孔子家語 / 六本
孔子見齊景公,公悅焉,請置廩丘之邑以為養。孔子辭而不受。入謂弟子曰:「吾聞君子賞功受賞。今吾言於齊君,君未之有行,而賜吾邑,其不知丘亦甚矣。」於是遂行。
新字:孔子見斉景公,公悅焉,請置廩丘之邑以為養。孔子辞而不受。入謂弟子曰:「吾聞君子賞功受賞。今吾言於斉君,君未之有行,而賜吾邑,其不知丘亦甚矣。」於是遂行。
書き下し
孔子、斉の景公に見ゆ。公悦びて、廩丘の邑を置きて以て養と為さんことを請う。孔子辞して受けず。入りて弟子に謂いて曰わく、「吾聞く、君子は功を賞せられて賞を受くと。今吾斉君に言うも、君未だ之れを行うこと有らず、而して吾に邑を賜う。其れ丘を知らざること亦た甚だし。」是に於いて遂に行る。
現代語訳
孔子が斉の景公に謁見すると、景公は喜んで、廩丘の邑を与えて孔子の生活の資にしようとした。孔子は辞退して受け取らなかった。そして退出して弟子に言った。「私は、君子は功績を挙げてはじめて褒賞を受けるものだと聞いている。ところが今、私は斉の君に意見を述べただけで、君はまだそれを実行してもいないのに、私に邑を賜ろうとする。これでは君は丘(私)のことを全く分かっていないのに等しい。」そこでついに斉を去った。
解説
功績もないのに報酬だけを受け取ることを潔しとしない、孔子の廉直さを示す逸話です。景公の厚意そのものは否定していませんが、「意見を述べただけでまだ実行されてもいないのに邑を賜る」ことは、君子が功に応じて賞を受けるという筋道に反すると考え、辞退して斉を去っています。地位や利益を提示されたときに、その裏付けとなる実績や筋道があるかどうかを冷静に見極める姿勢は、現代のビジネスや処世においても、安易な厚遇や便宜を鵜呑みにせず自らの原則を保つことの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
孔子斉景公廉直功績処世
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