説苑 / 君道
楚文王有疾,告大夫曰:「筦饒犯我以義,違我以禮,與處不安,不見不思,然吾有得焉,必以吾時爵之;申侯伯,吾所欲者,勸我為之;吾所樂者,先我行之。與處、則安,不見、則思,然吾有喪焉,必以吾時遺之。」大夫許諾,乃爵筦饒以大夫,贈申侯伯而行之。申侯伯將之鄭,王曰:「必戒之矣,而為人也不仁,而欲得人之政,毋以之魯、衛、宋、鄭。」不聽,遂之鄭,三年而得鄭國之政,五月而鄭人殺之。
新字:楚文王有疾,告大夫曰:「筦饒犯我以義,違我以礼,与処不安,不見不思,然吾有得焉,必以吾時爵之;申侯伯,吾所欲者,勧我為之;吾所楽者,先我行之。与処、則安,不見、則思,然吾有喪焉,必以吾時遺之。」大夫許諾,乃爵筦饒以大夫,贈申侯伯而行之。申侯伯将之鄭,王曰:「必戒之矣,而為人也不仁,而欲得人之政,毋以之魯、衛、宋、鄭。」不聴,遂之鄭,三年而得鄭国之政,五月而鄭人殺之。
書き下し
楚の文王疾有り、大夫に告げて曰く、「筦饒我を犯すに義を以てし、我に違うに礼を以てす、与に処りて安からず、見ざれば則ち思わず、然れども吾得る有り、必ず吾が時を以て之を爵せん。申侯伯は、吾が欲する所、我に勧めて之を為さしむ。吾が楽しむ所、我に先んじて之を行う。与に処れば則ち安く、見ざれば則ち思う、然れども吾喪う有り、必ず吾が時を以て之に遺らん」と。大夫諾す。乃ち筦饒を爵するに大夫を以てし、申侯伯に贈りて之を行わしむ。申侯伯将に鄭に之かんとす。王曰く、「必ず之を戒めよ、而の人と為るや不仁にして、人の政を得んと欲す、以て魯・衛・宋・鄭に之く毋かれ」と。聴かずして遂に鄭に之き、三年にして鄭国の政を得、五月にして鄭人之を殺す。
現代語訳
楚の文王が病にかかり、大夫に告げて言った。「筦饒は義をもって私を犯し、礼をもって私に逆らう。彼と一緒にいると安らかではないが、会わないと思い出す。それでも私は得るものがあるので、必ず然るべき時に彼を爵位に取り立てよう。申侯伯は、私が欲することがあれば勧めてそれをさせ、私が楽しむことがあれば私に先んじてそれを行う。彼と一緒にいると安らかだが、会わないでいても思い出さない。それでも私は失うものがあるので、必ず然るべき時に彼に贈り物をしよう。」大夫はこれを承知した。そこで筦饒を大夫の位に取り立て、申侯伯には贈り物をして送り出した。申侯伯が鄭に向かおうとすると、王は言った。「必ずこれを戒めておく。彼の人となりは不仁であり、人の政治権力を奪おうとするから、魯・衛・宋・鄭には行かせるな。」しかし聞き入れず結局鄭に行き、三年で鄭国の政治権力を握り、五か月後に鄭の人々に殺された。
解説

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呂氏春秋・長見②荊の文王曰く、「莧譆數々我を犯すに義を以てし、我に違うに禮を以てす。與に處れば則ち安からざるも、之を曠しくすれば而ち不穀得。吾が身を以て之を爵せずんば、後世聖人有りて、將に以て不穀を非とせんとす。」是に於て之を五大夫に爵す。「申侯伯は善く吾が意を持養す、吾が欲する所は則ち我に先じて之を為す。與に處れば則ち安きも、之を曠しくすれば而ち不穀喪う。吾が身を以て之を遠ざけずんば、後世聖人有りて、將に以て不穀を非とせんとす。」是に於て送りて之を行らしむ。申侯伯、鄭に如き、鄭君の心に阿り、先づ其の欲する所を為す。三年にして、鄭國の政を知るも、五月にして鄭人之を殺せり。是れ後世の聖人、文王をして善を上世に為さしめしなり。
