潜夫論 / 五德誌
初,烈山氏之有天下也,其子曰柱,能植百穀,故立以為稷。自夏以上祀之。周之興也,以棄代之,至今祀之。大妊夢長人感己,生文王。厥相四乳,為西伯,興於岐,斷虞芮之訟而始受命。武王駢齒,勝殷遏劉,成周道。姬之別封眾多,管、蔡、成、霍、魯、衛、毛、聃、郜、雍、曹、滕、畢、原、酆、郇,文之昭也;邘、晉、應、韓,武之穆也。凡、蔣、邢、苑、祚、祭,周公之胤也。周、召、虢、吳、隨、邠、方、卬、自、潘、養、滑、鎬、宮、密、榮、丹、郭、楊、逄、管、唐、韓、楊、觚、欒、甘、鱗、虞、王氏,皆姬姓也。有神龍首出常羊,感妊姒,生赤帝魁隗,身號炎帝,世號神農,代伏羲氏,其德火紀,故為火師而火名。是以斫木為耜,揉木為耒耨,日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所。
新字:初,烈山氏之有天下也,其子曰柱,能植百穀,故立以為稷。自夏以上祀之。周之興也,以棄代之,至今祀之。大妊夢長人感己,生文王。厥相四乳,為西伯,興於岐,断虞芮之訟而始受命。武王駢歯,勝殷遏劉,成周道。姫之別封衆多,管、蔡、成、霍、魯、衛、毛、聃、郜、雍、曹、滕、畢、原、酆、郇,文之昭也;邘、晋、応、韓,武之穆也。凡、蒋、邢、苑、祚、祭,周公之胤也。周、召、虢、呉、随、邠、方、卬、自、潘、養、滑、鎬、宮、密、栄、丹、郭、楊、逄、管、唐、韓、楊、觚、欒、甘、鱗、虞、王氏,皆姫姓也。有神竜首出常羊,感妊姒,生赤帝魁隗,身号炎帝,世号神農,代伏羲氏,其徳火紀,故為火師而火名。是以斫木為耜,揉木為耒耨,日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所。
書き下し
初め、烈山氏の天下を有つや、其の子を柱と曰い、能く百穀を植え、故に立てて以て稷と為す。夏より以上は之を祀る。周の興るや、棄を以て之に代え、今に至るまで之を祀る。大妊、長人の己に感ずるを夢み、文王を生む。厥の相は四乳、西伯と為り、岐に興り、虞芮の訟を断じて始めて命を受く。武王は駢歯、殷に勝ち劉を遏め、周道を成す。姫の別封は衆多にして、管・蔡・成・霍・魯・衛・毛・聃・郜・雍・曹・滕・畢・原・酆・郇は、文の昭なり。邘・晋・応・韓は、武の穆なり。凡・蔣・邢・苑・祚・祭は、周公の胤なり。周・召・虢・呉・随・邠・方・卬・自・潘・養・滑・鎬・宮・密・栄・丹・郭・楊・逄・管・唐・韓・楊・觚・欒・甘・鱗・虞・王氏は、皆姫姓なり。神龍の首常羊に出ずる有り、妊姒に感じて、赤帝魁隗を生む、身号は炎帝、世号は神農、伏羲氏に代わる、其の徳は火紀、故に火師と為して火名あり。是を以て木を斫りて耜と為し、木を揉めて耒耨と為し、日中に市を為し、天下の民を致し、天下の貨を聚め、交易して退き、各おの其の所を得たり。
現代語訳
はじめ、烈山氏が天下を治めていたとき、その子を柱といい、よく百穀を植えたので、立てて稷の官としました。夏より前はこれを祀りました。周が興ると、棄がこれに代わり、今に至るまで祀られています。大妊は背の高い人が自分に感じる夢を見て、文王を生みました。その相は四乳で、西伯となり、岐で興り、虞と芮の訴えを裁いて初めて天命を受けました。武王は駢歯で、殷に勝って劉(殺戮)を止め、周の道を完成させました。姫姓から分かれて封ぜられたものは多く、管・蔡・成・霍・魯・衛・毛・聃・郜・雍・曹・滕・畢・原・酆・郇は、文王の昭の系統です。邘・晋・応・韓は、武王の穆の系統です。凡・蔣・邢・苑・祚・祭は、周公の子孫です。周・召・虢・呉・随・邠・方・卬・自・潘・養・滑・鎬・宮・密・栄・丹・郭・楊・逄・管・唐・韓・楊・觚・欒・甘・鱗・虞・王氏は、みな姫姓です。神龍が常羊の地に頭を出し、妊姒に感じて、赤帝魁隗を生みました。身には炎帝の号、世には神農の号があり、伏羲氏に代わり、その徳は火で、火で官を記したので、火師・火名と呼ばれました。そこで木を削って耜(すき)を作り、木を曲げて耒耨(農具)を作り、日の真ん中に市を立てて天下の民を招き、天下の品物を集め、交易して退き、それぞれ必要なものを得ました。
