曰わく、「国に禄有らしめ、庭に義を立て、汝楽しみて吾憂い無からしめよ。吾汝の相たらんことを欲するなり」と。申鳴曰わく、「諾」と。遂に朝に入り、楚王因りて之に相を授く。居ること三年、白公乱を為し、司馬子期を殺す。申鳴将に往きて之に死せんとす。父之を止めて曰わく、「父を棄てて死す、其れ可ならんや」と。申鳴曰わく、「夫れ仕うる者は身君に帰して禄親に帰すと聞く。今既に子を去りて君に事う、死其の難を得ること無からんや」と。遂に辞して往き、因りて兵を以て之を囲む。白公石乞に謂いて曰わく、「申鳴は、天下の勇士なり。今兵を以て我を囲む、吾之を奈何せん」と。石乞曰わく、「申鳴は、天下の孝子なり。往きて其の父を兵を以て劫かせば、申鳴之を聞きて必ず来たらん、因りて之と語らん」と。白公曰わく、「善し」と。則ち往きて其の父を取り、之を持するに兵を以てし、申鳴に告げて曰わく、「子吾に与すれば、吾子と楚国を分かたん。子吾に与せずんば、子の父則ち死せん」と。申鳴涕を流して之に応えて曰わく、「始め吾父の孝子たりしも、今吾君の忠臣たり。吾之を聞く、其の食を食む者は其の事に死し、其の禄を受くる者は其の能を畢くすと。今吾已に父の孝子たるを得ずして、乃ち君の忠臣たり、吾何ぞ身を全うするを得んや」と。桴を援りて之を鼓し、遂に白公を殺す。其の父も亦死す。王之に金百斤を賞す。申鳴曰わく、「君の食を食みて君の難を避くるは、忠臣に非ざるなり。君の国を定めて臣の父を殺すは、孝子に非ざるなり。名両つながら立つ可からず、行い両つながら全うす可からず。是くの如くにして生く、何の面目ありて天下に立たん」と。遂に自殺す。
現代語訳
楚に申鳴という士がいた。家にあって父を養い、その孝行は楚国中に知れ渡っていた。王は彼を宰相に任じようとした。申鳴は辞退して受けなかった。父が「王がお前を宰相にしようとしているのに、なぜ受けないのか」と尋ねると、申鳴は「父の孝行な子であることを捨てて、王の忠臣となるのはどうしたことでしょうか」と答えた。父は「国から俸禄を得て、朝廷で義を打ち立てよ。お前が楽しんでくれれば、私に憂いはない。私はお前が宰相になることを望んでいるのだ」と言った。申鳴は「わかりました」と言い、朝廷に入った。楚王はそこで彼に宰相の位を授けた。三年が経ち、白公が反乱を起こし、司馬子期を殺した。申鳴はこれに立ち向かい死のうとした。父は彼を止めて「父を見捨てて死ぬとは、それでよいのか」と言った。申鳴は「そもそも仕える者は、その身は君主に捧げ、その俸禄は親に還元するものだと聞いています。今すでに親から離れて君に仕えている以上、この困難に際して死なずにいられましょうか」と言い、辞去して戦いに赴き、兵をもって白公を包囲した。白公は石乞に「申鳴は天下の勇士だ。今、兵をもって我らを囲んでいる。どうしたらよいか」と尋ねた。石乞は「申鳴は天下の孝子です。彼の父を兵で脅かせば、申鳴はそれを聞いて必ずやって来るでしょう。その時に交渉すればよいのです」と言った。白公は「よかろう」と言い、申鳴の父を捕らえ、兵で脅して申鳴に告げさせた。「お前が我らに味方すれば、楚国を分け合おう。味方しなければ、お前の父は死ぬことになる」と。申鳴は涙を流しながら答えた。「かつて私は父の孝行な子であったが、今は君主の忠臣である。私はこう聞いている。その食を食む者はその事のために死に、その禄を受ける者はその能力を出し尽くすものだと。今、私はもはや父の孝子たることはできず、君主の忠臣であるほかない。どうして自分の身を全うすることなどできようか」と。太鼓の桴を取って軍を鼓舞し、ついに白公を討ち取った。その父もまた死んだ。王は彼に黄金百斤を賞として与えた。申鳴は言った。「君主の食を食みながら君主の困難を避けるのは、忠臣ではない。君主の国を安定させながら自分の父を殺す結果を招いたのは、孝子ではない。忠と孝、その名を両立させることはできず、その行いを両方とも全うすることもできない。このような形で生き永らえて、どんな面目があって天下に立てようか」と。そして自ら命を絶った。
解説

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