説苑 / 建本
孔子曰:鯉,君子不可以不學,見人不可以不飾;不飾則無根,無根則失理;失理則不忠,不忠則失禮,失禮則不立。夫遠而有光者,飾也;近而逾明者,學也。譬之如污池,水潦注焉,菅蒲生之,從上觀之,知其非源也。
新字:孔子曰:鯉,君子不可以不学,見人不可以不飾;不飾則無根,無根則失理;失理則不忠,不忠則失礼,失礼則不立。夫遠而有光者,飾也;近而逾明者,学也。譬之如污池,水潦注焉,菅蒲生之,従上観之,知其非源也。
書き下し
孔子曰わく、鯉よ、君子は以て学ばずんばある可からず、人に見ゆるに以て飾らずんばある可からず。飾らざれば則ち根無く、根無ければ則ち理を失う。理を失えば則ち忠ならず、忠ならざれば則ち礼を失う、礼を失えば則ち立たず。夫れ遠くして光有る者は飾りなり、近くして逾々明らかなる者は学なり。之を污池に譬うるに、水潦焉に注ぎ、菅蒲之に生ず、上より之を観れば、其の源に非ざるを知る。
現代語訳
孔子は言った。鯉(孔子の子)よ、君子は学ばないわけにはいかず、人前に出る際は身を整えないわけにはいかない。身を整えなければ根拠がなく、根拠がなければ道理を失う。道理を失えば忠実でなくなり、忠実でなければ礼を失い、礼を失えば自立できない。遠くにいても光り輝いて見えるのは身を整えることの効果であり、近くで接するほどますます明らかになるのは学問の効果である。これを汚れた池に喩えるなら、雨水がそこに注ぎ込んで菅や蒲が生い茂ったとしても、上から見ればそれが本来の水源でないことがわかるようなものである。
解説
外面を整える「飾り」と内実を養う「学」を対比しつつ、両者がともに欠かせないと説くこの章は、見かけだけを取り繕う危うさを、水源を持たない池に喩えて鋭く指摘する。雨水で一時的に潤い草が茂っても、それが本来の水源でなければいずれ枯れるように、学問という内実の裏付けのない身なりや評判は長続きしない。SNSやプレゼンで外見や体裁を整えることが容易になった現代だからこそ、遠目には輝いて見える「飾り」の奥に、近づくほど輝きを増す本物の「学」があるかどうかが問われている。
この章句が説くこと
学問外見根本
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