説苑 / 建本
河間獻王曰:「湯稱學聖王之道者,譬如日焉;靜居獨思,譬如火焉。夫捨學聖王之道,若捨日之光,何乃獨思火之明也;可以見小耳,未可用大知,惟學問可以廣明德慧也。」
新字:河間献王曰:「湯称学聖王之道者,譬如日焉;静居独思,譬如火焉。夫捨学聖王之道,若捨日之光,何乃独思火之明也;可以見小耳,未可用大知,惟学問可以広明徳慧也。」
書き下し
河間の献王曰わく、「湯、聖王の道を学ぶ者を称して、譬うるに日の如しと。静かに居りて独り思うは、譬うるに火の如し。夫れ聖王の道を学ぶを捨つるは、日の光を捨つるが若く、何ぞ乃ち独り火の明を思わんや。以て小を見る可きのみ、未だ以て大知を用う可からず。惟だ学問のみ以て明徳の慧を広む可し」と。
現代語訳
河間の献王は言った。「湯王は、聖王の道を学ぶ者を太陽に喩えて称えた。静かに座って独り思索することは、これを火に喩えられる。そもそも聖王の道を学ぶことを捨てるのは、太陽の光を捨てるようなものであり、どうして独り火の明かりだけを頼りにしようとするのか。それでは小さなものを見ることはできても、大きな知恵を働かせることはできない。学問だけが、明るい徳の智慧を広げることができるのである」と。
解説
独学による内省(火)と、先人の道を学ぶこと(太陽)とを対比し、後者の圧倒的なスケールの違いを説く章である。自分の頭だけで考え抜こうとする「独り思う」姿勢は尊いものだが、それだけでは照らせる範囲に限りがある。先人が積み重ねてきた知の体系を学ぶことは、自分一人の思索では到底届かない広さと明るさをもたらす。現代でも、自己流の工夫にこだわり基礎的な学習や先行研究を軽視する人は少なくないが、この章は、独創性は他者の知を吸収した上でこそ大きく育つという順序を教えている。
この章句が説くこと
学問独学知恵
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