説苑 / 建本
伯禽與康叔封朝於成王,見周公三見而三笞,康叔有駭色,謂伯禽曰:「有商子者,賢人也,與子見之。」康叔封與伯禽見商子曰:「某某也,日吾二子者朝乎成王,見周公三見而三笞,其說何也?」商子曰:「二子盍相與觀乎南山之陽有木焉,名曰橋。」二子者往觀乎南山之陽,見橋竦焉實而仰,反以告乎商子,商子曰:「橋者父道也。」商子曰:「二子盍相與觀乎南山之陰,有木焉,名曰梓。」二子者往觀乎南山之陰,見梓勃焉實而俯,反以告商子,商子曰:「梓者、子道也。」二子者明日見乎周公,入門而趨,登堂而跪,周公拂其首,勞而食之曰:「安見君子?」二子對曰:「見商子。」周公曰:「君子哉!商子也。」
新字:伯禽与康叔封朝於成王,見周公三見而三笞,康叔有駭色,謂伯禽曰:「有商子者,賢人也,与子見之。」康叔封与伯禽見商子曰:「某某也,日吾二子者朝乎成王,見周公三見而三笞,其説何也?」商子曰:「二子盍相与観乎南山之陽有木焉,名曰橋。」二子者往観乎南山之陽,見橋竦焉実而仰,反以告乎商子,商子曰:「橋者父道也。」商子曰:「二子盍相与観乎南山之陰,有木焉,名曰梓。」二子者往観乎南山之陰,見梓勃焉実而俯,反以告商子,商子曰:「梓者、子道也。」二子者明日見乎周公,入門而趨,登堂而跪,周公払其首,労而食之曰:「安見君子?」二子対曰:「見商子。」周公曰:「君子哉!商子也。」
書き下し
伯禽と康叔封と成王に朝す。周公に見えて三たび見えて三たび笞たる。康叔駭色有り。伯禽に謂いて曰わく、「商子なる者有り、賢人なり。子と之に見えん」と。康叔封と伯禽と商子に見えて曰わく、「某某や、日ごろ吾が二子成王に朝し、周公に見えて三たび見えて三たび笞たる。其の説何ぞや」と。商子曰わく、「二子盍ぞ相与に南山の陽を観ざる。木有り、名づけて橋と曰う」と。二子往きて南山の陽を観るに、橋の竦然として実りて仰ぐを見る。反りて以て商子に告ぐ。商子曰わく、「橋は父の道なり」と。商子曰わく、「二子盍ぞ相与に南山の陰を観ざる。木有り、名づけて梓と曰う」と。二子往きて南山の陰を観るに、梓の勃然として実りて俯すを見る。反りて商子に告ぐ。商子曰わく、「梓は子の道なり」と。二子明日周公に見え、門に入りて趨り、堂に登りて跪く。周公其の首を払い、労いて之に食わせて曰わく、「安にか君子を見しや」と。二子対えて曰わく、「商子に見えたり」と。周公曰わく、「君子なるかな、商子や」と。
現代語訳
伯禽と康叔封が成王に朝見した後、周公にお目にかかったところ、三度会って三度とも鞭打たれた。康叔は驚き怯えた様子で、伯禽に「商子という賢人がいる。一緒に会いに行こう」と言った。二人が商子に会って尋ねた。「先日、私たち二人が成王に朝見し、周公にお目にかかったところ三度とも鞭打たれました。これはどういうわけでしょうか」。商子は言った。「お二人で南山の南側をご覧なさい。橋という木があります」。二人が行って見ると、橋の木はまっすぐ高く伸びて実をつけ、上を仰いでいた。戻って報告すると、商子は「橋は父の道である」と言った。商子はさらに「お二人で南山の北側をご覧なさい。梓という木があります」と言った。二人が見に行くと、梓の木は勢いよく茂って実をつけ、うつむいていた。戻って報告すると、商子は「梓は子の道である」と言った。二人は翌日、周公にお目にかかると、門を入るや小走りに進み、堂に上ると跪いた。周公は二人の頭を撫で、ねぎらって食事を与えて「一体誰の所で君子に会ってきたのか」と尋ねた。二人は「商子にお会いしました」と答えた。周公は「君子であるな、商子は」と言った。
解説
この章句が説くこと
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