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説苑 / 君道

燕昭王問於郭隗曰:「寡人地狹人寡,齊人削取八城,匈奴驅馳樓煩之下,以孤之不肖,得承宗廟,恐危社稷,存之有道乎?」郭隗曰:「有,然恐王之不能用也。」昭王避席請聞之,郭隗曰:「帝者之臣,其名,臣也,其實,師也;王者之臣,其名,臣也,其實,友也;霸者之臣,其名,臣也,其實,賓也;危國之臣,其名,臣也,其實,虜也。今王將東面,目指氣使以求臣,則廝役之材至矣;南面聽朝,不失揖讓之禮以求臣,則人臣之材至矣;西面等禮相亢,下之以色,不乘勢以求臣,則朋友之材至矣;北面拘指,逡巡而退以求臣,則師傅之材至矣。如此則上可以王,下可以霸,唯王擇焉。」燕王曰:「寡人願學而無師。」郭隗曰:「王誠欲興道,隗請為天下之士開路。」於是燕王常置郭隗上坐南面,居三年,蘇子聞之,從周歸燕;鄒衍聞之,從齊歸燕;樂毅聞之,從趙歸燕;屈景聞之,從楚歸燕。四子畢至,果以弱燕并彊齊;夫燕齊非均權敵戰之國也,所以然者,四子之力也。詩曰:「濟濟多士,文王以寧。」此之謂也。

新字:燕昭王問於郭隗曰:「寡人地狭人寡,斉人削取八城,匈奴駆馳楼煩之下,以孤之不肖,得承宗廟,恐危社稷,存之有道乎?」郭隗曰:「有,然恐王之不能用也。」昭王避席請聞之,郭隗曰:「帝者之臣,其名,臣也,其実,師也;王者之臣,其名,臣也,其実,友也;覇者之臣,其名,臣也,其実,賓也;危国之臣,其名,臣也,其実,虜也。今王将東面,目指気使以求臣,則廝役之材至矣;南面聴朝,不失揖譲之礼以求臣,則人臣之材至矣;西面等礼相亢,下之以色,不乗勢以求臣,則朋友之材至矣;北面拘指,逡巡而退以求臣,則師傅之材至矣。如此則上可以王,下可以覇,唯王択焉。」燕王曰:「寡人願学而無師。」郭隗曰:「王誠欲興道,隗請為天下之士開路。」於是燕王常置郭隗上坐南面,居三年,蘇子聞之,従周帰燕;鄒衍聞之,従斉帰燕;楽毅聞之,従趙帰燕;屈景聞之,従楚帰燕。四子畢至,果以弱燕并彊斉;夫燕斉非均権敵戦之国也,所以然者,四子之力也。詩曰:「済済多士,文王以寧。」此之謂也。

書き下し

燕の昭王、郭隗に問いて曰く、「寡人地狭く人寡なく、斉人八城を削り取り、匈奴楼煩の下に駆馳す。孤の不肖を以て、宗廟を承くるを得たり、社稷を危うくするを恐る、之を存するに道有りや」と。郭隗曰く、「有り、然れども王の用うる能わざるを恐る」と。昭王席を避けて之を聞かんことを請う。郭隗曰く、「帝者の臣は、其の名は臣なるも、其の実は師なり。王者の臣は、其の名は臣なるも、其の実は友なり。覇者の臣は、其の名は臣なるも、其の実は賓なり。危国の臣は、其の名は臣なるも、其の実は虜なり。今王将に東面し、目指気使して以て臣を求めば、則ち廝役の材至らん。南面聴朝して、揖譲の礼を失わずして以て臣を求めば、則ち人臣の材至らん。西面等礼相亢して、之に色を下し、勢に乗ぜずして以て臣を求めば、則ち朋友の材至らん。北面拘指して、逡巡して退きて以て臣を求めば、則ち師傅の材至らん。此くの如くば則ち上は以て王たるべく、下は以て覇たるべし、唯だ王択べ」と。燕王曰く、「寡人学ばんことを願うも師無し」と。郭隗曰く、「王誠に道を興さんと欲せば、隗請う天下の士の為に路を開かん」と。是に於いて燕王常に郭隗を上坐南面に置く。三年に居りて、蘇子之を聞き、周より燕に帰す。鄒衍之を聞き、斉より燕に帰す。楽毅之を聞き、趙より燕に帰す。屈景之を聞き、楚より燕に帰す。四子畢く至り、果たして弱燕を以て彊斉を并す。夫れ燕斉均権敵戦の国に非ざるなり、然る所以の者は、四子の力なり。詩に曰く、「済済たる多士、文王以て寧んず」と、此を之れ謂うなり。

現代語訳

燕の昭王が郭隗に尋ねた。「私は領地が狭く人も少なく、斉人には八つの城を奪われ、匈奴には楼煩の地で馬を駆けさせられている。私のような不肖の身で宗廟を継ぐことになったが、社稷を危うくすることを恐れている。国を存続させる方法はあるか。」郭隗は「あります。ただし王がそれを実行できるかどうかを恐れます」と言った。昭王は席を立ってそれを聞くことを請うた。郭隗は言った。「帝者の臣下は、名目は臣下でも実質は師です。王者の臣下は、名目は臣下でも実質は友です。覇者の臣下は、名目は臣下でも実質は賓客です。危うい国の臣下は、名目は臣下でも実質は虜です。今、王が東を向いて目や気配で人を使うように臣を求めれば、召使い程度の人材しか来ません。南を向いて朝廷を聞き、会釈の礼を失わずに臣を求めれば、普通の臣下の人材が来ます。西を向いて対等の礼で相対し、相手にへりくだって、権勢に乗じずに臣を求めれば、友人のような人材が来ます。北を向いて指し示すのみで、控えめに退いて臣を求めれば、師や傅のような人材が来ます。このようにすれば上は王者となることができ、下でも覇者となることができます。ただ王が選ぶだけです。」燕王は「私は学びたいと願うが師がいない」と言った。郭隗は「王が本当に道を興そうとお思いなら、まず私からその道を開かせてください」と言った。そこで燕王は常に郭隗を上座の南面に置いた。三年が経つと、蘇子はこれを聞いて周から燕に帰服し、鄒衍はこれを聞いて斉から燕に帰服し、楽毅はこれを聞いて趙から燕に帰服し、屈景はこれを聞いて楚から燕に帰服した。この四人がすべて至り、果たして弱小の燕をもって強大な斉を併合した。燕と斉は本来対等に戦える国ではなかったが、そうなり得たのは、この四人の力である。詩経に「多くの立派な人材が揃い、文王はそれによって国を安んじた」とあるのは、このことを言っている。

解説

郭隗が示す隗より始めよの逸話は、真の人材を得るにはまず自分自身がへりくだる姿勢を見せることが不可欠だという教訓である。臣下を単なる使い走りとして扱うか、師として敬うかによって、集まる人材の質が根本的に変わるという指摘は、採用や登用における姿勢の重要性を示す。凡庸な人物であっても厚遇し敬うことで、それを見た真の逸材が後から集まってくるという逆説的な戦略は、現代の組織づくりにおいても人を集める前にまず自らの姿勢を正すべきという教えとなる。

この章句が説くこと

隗より始めよ謙譲人材招致

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