潜夫論 / 敘錄
上觀太古,五行之運,谘之《詩》《書》,考之前訓。氣終度盡,後代複進,雖未必正,可依傳問,故敘《五德誌》第三十四。君子多識,前言往行,類族變物,古有斯姓,博見同□□□□□□□□□□□□□故敘《誌氏姓》第三十五。
新字:上観太古,五行之運,谘之《詩》《書》,考之前訓。気終度尽,後代複進,雖未必正,可依伝問,故敘《五徳誌》第三十四。君子多識,前言往行,類族変物,古有斯姓,博見同□□□□□□□□□□□□□故敘《誌氏姓》第三十五。
書き下し
上のかた太古を観るに、五行の運は、之を《詩》《書》に咨い、之を前訓に考う。気終わり度尽きて、後代復た進む、未だ必ずしも正しからずと雖も、伝問に依る可し、故に《五徳誌》第三十四を叙す。君子は多く識る、前言往行を、族を類し物を変ず、古に斯の姓有り、博く同じきを見る□□□□□□□□□□□□□故に《誌氏姓》第三十五を叙す。
現代語訳
上は太古を見渡すと、五行の運行について、『詩』『書』に問い、前人の教えに照らして考えました。気が終わり度が尽きると、後の代が再び進みます。必ずしも正しくはなくても、伝えや問いに依拠できます。そこで《五徳誌》を第三十四に叙しました。君子は前人の言葉や行いを多く知り、族を類別し物を弁別します。古くからこの姓があり、広く同じものを見て(欠字)、そこで《誌氏姓》を第三十五に叙しました。
解説
敘録の末尾で、最後の二篇である五徳誌と誌氏姓の趣旨が述べられます。五徳誌は五行の運行を『詩』『書』や前人の教えに照らして考え、後代がどう受け継ぐかを扱うもので、必ずしも正しくなくとも伝承や問いに依拠できる、と控えめに位置づけています。誌氏姓は、君子が前言往行を多く知ることを理由に、古い姓の来歴を広く見ることを述べますが、後半は底本の欠字が続き、文意は途切れています。そのため、王符がこの篇を締めくくった言葉の全体は原文から確定できません。現代の組織にとって、系譜や沿革の編纂は、伝承の不確かさを認めつつ、典拠を示して後進に残す営みだと言えます。完全でない記録でも、出典と限界を明記する姿勢が信頼につながるでしょう。
この章句が説くこと
五徳誌誌氏姓敘録伝承典拠潜夫論
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