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『新序』雜事第一楚の共王疾有り。令尹を召して曰く、常侍の筦蘇我と處るに、常に我に忠なるに道を以てし、我を正すに義を以てす。吾與に處りて安からざるなり、見ざれば思わざるなり。然りと雖も、吾得る有るなり。其の功細ならず。必ず之を厚く爵せよ。申侯伯與に處るに、常に吾を縱恣にす。吾樂しむ所の者は、吾に勸めて之を爲さしむ。吾好む所の者は、吾に先んじて之を服す。吾與に處りて之を歡樂す、戚戚を見ず。然りと雖も、吾終に得る無きなり。其の過ち細ならず。必ず亟かに之を遣れ、と。令尹曰く、諾、と。
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『春秋左氏伝』文公元年 商臣、成王を弑す初め、楚子將に商臣を以って大子と為さんとし、諸を令尹子上に訪ふ。子上曰く、「君の齒未だし。而も又愛多し。黜(しりぞ)くるは乃ち亂なり。楚國の舉は、恒に少者に在り。且つ是の人や、蜂目にして豺聲、忍人なり。立つ可からざるなり」と。聽かず。既にして又王子職を立てて大子商臣を黜けんと欲す。商臣之を聞きて未だ察せず。其の師潘崇に告げて曰く、「之を若何にして之を察せん」と。潘崇曰く、「江芊を享して敬すること勿かれ」と。之に從ふ。江芊怒りて曰く、「呼、役夫。宜なるかな君王の女を殺して職を立てんと欲するや」と。潘崇に告げて曰く、「信なり」と。潘崇曰く、「能く諸に事へんか」と。曰く、「能はず」と。「能く行らんか」と。曰く、「能はず」と。「能く大事を行はんか」と。曰く、「能くす」と。冬、十月、宮甲を以って成王を圍む。王熊蹯(ゆうはん)を食らひて死せんことを請ふ。聽かず。丁未、王縊る。之に謚して「靈」と曰ふ。瞑せず。「成」と曰ふ。乃ち瞑す。穆王立つ。其の大子為りし時の室を以って潘崇に與へ、大師と為し、且つ環列の尹を掌らしむ。穆伯齊に如く、始めて聘す、禮なり。凡そ君位に即けば、卿出でて並びに聘し、舊好を踐脩し、外援を要結し、鄰國に好事して、以って社稷を衛る。忠信卑讓の道なり。忠は、德の正なり。信は、德の固なり。卑讓は、德の基なり。
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『春秋左氏伝』襄公七年 臣と為りて君たり衛の孫文子來聘す。且つ武子の言を拜して、孫桓子の盟を尋(あたた)む。公登れば亦た登る。叔孫穆子相たり。趨り進みて曰く、「諸侯の會に、寡君未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子寡君に後れず。寡君未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子辭無く、亦た悛(あらた)むる容無し。穆叔曰く、「孫子必ず亡びん。臣と爲りて君たり、過ちて悛めず、亡の本なり。詩に曰く、『退食して公よりす、委蛇(いい)たり委蛇たり』と。從ふ者を謂ふなり。衡にして委蛇たらば必ず折れん」と。楚の子囊、陳を圍む。鄬(い)に會して以て之を救ふ。鄭の僖公の大子たるや、成の十六年に於て、子罕と晉に適き、焉を禮せず。又子豐と楚に適き、亦た焉を禮せず。其の元年に及び、晉に朝す。子豐、諸を晉に愬へて之を廢せんと欲す。子罕之を止む。將に鄬に會せんとするに及び、子駟相たり。又焉を禮せず。侍者諫む。聽かず。又諫む。之を殺す。鄵(そう)に及び、子駟、賊をして夜に僖公を弒せしめて、瘧疾を以て諸侯に赴す。簡公生まれて五年なり。奉じて之を立つ。陳人、楚を患ふ。慶虎・慶寅、楚人に謂ひて曰く、「吾、公子黃をして往かしめん。而(なんぢ)之を執へよ」と。楚人之に從ふ。二慶、使をして陳侯に會に告げしめて曰く、「楚人、公子黃を執へたり。君若し來らずんば、群臣社稷宗廟に忍びず、二圖有らんことを懼る」と。陳侯逃れ歸る。
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