説苑 / 建本
孟子曰:人知糞其田,莫知糞其心;糞田莫過利曲得粟,糞心易行而得其所欲。何謂糞心?博學多聞;何謂易行?一性止淫也。
新字:孟子曰:人知糞其田,莫知糞其心;糞田莫過利曲得粟,糞心易行而得其所欲。何謂糞心?博学多聞;何謂易行?一性止淫也。
書き下し
孟子曰わく、人其の田に糞するを知りて、其の心に糞するを知る莫し。田に糞するは粟を利し得るに過ぐる莫く、心に糞するは行いを易えて其の欲する所を得るに易し。何をか心に糞すと謂う。博く学び多く聞くなり。何をか行いを易うと謂う。性を一にして淫を止むるなり。
現代語訳
孟子は言った。人は自分の田に肥料をやることは知っているが、自分の心に肥料をやることは知らない。田に肥料をやるのは穀物を多く得ることに他ならないが、心に肥料をやれば行いを改め望むものを容易に得られる。何を心に肥料をやると言うのか。広く学び多くを聞くことである。何を行いを改めると言うのか。心を一つにして放埒を止めることである。
解説
田畑への施肥は目に見える収穫という報酬があるため誰もが実践するが、心への「施肥」――すなわち学びと自己統御――は見返りが遅れて現れるため、多くの人が怠ってしまう。この短い一章は、目に見える利益への投資と、目に見えない自己への投資との非対称性を鋭く突いている。現代でも、設備投資やスキルの外形的な習得には熱心でも、内面の学びや放埒を制御する修養には無頓着な人は多い。心という「畑」もまた耕し続けなければ荒れるのだという比喩は、自己投資の本質を平易な言葉で言い当てている。
この章句が説くこと
修養学問自己投資
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