説苑 / 君道
楚莊王既服鄭伯,敗晉師,將軍子重,三言而不當,莊王歸,過申侯之邑,申侯進飯,日中而王不食,申侯請罪,莊王喟然嘆曰:「吾聞之,其君賢者也,而又有師者王;其君中君也,而又有師者霸;其君下君也,而群臣又莫若君者亡。今我,下君也,而群臣又莫若不穀恐亡,且世不絕聖,國不絕賢;天下有賢而我獨不得,若吾生者,何以食為?」故戰服大國義從諸侯,戚然憂恐聖知不在乎身,自惜不肖,思得賢佐,日中忘飯,可謂明君矣。
新字:楚荘王既服鄭伯,敗晋師,将軍子重,三言而不当,荘王帰,過申侯之邑,申侯進飯,日中而王不食,申侯請罪,荘王喟然嘆曰:「吾聞之,其君賢者也,而又有師者王;其君中君也,而又有師者覇;其君下君也,而群臣又莫若君者亡。今我,下君也,而群臣又莫若不穀恐亡,且世不絶聖,国不絶賢;天下有賢而我独不得,若吾生者,何以食為?」故戦服大国義従諸侯,戚然憂恐聖知不在乎身,自惜不肖,思得賢佐,日中忘飯,可謂明君矣。
書き下し
楚の荘王既に鄭伯を服し、晋師を敗り、将軍子重、三言にして当たらず、荘王帰るに、申侯の邑を過ぐ。申侯飯を進むるも、日中にして王食わず。申侯罪を請う。荘王喟然として嘆じて曰く、「吾之を聞く、其の君賢なる者にして又師有る者は王たり、其の君中君にして又師有る者は覇たり、其の君下君にして群臣又君に若かざる者は亡ぶと。今我下君なり、而して群臣又不穀に若かず、亡びんことを恐る。且つ世聖を絶たず、国賢を絶たず。天下賢有りて我独り得ざれば、吾が生くるが若き者、何を以て食を為さん」と。故に大国を戦服して義もて諸侯を従え、戚然として聖知の身に在らざるを憂恐し、自ら不肖を惜しみ、賢佐を得んことを思い、日中に飯を忘る、明君と謂うべし。
現代語訳
楚の荘王はすでに鄭伯を服従させ、晋の軍を打ち破ったが、将軍の子重は三度の進言がいずれも的を外していた。荘王が帰国する途中、申侯の領地を通りかかった。申侯が食事を進めたが、正午になっても王は食べなかった。申侯が謝罪を請うと、荘王はため息をついて嘆いて言った。「私が聞くところでは、君主が賢明であり、さらに師と仰ぐ者がいれば王者となり、君主が並みの器であっても師がいれば覇者となり、君主が凡庸で群臣も君主に及ばなければ国は滅びるという。今、私は凡庸な君主であり、群臣もまた私に及ばない。滅びることを恐れる。しかも世に聖人が絶えることはなく、国に賢者が絶えることもない。天下に賢者がいるのに私だけがそれを得られないなら、このように生きていて何のために食事をとるのか。」こうして大国を戦で服従させ、義によって諸侯を従わせながらも、荘王は自分に聖知が備わっていないことを憂い恐れ、自らの不肖を惜しみ、賢明な補佐役を得たいと思い、正午になっても食事を忘れた。まさに明君と呼ぶべきである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『新書』先醒昔楚の荘王即位し、自ら静かなること三年、以て得失を講じ、乃ち邪を退け忠正を進め、能者は事に任じて而る後に高位に在り、内に国政を領し、草を辟き教えを施し、百姓富み、民恒に一にして、路に遺を拾わず、国に獄訟無し。是の時に当たりて、周室壊微し、天子制を失い、宋・鄭は無道にして、諸侯を欺昧す。荘王宋を囲み鄭を伐つ。鄭伯肉袒し羊を牽き、簪を奉じて国を献ず。荘王曰く、『古の伐つ者は、乱るれば則ち之を整え、服すれば則ち之を舎く。之を利するに非ざるなり』と。遂に受けず、乃ち晋人と両棠に戦い、大いに晋人に克ち、諸侯を漢陽に会し、天子の辟禁を申べ、諸侯説服す。荘王帰り、申侯の邑に過る。申侯飯を進む。日中にして王食らわず。申侯罪を請いて曰く、『臣は斎して食を具うること甚だ潔し。日中にして飯せず。臣敢えて罪を請う』と。荘王喟然として嘆じて曰く、『子の罪に非ざるなり。吾之を聞く。曰く、其の君は賢君にして、又た師有る者は王たり。其の君は中君にして、師有る者は伯たり。其の君は下君にして、群臣又た若く莫き者は亡ぶ。今我は下君なり。而して群臣又た不穀に若く莫し。恐らくは亡有らん。吾之を聞く、世に賢を絶たず。
-
