戦国策 / 樂羊為魏將
樂羊為魏將,攻中山。其子時在中山,中山君烹之,作羹致於樂羊。樂羊食之。古今稱之:樂羊食子以自信,明害父以求法。
新字:楽羊為魏将,攻中山。其子時在中山,中山君烹之,作羹致於楽羊。楽羊食之。古今称之:楽羊食子以自信,明害父以求法。
書き下し
楽羊、魏の将為り、中山を攻む。其の子時に中山に在り、中山君之を烹て、羹を作りて楽羊に致す。楽羊之を食らう。古今之を称す。楽羊子を食らいて以て自ら信とし、明害父は法を求むるを以てす、と。
現代語訳
楽羊は魏の将軍となり、中山を攻めた。ちょうどそのとき、楽羊の子は中山にいた。中山の君は楽羊の子を煮殺し、その肉で羹(あつもの)を作って楽羊のもとへ届けた。楽羊はこれを食べた。昔から今に至るまで、人々はこの話をこう評してきた。「楽羊は我が子の肉を食らうことで、自らの確固たる意志を示した。しかしその一方で、父としての情を害してまで法(軍令・大義)を貫こうとしたことを明らかにするものでもある」。
解説
魏の将軍楽羊が、敵国中山に人質として囚われていた我が子を煮殺されてその肉の羹を差し出されながらも、それを食べて動揺しない姿勢を示したという、戦国の非情な現実を伝える逸話です。原文末尾の評言が示すとおり、この行為は昔から両義的に評価されてきました。私情に流されず軍務・大義を貫いた確固たる意志の証と見る向きがある一方で、父子の情を犠牲にしてまで達成しようとした冷酷さを浮き彫りにするものでもあります。忠義や職務への徹底ぶりを称える視点と、その裏で失われる人間性への痛ましさを見る視点との両方が、古来この話には向けられてきました。組織や大義への忠誠と、人としての情との間の緊張関係を考えさせる話です。
この章句が説くこと
楽羊中山人質忠義非情
関連する章句
-
説苑・立節斉人に子蘭子なる者有り。白公勝に事う。勝将に難を為さんとし、乃ち子蘭子に告げて曰わく、「吾将に大事を国に挙げんとす、子と共にせんことを願う」と。子蘭子曰わく、「我子に事えて子と与に君を殺すは、是れ子の不義を助くるなり。患を畏れて子を去るは、是れ子を難に遁るるなり。故に子と与に君を殺して以て吾が義を成さず、領を庭に契りて、以て吾が行いを遂げん」と。
-
葉隠・聞書第一敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
-
説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
-
説苑・立節楚の平王、奮揚をして太子建を殺さしむ。未だ至らざるに之を遣る。太子宋に奔る。王奮揚を召し、城父の人をして之を執えて以て至らしむ。王曰わく、「言予が口より出でて、爾が耳に入る、誰か建に告げしや」と。対えて曰わく、臣之に告げたり。王初め臣に命じて曰わく、「建に事うること予に事うるが如くせよ」と。臣佞ならず、貳する能わず。初めを奉じて以て還り、故に之を遣る。已にして之を悔ゆるも、亦及ぶ無し、と。王曰わく、「而敢えて来たるは、何ぞや」と。対えて曰わく、「使いして命を失えば、召されて来たらず、是れ過を重ぬるなり。逃るるも入る所無し」と。王乃ち之を赦す。
-
葉隠・聞書第一楠木正成(くすのきまさしげ)兵庫記(ひょうごき)の中に、「降参(こうさん)と云ふことは、謀(はかりごと)にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯(か)くの如(ごと)くあるべきこととなり。
-
葉隠・聞書第二悪事は我が身にかぶり、上(かみ)の批判は申し出でぬと覚悟せよ。御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。