説苑 / 君道
陳靈公行僻而言失,泄冶曰:「陳其亡矣!吾驟諫君,君不吾聽而愈失威儀。夫上之化下,猶風靡草,東風則草靡而西,西風則草靡而東,在風所由而草為之靡,是故人君之動不可不慎也。夫樹曲木者惡得直影,人君不直其行,不敬其言者,未有能保帝王之號,垂顯令之名者也。易曰:『夫君子居其室,出其言,善,則千里之外應之,況其邇者乎?居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎?言出於身,加於民;行發乎邇,見乎遠。言行君子之樞機,樞機之發,榮辱之主,君子之所以動天地,可不慎乎?』天地動而萬物變化。詩曰:『慎爾出話,敬爾威儀,無不柔嘉。』此之謂也。今君不是之慎而縱恣焉,不亡必弒。」靈公聞之,以泄冶為妖言而殺之,後果弒於徵舒。
新字:陳霊公行僻而言失,泄冶曰:「陳其亡矣!吾驟諫君,君不吾聴而愈失威儀。夫上之化下,猶風靡草,東風則草靡而西,西風則草靡而東,在風所由而草為之靡,是故人君之動不可不慎也。夫樹曲木者悪得直影,人君不直其行,不敬其言者,未有能保帝王之号,垂顕令之名者也。易曰:『夫君子居其室,出其言,善,則千里之外応之,況其邇者乎?居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎?言出於身,加於民;行発乎邇,見乎遠。言行君子之枢機,枢機之発,栄辱之主,君子之所以動天地,可不慎乎?』天地動而万物変化。詩曰:『慎爾出話,敬爾威儀,無不柔嘉。』此之謂也。今君不是之慎而縦恣焉,不亡必弒。」霊公聞之,以泄冶為妖言而殺之,後果弒於徴舒。
書き下し
陳の霊公、行い僻にして言失す。泄冶曰く、「陳其れ亡びんとす。吾しばしば君を諫むるも、君吾に聴かずして愈々威儀を失う。夫れ上の下を化するは、猶お風の草を靡かすがごとし。東風なれば則ち草靡きて西し、西風なれば則ち草靡きて東す。風の由る所に在りて草之が為に靡く。是の故に人君の動きは慎まざるべからざるなり。夫れ曲木を樹うる者、悪んぞ直影を得ん。人君其の行いを直くせず、其の言を敬わざる者は、未だ能く帝王の号を保ち、顕令の名を垂るる者有らざるなり。易に曰く、『夫れ君子其の室に居りて、其の言を出だすに善ければ、則ち千里の外之に応ず、況んや其の邇き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善からざれば、則ち千里の外之に違う、況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わる。行いは邇きより発して、遠きに見わる。言行は君子の枢機なり、枢機の発するや、栄辱の主なり、君子の天地を動かす所以、慎まざるべけんや』と。天地動きて万物変化す。詩に曰く、『爾の出だす話を慎み、爾の威儀を敬め、柔嘉ならざる無かれ』と。此を之れ謂うなり。今君是れを慎まずして縦恣す、亡びずんば必ず弑せられん」と。霊公之を聞き、泄冶を以て妖言を為すと為して之を殺す、後果たして徴舒に弑せらる。
現代語訳
陳の霊公は行いが偏り、言葉も乱れていた。泄冶は言った。「陳は滅びるでしょう。私はたびたび君を諫めましたが、君は私の言葉に耳を貸さず、ますます威儀を失っています。上の者が下の者を感化するのは、風が草をなびかせるようなものです。東風が吹けば草は西になびき、西風が吹けば草は東になびく。風の吹く方向に草はなびくのです。だから君主の一挙一動は慎まなければなりません。曲がった木を植えれば、まっすぐな影を得ることはできません。君主が行いを正さず言葉を慎まなければ、帝王の名を保ち、名声を後世に残すことはできません。『易経』にも、『君子が自室にいて発する言葉が善ければ、千里の外もこれに応じる。まして身近な者はなおさらだ。発する言葉が善くなければ、千里の外もこれに背く。まして身近な者はなおさらだ。言葉は自分から出て民に及び、行いは身近なところから起こって遠くまで現れる。言行は君子の要であり、要が動けば栄誉と恥辱を決する。君子が天地を動かす所以であるから、慎まないでよいだろうか』とあります。天地が動けば万物も変化します。詩にも『あなたの発する言葉を慎み、あなたの威儀を敬いなさい、柔和で善くないことがあってはならない』とあります。それなのに今、君はこれを慎まず、わがまま放縦にふるまっています。滅びなければ必ず弑されるでしょう。」霊公はこれを聞き、泄冶を妖しい言葉を吐く者だとして殺してしまったが、後に本当に徴舒に弑された。
解説

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