戦国策 / 衞嗣君時胥靡逃之魏
衞嗣君時,胥靡逃之魏,衞贖之百金,不與。乃請以左氏。群臣諫曰:「以百金之地,贖一胥靡,無乃不可乎?」君曰:「治無小,亂無大。教化喻於民,三百之城,足以爲治;民無廉恥,雖有十左氏,將何以用之?」
新字:衛嗣君時,胥靡逃之魏,衛贖之百金,不与。乃請以左氏。群臣諫曰:「以百金之地,贖一胥靡,無乃不可乎?」君曰:「治無小,乱無大。教化喩於民,三百之城,足以為治;民無廉恥,雖有十左氏,将何以用之?」
書き下し
衞の嗣君の時、胥靡魏に逃る。衞之を贖うに百金を以てするも、与えず。乃ち請うに左氏を以てす。群臣諫めて曰く、「百金の地を以て、一胥靡を贖うは、無乃ち不可ならんや」と。君曰く、「治に小無く、乱に大無し。教化民に喻れば、三百の城も以て治を為すに足る。民廉恥無くんば、十左氏有りと雖も、将に何を以て之を用いんとするか」と。
現代語訳
衛の嗣君の時代、一人の胥靡(刑徒・労役者)が魏に逃亡した。衛は百金でその身柄の引き渡しを求めたが、魏は応じなかった。そこで衛は左氏という土地を代わりに差し出すことを申し出た。群臣はこれを諫めて言った。「百金に相当する土地をもって、たった一人の胥靡を贖うとは、よろしくないのではありませんか」。君は答えた。「政治において小さいということはなく、乱れにおいて大きいということもない。教化が民に行き渡ってさえいれば、三百戸ほどの小さな城でも十分に治めるに足る。民に廉恥の心がなければ、たとえ左氏のような土地が十もあったとしても、いったい何の役に立とうか」。
解説
逃亡した一介の刑徒を取り戻すために、貴重な領地を差し出すという一見不釣り合いな判断を、衛の嗣君は「小事に見えることでも治乱に関わる」という原則から擁護しています。ここで君が重視しているのは、逃亡者一人の経済的価値ではなく、逃げた者を必ず連れ戻すという法の実効性や、それによって民の間に保たれる規律・廉恥心そのものです。土地という目に見える財産よりも、統治の根幹である信賞必罰の一貫性と民の道徳心を優先する姿勢が示されています。目先の損得勘定だけでは測れない、組織運営における原則の一貫性の重要性を説く話として読むことができます。

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衛嗣君胥靡左氏治乱原則
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