解説
この章句が説くこと
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『潜夫論』五德誌武王殷に克ちて、其の後を杞に封じ、或いは繒に封じ、又少の胄を祁に封ず。澆は才力衆に蓋い、其の勇武を驟くし、而して卒に以て亡ぶ。故に南宮括曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を蕩かし、俱に其の死を得ざるなり」と。姒姓の分氏は夏後・有扈・有南・斟尋・泊㳶・辛・襄・費・戈・冥・繒、皆禹の後なり。搖光月の如く日を正し、女枢幽防の宮に感じ、黒帝顓頊を生む、其の相は駢幹、身号は高陽、世号は共工、少氏に代わり、其の徳は水行、水を以て紀す、故に水師と為して水名あり。少の衰えを承け、九黎徳を乱す、乃ち重黎に命じて討ちて訓服せしむ。日月を暦象し、東西南北、楽「五英」を作り、才子八人有り、蒼舒・緌凱・搗演・大臨・幹降・庭堅・仲容・叔達。斉聖広淵、明允篤誠、天下の人之を八凱と謂う。共工氏に子有り勾龍と曰い、能く九土を平らぐ、故に后土と号し、死して社と為り、天下之を祀る。娀簡燕卵を呑み、子契を生み、堯の司徒と為り、職は百姓を親しみ、五品に順わしむ。扶都白気の月を貫くを見、意に感じて黒帝子履を生む、其の相は二肘、身号は湯、世号は殷、太平を致す。
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史記 周本紀周の后稷は、名を棄とす。其の母は有邰氏の女にして、姜原と曰ふ。姜原は帝嚳の元妃為り。姜原野に出で、巨人の跡を見、心忻然として説び、之を践まんと欲す。之を践みて身動くこと孕める者の如し。期に居りて子を生む。以て不祥と為し、之を隘巷に棄つるに、馬牛の過ぐる者皆辟けて践まず。徙して之を林中に置くに、適山林に人多きに会ひ、之を遷す。而して渠中の氷上に棄つるに、飛鳥其の翼を以て之を覆薦す。姜原以て神と為し、遂に収めて之を養長す。初め之を棄てんと欲す、因りて名づけて棄と曰ふ。棄児為りし時、屹として巨人の志の如し。其の游戯するや、好んで麻・菽を種樹し、麻・菽美なり。成人と為るに及び、遂に耕農を好み、地の宜しきを相し、穀に宜しき者は焉に稼穡す。民皆之に法則す。帝堯之を聞き、棄を挙げて農師と為す。天下其の利を得て、功有り。帝舜曰く、「棄、黎民始めて饑う。爾后稷となりて時に百穀を播け」と。棄を邰に封じ、号して后稷と曰ひ、別に姫氏を姓とす。后稷の興るは、陶唐・虞・夏の際に在り、皆令徳有り。后稷卒し、子不窋立つ。不窋の末年、夏后氏の政衰へ、稷を去りて務めず。不窋以て其の官を失ひて戎狄の間に犇る。不窋卒し、子鞠立つ。鞠卒し、子公劉立つ。公劉戎狄の間に在りと雖も、復た后稷の業を修め、耕種を務め、地宜を行ひ、漆・沮より渭を度り、材用を取る。行く者に資有り、居る者に畜積有り、民其の慶に頼る。百姓之を懐ひ、多く徙りて保帰す。周道の興ること此より始まる。故に詩人歌楽して其の徳を思ふ。公劉卒し、子慶節立ち、豳に国す。慶節卒し、子皇仆立つ。皇仆卒し、子差弗立つ。差弗卒し、子毀隃立つ。毀隃卒し、子公非立つ。公非卒し、子高圉立つ。高圉卒し、子亜圉立つ。亜圉卒し、子公叔祖類立つ。公叔祖類卒し、子古公亶父立つ。
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『潜夫論』五德誌後嗣の慶都、龍と合婚し、伊堯を生む、高辛氏に代わる、其の眉は八彩、世に唐と号す。楽「大章」を作り、始めて位を禅る。武王殷に克ちて其の胄を鋳に封ず。含始、赤珠を呑み、剋して曰く「玉英漢を生ず」と。龍、女媼に感じ、劉季興る。大電、枢を繞りて野を炤らし、符宝に感じ、黄帝軒轅を生み、炎帝氏に代わる。其の相は龍顔、其の徳は土行、雲を以て紀す、故に雲師と為して雲名あり。楽「咸池」を作り、是れ始めて衣裳を製す。後嗣の握登、大虹を見、意に感じて重華虞舜を生む。