戦国策 / 衞人迎新婦
衞人迎新婦,婦上車,問:「驂馬,誰馬也?」御曰:「借之。」新婦謂僕曰:「拊驂,無笞服。」車至門,扶,教送母:「滅灶,將失火。」入室見臼,曰:「徙之牖下,妨往來者。」主人笑之。此三言者,皆要言也,然而不免爲笑者,蚤晚之時失也。
新字:衛人迎新婦,婦上車,問:「驂馬,誰馬也?」御曰:「借之。」新婦謂僕曰:「拊驂,無笞服。」車至門,扶,教送母:「滅灶,将失火。」入室見臼,曰:「徙之牖下,妨往来者。」主人笑之。此三言者,皆要言也,然而不免為笑者,蚤晩之時失也。
書き下し
衞人新婦を迎う。婦車に上り、問う、「驂馬は誰の馬ぞや」と。御曰く、「之を借る」と。新婦僕に謂いて曰く、「驂を拊ちて、服を笞つ無かれ」と。車門に至り、扶けて母を送るを教えて曰く、「灶を滅せ、将に火を失わんとす」と。室に入りて臼を見て曰く、「之を牖下に徙せ、往来する者を妨ぐ」と。主人之を笑う。此の三言なる者は、皆要言なり。然れども笑いと為るを免れざるは、蚤晩の時失えばなり。
現代語訳
衛の人が新しい嫁を迎えた。嫁は車に乗り込むと尋ねた。「この添え馬は誰の馬ですか」。御者が「借り物です」と答えると、新婦は御者に「添え馬は鞭で打っても、車を引く本馬は鞭で打ってはいけません」と教えた。車が門に到着し、付き添いの者が母を見送る作法を教えていると、新婦は「かまどの火を消しなさい、火事になりますよ」と言った。部屋に入って臼を見ると、「これは窓の下に移しなさい、行き来する人の邪魔になります」と言った。家の主人はこれを笑った。この三つの言葉は、どれも道理にかなった大切な言葉である。それでも笑いものにされてしまったのは、言うべき時(早いか遅いか)を間違えたからである。
解説
新婦が口にした「借り物の馬を大事にする」「火の始末をする」「臼の置き場に配慮する」という三つの助言は、どれもそれ自体は的を射た、家を切り盛りするうえで有用な知恵です。しかし嫁いだ当日、まだ家の様子も分からないうちから次々と口を出したことで、かえって滑稽に映り、家の主人に笑われてしまいました。戦国策はこの話を通じて、内容の正しさだけでは十分でなく、それを口にする「時機」こそが重要であることを説いています。どれほど正論であっても、状況をわきまえず、立場をわきまえずに発言すれば、聞き手には有難迷惑や出過ぎた振る舞いとして受け取られかねません。助言や指摘を行う際の間合いの取り方を考えさせられる逸話です。
この章句が説くこと
衛人新婦時機処世助言
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