説苑 / 君道
楚莊王見天不見妖,而地不出孽,則禱於山川曰:「天其忘予歟?」此能求過於天,必不逆諫矣,安不忘危,故能終而成霸功焉。
新字:楚荘王見天不見妖,而地不出孽,則禱於山川曰:「天其忘予歟?」此能求過於天,必不逆諫矣,安不忘危,故能終而成覇功焉。
書き下し
楚の荘王、天妖を見さず、地孽を出ださざるを見れば、則ち山川に禱りて曰く、「天其れ予を忘れたるか」と。此れ能く過ちを天に求むる、必ず諫を逆えざるなり。安くして危うきを忘れず、故に能く終に覇功を成す。
現代語訳
楚の荘王は、天が不吉な兆しを示さず、地が妖しい前兆を出さないのを見ると、山川に祈って「天は私のことを忘れてしまったのだろうか」と言った。これは自ら進んで過ちを天に求める姿勢であり、必ず諫言を拒むことのない態度でもある。安泰な時にも危機を忘れないからこそ、ついには覇者としての功業を成し遂げることができたのである。
解説
不吉な兆しが現れないことをむしろ不安に思い、天に問いかけた荘王の姿勢は、異常なほどの自己点検への渇望を示している。通常、人は悪い兆候がなければ安心して油断するものだが、荘王は兆しがないこと自体が、自分の過ちを指摘してくれる存在の不在ではないかと疑った。順調な時ほど自らへの批判や警鐘を求め続ける姿勢は、成功に安住しやすい現代の組織や個人にとって、危機管理の本質を突く教訓である。
この章句が説くこと
安不忘危自省覇功
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