呂氏春秋 / 髙義②
孔子見齊景公,景公致廩丘以為養,孔子辭不受,入謂弟子曰:「吾聞君子當功以受祿。今說景公,景公未之行而賜之廩丘,其不知丘亦甚矣。」令弟子趣駕,辭而行。孔子布衣也,官在魯司寇,萬乘難與比行,三王之佐不顯焉,取舍不苟也夫!
新字:孔子見斉景公,景公致廩丘以為養,孔子辞不受,入謂弟子曰:「吾聞君子当功以受禄。今説景公,景公未之行而賜之廩丘,其不知丘亦甚矣。」令弟子趣駕,辞而行。孔子布衣也,官在魯司寇,万乗難与比行,三王之佐不顕焉,取舎不苟也夫!
書き下し
孔子、齊の景公に見ゆ。景公、廩丘を致して以て養と為す。孔子辭して受けず。入りて弟子に謂いて曰く、「吾聞く、君子は功に當って以て祿を受く、と。今景公に説くに、景公未だ之を行わずして、之に廩丘を賜う。其の丘を知らざること亦た甚だし。」弟子をして駕を趣さしめ、辭して行る。孔子は布衣なり。官は魯の司寇に在り。萬乘も與に行いを比し難く、三王の佐も焉よりも顯われざるは、取舍苟めならざればなるかな。
現代語訳
孔子が斉の景公に会った。景公は廩丘の地を与えて生活の資にさせようとしたが、孔子は辞退して受けなかった。退出して弟子に言った。「私はこう聞いている、君子は功にふさわしく禄を受けるものだ、と。いま私は景公に進言したが、景公はそれを実行もしないうちに廩丘を下さった。私という人間をまるで理解していないのも甚だしい」と。そして弟子に車を急がせ、辞去して立ち去った。孔子は一介の庶民であり、官職は魯の司寇にとどまった。しかし万乗の君主でもその行いに肩を並べがたく、三王を補佐した賢臣も孔子ほどには輝かない。それは孔子の進退の判断がいい加減でなかったからである。
解説
この段は、功もないのに与えられた封地を孔子が辞退した逸話です。要点は、君子は功績に見合ってこそ禄を受けるべきで、施しのような報酬は自分を理解しない証だとして退けた点にあります。背景には、儒家が重んじた進退出処の潔さがあり、庶民の身分・低い官職にとどまった孔子が、権力者を凌ぐ評価を得たのは判断が厳格だったからだと論じます。現代でも、実績に伴わない報酬や地位を安易に受け取らない態度は、長い目で見て人としての信用を高めます。対価と貢献の釣り合いを問う姿勢の大切さを示します。
この章句が説くこと
孔子廩丘辞退功と禄出処進退景公
関連する章句
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孔子家語・六本孔子、斉の景公に見ゆ。公悦びて、廩丘の邑を置きて以て養と為さんことを請う。孔子辞して受けず。入りて弟子に謂いて曰わく、「吾聞く、君子は功を賞せられて賞を受くと。今吾斉君に言うも、君未だ之れを行うこと有らず、而して吾に邑を賜う。其れ丘を知らざること亦た甚だし。」是に於いて遂に行る。
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説苑・立節孔子斉の景公に見ゆ。景公廩丘を致して以て養と為す。孔子辞して受けず。出でて弟子に謂いて曰わく、「吾聞く、君子功に当たりて禄を受くと。今景公に説くも、景公未だ之を行わずして我に廩丘を賜う、其の丘を知らざること亦甚だし」と。遂に辞して行く。曾子弊衣を衣て以て耕す。魯君人をして往きて邑を致さしめて曰わく、「請う此を以て衣を修めよ」と。曾子受けず。反復して往くも、又受けず。使者曰わく、「先生人に求むるに非ず、人則ち之を献ず、奚為れぞ受けざる」と。曾子曰わく、「臣之を聞く、人を受くる者は人を畏れ、人を予うる者は人に驕ると。子賜有りと縦えども我に驕らざるも、我能く畏れざらんや」と。終に受けず。孔子之を聞きて曰わく、「参の言、以て其の節を全うするに足れり」と。子思衛に居り、縕袍表無く、二旬にして九食す。田子方之を聞き、人をして狐白の裘を遺らしめ、其の受けざらんことを恐れ、因りて之に謂いて曰わく、「吾人に仮すも、遂に之を忘る。吾人に与うるも、之を棄つるが如し」と。子思辞して受けず。子方曰わく、「我有りて子無し、何故に受けざる」と。子思曰わく、「伋之を聞く、妄りに与うるは物を溝壑に棄つるに如かずと。伋貧しと雖も、身を以て溝壑と為すに忍びず、是を以て敢えて当たらざるなり」と。
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