荀子・堯問篇魏の武侯、事を謀りて当たり、群臣能く逮(およ)ぶもの莫し。朝を退きて喜色有り。呉起進みて曰く、亦た嘗て楚の荘王の語を以て、左右に聞かしむる者有りや、と。武侯曰く、楚の荘王の語は何如(いかん)、と。呉起対えて曰く、楚の荘王、事を謀りて当たり、群臣逮ぶもの莫し。朝を退きて憂色有り。申公巫臣(しんこうふしん)進み問いて曰く、王、朝(ちょう)して憂色有るは、何ぞや、と。荘王曰く、不穀(ふこく)事を謀りて当たり、群臣能く逮ぶもの莫し。是を以て憂うるなり。其れ中蘬(ちゅうき)の言に在り。曰く、諸侯にして自ら師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑(たす)くる者を得る者は存し、自ら謀りて己に若(し)くもの莫き者は亡ぶ、と。今、不穀の不肖を以てして、群臣能く逮ぶもの莫し。吾が国、亡ぶるに幾(ちか)からんか。是を以て憂うるなり、と。楚の荘王は以て憂え、而して君は以て喜ぶ、と。武侯逡巡(しゅんじゅん)して再拝して曰く、天、夫子をして寡人の過ちを振(すく)わしむるなり、と。
-
呉子・図国篇武侯嘗て事を謀るに、群臣能く及ぶ莫く、朝を罷めて喜色有り。起進みて曰く、「昔、楚の荘王嘗て事を謀るに、群臣能く及ぶ莫く、朝を退きて憂色有り。申公問いて曰く、『君に憂色有るは、何ぞや』と。曰く、『寡人之を聞く、世に聖を絶たず、国に賢を乏しからず。能く其の師を得る者は王たり、其の友を得る者は霸たり、と。今、寡人は不才にして、群臣の及ぶ莫きは、楚国其れ殆うからん』と。此れ楚の荘王の憂うる所にして、君は之を説ぶ。臣竊かに懼るるなり」と。是に於いて武侯に慚色有り。
-
説苑・君道明主なる者に三懼有り。一に曰く尊位に処りて其の過ちを聞かざるを恐る。二に曰く意を得て驕らんことを恐る。三に曰く天下の至言を聞きて行う能わざらんことを恐る。何を以て其の然るを識るや。越王勾践、呉人と戦い、大いに之を敗り、九夷を兼有す。是の時に当たりて、南面して立ち、近臣三、遠臣五、群臣に令して曰く、吾が過ちを聞きて告げざる者は其の罪刑すと。此れ尊位に処りて其の過ちを聞かざるを恐るる者なり。昔者晋の文公、楚人と戦い、大いに之に勝ち、其の軍を焼き、火三日にして滅えず。文公退きて憂色有り。侍者曰く、「君大いに楚に勝ち、今憂色有り、何ぞや」と。文公曰く、「吾聞く、能く戦い勝ちて安んずる者は、其れ唯だ聖人のみか。若し夫れ詐りて勝つの徒は、未だ嘗て危うからずんばあらず、吾是を以て憂う」と。此れ意を得て驕らんことを恐るるなり。昔斉の桓公、筦仲隰朋を得て、其の言を弁じ、其の義を説び、正月の朝、太牢を具えしめて之を先祖に進む。桓公西面して立ち、筦仲隰朋東面して立つ。桓公賛して曰く、「吾二子の言を聴くを得てより、吾が目加々明らかに、耳加々聡く、敢えて独り擅にせず、願わくは之を先祖に荐めん」と。此れ天下の至言を聞きて行う能わざらんことを恐るる者なり。斉の景公猟に出でて、山に上りて虎を見、沢に下りて蛇を見る。帰りて晏子を召して之を問いて曰く、「今日寡人猟に出で、山に上れば則ち虎を見、沢に下れば則ち蛇を見る、殆ど所謂之を不祥と謂うか」と。晏子曰く、「国に三不祥有り、是れ与らざるなり。賢有りて知らざる、一不祥なり。知りて用いざる、二不祥なり。用いて任ぜざる、三不祥なり。所謂不祥とは乃ち此くの如き者なり。今山上に虎を見るは、虎の室なり。下沢に蛇を見るは、蛇の穴なり。虎の室の如く、蛇の穴の如くにして之を見る、曷為れぞ不祥ならんや」と。
-
説苑・君道楚の荘王、天妖を見さず、地孽を出ださざるを見れば、則ち山川に禱りて曰く、「天其れ予を忘れたるか」と。此れ能く過ちを天に求むる、必ず諫を逆えざるなり。安くして危うきを忘れず、故に能く終に覇功を成す。
-
呂氏春秋・驕恣③魏武侯、事を謀りて當り、庭に攘臂疾言して、曰く、「大夫の慮りは、寡人に如くものは莫し。」立つこと間く有りて、再三言う。李悝趨り進みて曰く、「昔者、楚の莊王、事を謀りて當り、大功有るも、朝より退きて憂色有り。左右曰く、『王大功有り、朝を退きて憂色有り、敢て其の說を問う。』王曰く、『仲虺言えること有り。不穀之を說かん。曰く、諸侯の德、能く自ら為に師を取る者は王たり、能く自ら友を取る者は存し、其の擇ぶ所にして己に如くもの無き者は亡ぶ、と。今不穀の不肖なるを以て、群臣の謀、又吾に及ぶもの莫し。我其れ亡びんか。』曰く、此れ霸王の憂うる所なり。而るに君獨り之を伐は、其れ可ならんか。」武侯曰く、「善し。」人主の患いは、自ら少とするに在らずして、自ら多とするに在り。自ら多とすれば則ち受くることを辭す。受くることを辭すれば則ち原竭く。李悝能く其の君を諫めたりと謂う可し。壹たび稱して武侯をして益々人に君たるの道を知らしむ。