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説苑 / 立節

孔子見齊景公,景公致廩丘以為養,孔子辭不受,出謂弟子曰:「吾聞君子當功以受祿,今說景公,景公未之行而賜我廩丘,其不知丘亦甚矣!」遂辭而行。曾子衣弊衣以耕,魯君使人往致邑焉,曰:「請以此修衣。」曾子不受,反復往,又不受,使者曰:「先生非求於人,人則獻之,奚為不受?」曾子曰:「臣聞之,受人者畏人,予人者驕人;縱子有賜不我驕也,我能勿畏乎?」終不受。孔子聞之曰:「參之言,足以全其節也。」子思居於衛,縕袍無表,二旬而九食,田子方聞之,使人遺狐白之裘,恐其不受,因謂之曰:「吾假人,遂忘之;吾與人也,如棄之。」子思辭而不受,子方曰:「我有子無,何故不受?」子思曰:「伋聞之,妄與不如棄物於溝壑,伋雖貧也,不忍以身為溝壑,是以不敢當也。」

新字:孔子見斉景公,景公致廩丘以為養,孔子辞不受,出謂弟子曰:「吾聞君子当功以受禄,今説景公,景公未之行而賜我廩丘,其不知丘亦甚矣!」遂辞而行。曽子衣弊衣以耕,魯君使人往致邑焉,曰:「請以此修衣。」曽子不受,反復往,又不受,使者曰:「先生非求於人,人則献之,奚為不受?」曽子曰:「臣聞之,受人者畏人,予人者驕人;縦子有賜不我驕也,我能勿畏乎?」終不受。孔子聞之曰:「参之言,足以全其節也。」子思居於衛,縕袍無表,二旬而九食,田子方聞之,使人遺狐白之裘,恐其不受,因謂之曰:「吾仮人,遂忘之;吾与人也,如棄之。」子思辞而不受,子方曰:「我有子無,何故不受?」子思曰:「伋聞之,妄与不如棄物於溝壑,伋雖貧也,不忍以身為溝壑,是以不敢当也。」

書き下し

孔子斉の景公に見ゆ。景公廩丘を致して以て養と為す。孔子辞して受けず。出でて弟子に謂いて曰わく、「吾聞く、君子功に当たりて禄を受くと。今景公に説くも、景公未だ之を行わずして我に廩丘を賜う、其の丘を知らざること亦甚だし」と。遂に辞して行く。曾子弊衣を衣て以て耕す。魯君人をして往きて邑を致さしめて曰わく、「請う此を以て衣を修めよ」と。曾子受けず。反復して往くも、又受けず。使者曰わく、「先生人に求むるに非ず、人則ち之を献ず、奚為れぞ受けざる」と。曾子曰わく、「臣之を聞く、人を受くる者は人を畏れ、人を予うる者は人に驕ると。子賜有りと縦えども我に驕らざるも、我能く畏れざらんや」と。終に受けず。孔子之を聞きて曰わく、「参の言、以て其の節を全うするに足れり」と。子思衛に居り、縕袍表無く、二旬にして九食す。田子方之を聞き、人をして狐白の裘を遺らしめ、其の受けざらんことを恐れ、因りて之に謂いて曰わく、「吾人に仮すも、遂に之を忘る。吾人に与うるも、之を棄つるが如し」と。子思辞して受けず。子方曰わく、「我有りて子無し、何故に受けざる」と。子思曰わく、「伋之を聞く、妄りに与うるは物を溝壑に棄つるに如かずと。伋貧しと雖も、身を以て溝壑と為すに忍びず、是を以て敢えて当たらざるなり」と。

現代語訳

孔子が斉の景公にお目にかかった。景公は廩丘の地を与えて生活の糧としようとしたが、孔子は辞退して受けなかった。退出後、弟子たちに「私はこう聞いている。君子は功績があって初めて俸禄を受けるものだと。今、景公に説いてはみたものの、景公はまだそれを実行に移してもいないのに私に廩丘を賜おうとした。それは私という人間をまったく理解していないということだ」と言い、そのまま辞去した。曾子はぼろの服を着て耕作していた。魯の君主が人を遣わし邑を与えようとして「この土地の収入で衣服を新調してください」と言わせた。曾子は受けなかった。使者は繰り返し訪ねたが、それでも受けなかった。使者が「先生は人に求めたわけではなく、人の方から差し出しているのに、なぜ受けないのですか」と尋ねると、曾子は「私はこう聞いている。人から物を受ける者は人を恐れるようになり、人に物を与える者は人に対して驕るようになると。あなたが下さるものに驕りがなくとも、私自身がそれを恐れずにいられようか」と言い、最後まで受けなかった。孔子はこれを聞いて「参(曾子)の言葉は、その節義を全うするに十分である」と言った。子思は衛に住み、綿入れの服さえ表地がなく、二十日で九回しか食事ができないほど困窮していた。田子方はこれを聞き、人を遣わして白狐の毛皮を贈らせたが、子思が受け取らないことを恐れ、「私は人に物を貸してもすぐに忘れてしまう。人に物を与えても、それを棄てるようなものだ」と言わせた。子思は辞退して受けなかった。田子方が「私にはあり、あなたにはない。なぜ受けないのか」と言うと、子思は「私はこう聞いています。いい加減に与えることは、物を溝や谷に棄てるようなものだと。私は貧しいとはいえ、自分の身を溝や谷のようなものにされることには耐えられません。だからあえてお受けしないのです」と言った。

解説

孔子・曾子・子思という三者三様の辞退の逸話が並ぶこの章は、施しを受けることの危うさを多角的に描き出す。功績もないのに与えられる恩恵、受け取ることで生じる負い目、いい加減な気持ちで施される憐れみ――いずれも、受け手の独立性や尊厳を静かに侵食するものとして拒絶される。特に「人を受くる者は人を畏れ、人を予うる者は人に驕る」という曾子の指摘は、援助や贈与が対等な関係を歪める力学を鋭く見抜いている。現代でも、困窮している時こそ施しの質を見極め、自分の尊厳を保てる関係かどうかを問う姿勢が、真の自立には欠かせない。

この章句が説くこと

清廉独立恩義

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