其の目は重瞳、堯に事う、堯乃ち位を禅りて曰く、「爾舜に格れ、天の暦数は爾が躬に在り、允に厥の中を執れ、四海困窮せば、天禄永く終わらん」と。乃ち終わりを文祖に受くるなり、有虞と号し、楽「九韶」を作り、位を禹に禅る。武王殷に克ちて胡公媯満を陳に封じ、庸て元女大姫を以てす。大星虹の如く、華渚に下流し、女節夢に接し、白帝摯青陽を生む、世に少昊と号す。黄帝氏に代わり、曲阜に都し、其の徳は金行、其の立つや、鳳皇適に至る、故に鳥を以て紀す。鳳鳥氏は、暦正なり。玄鳥氏は、分を司る者なり。伯趙氏は、至を司る者なり。青鳥氏は、啓を司る者なり。丹鳥氏は、閉を司る者なり。
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史記 三代世表契生まれて賢なり、堯立てて司徒と為し、之に姓して子氏と曰ふ。子とは茲なり。茲は益々大なるなり。詩人美めて之を頌して曰く「殷社芒芒たり、天、玄鳥に命じ、降りて商を生ましむ」と。商とは質なり、殷の号なり。文王の先は后稷為り、后稷も亦父無くして生まる。后稷の母は姜嫄為り、出でて大人の蹟を見て之を履み践み、身に知ありて、則ち后稷を生む。姜嫄以て父無しと為し、賤しみて之を道中に棄つるに、牛羊避けて践まず。之を山中に抱けば、山者之を養ふ。又之を大沢に捐つれば、鳥覆ひ席きて之に食はしむ。姜嫄之を怪しみ、是に於いて其の天子なるを知り、乃ち取りて之を長ず。堯其の賢才を知り、立てて以て大農と為し、之に姓して姫氏と曰ふ。姫とは本なり。詩人美めて之を頌して「厥の初め民を生む」と曰ひ、深く修め益々成し、而して后稷の始めを道ふなり。』孔子曰く、『昔者堯、契に命じて子氏と為すは、湯有るが為なり。后稷に命じて姫氏と為すは、文王有るが為なり。大王の季歴に命ずるは、天瑞を明らかにするなり。太伯の呉に之くは、遂に源を生ずるなり』と。天命は言ひ難し、聖人に非ざれば能く見る莫し。舜・禹・契・后稷は皆黄帝の子孫なり。黄帝、天命を策して天下を治め、徳沢後世に深し、故に其の子孫皆復た立ちて天子と為る、是れ天の有徳に報ゆるなり。人知らず、以為へらく氾く布衣匹夫より起こるのみと。夫れ布衣匹夫、安んぞ能く故無くして起こりて天下に王たらんや。其れ天命有りて然るなり」と。「黄帝の後世、何ぞ天下に王たることの久遠なるや」と。曰く、「伝に云ふ、天下の君王、万夫の黔首の為に民の命を贖はんことを請ふ者は帝たり、福有ること万世。黄帝是れなり。五政明らかなれば則ち礼義を修め、天の時に因りて兵を挙げて征伐して利ある者は王たり、福有ること千世。蜀王は黄帝の後世なり、今に至るまで漢の西南五千里に在り、常に来りて朝降し、漢に輸献す、其の先の徳有りて、沢の後世に流るるを以てするに非ずや。
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『潜夫論』誌氏姓黄帝の子二十五人、班つること十二、姫・酉・祁・己・勝・蒧・伾・拘・釐・吉・嬛・衣氏なり。春秋に当たり、晋に祁奚有り、子を挙げ仇を薦め、忠直を以て著はる。莒子は己氏を姓とす。夏の興るや、任奚有り夏の車正と為り、以て薛に封ぜられ、後に邾に遷り、其の嗣仲𧈭薛に居り、湯の左相と為る。王季の妃大任、及び謝・章・昌・采・祝・結・泉・卑・遇・狂大氏は、皆任姓なり。台氏の女は后稷の元妃と為り、周の先を繁育す。吉氏は燕に封ぜられ、鄭の文公に賤妾燕吉有るに及び、夢に神之に蘭を与へて曰く、「余は伯儵なり、余は而の祖なり。是を以て国を有ち、香人服媚す」と。文公吉を見るに及び、蘭を賜ひて之を御す。吉其の夢を言ひ、且つ曰く、「妾は不才なるも、幸ひにして子有らば、将に信ぜられざらんとす、敢へて蘭を征せんか」と。公曰く、「諾」と。遂に穆公を生む。吉氏の別に、闞・尹・蔡・光・魯・雍・断・密須氏有り。漢に及び、河東に郅都有り、汝南に郅君章有り、姓の音は古の吉と同じくして、書く所の字は異なり、二人は皆名を当世に著はす。
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