戦国策 / 智伯欲襲衞
智伯欲襲衞,乃佯亡其太子,使奔衞。南文子曰:「太子顏爲君子也,甚愛而有寵,非有大罪而亡,必有故。」使人迎之於境,曰:「車過五乘,慎勿納也。」智伯聞之,乃止。
新字:智伯欲襲衛,乃佯亡其太子,使奔衛。南文子曰:「太子顔為君子也,甚愛而有寵,非有大罪而亡,必有故。」使人迎之於境,曰:「車過五乗,慎勿納也。」智伯聞之,乃止。
書き下し
智伯、衞を襲わんと欲し、乃ち佯りて其の太子を亡ぼし、衞に奔らしむ。南文子曰く、「太子顔は君子為り。甚だ愛せられて寵有り。大罪有りて亡ぐるに非ず、必ず故有らん」と。人をして之を境に迎えしめて曰く、「車五乘を過ぐれば、慎みて納るる勿かれ」と。智伯之を聞き、乃ち止む。
現代語訳
智伯が衛を襲おうとして、わざと自分の太子を追放したふりをして、衛へ亡命させた。南文子は言った。「太子顔は立派な人物で、たいへん智伯に愛され寵を受けている。大きな罪があって追放されたのでないなら、必ず何か理由(裏)があるはずだ」。そこで人を国境まで迎えに行かせ、「随従の車が五台を超えるようなら、決して国内に入れてはならない」と命じた。智伯はこれを聞いて、企てを取りやめた。
解説
智伯は寵愛する太子をわざと亡命させ、衛国内に軍事的な足がかり(多数の随従者を伴った受け入れ)を作ろうとしたと考えられます。南文子は、日頃から寵愛されている太子が大罪もなく追放されるのは不自然だと見抜き、亡命者を無条件に受け入れるのではなく、随従の規模に制限をかけるという具体的な防御策を講じました。結果、智伯は計略を諦めています。表面上の出来事(太子の追放)だけでなく、それが本人の普段の立場や境遇と矛盾していないかを照らし合わせて真偽を見抜く姿勢が光る話です。組織においても、不自然な人事や申し出の背後にある意図を、当事者の普段の扱われ方から推し量る視点は今も有効です。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
智伯南文子太子顏太子顔偽装亡命見抜く
関連する章句
-
説苑・權謀智伯衛を襲はんと欲し、乃ち佯りて其の太子顏を亡はしめ、衛に奔らしむ。南文子曰く、「太子顏の其の君爲るや、甚だ愛せらる。大罪有るに非ずして、之を亡はすや。必ず故有らん」と。然れども人亡げて受けざるは不祥なり。吏をして之を逆へしめて曰く、「車五乘を過ぐれば、慎みて內るる勿かれ」と。智伯之を聞き、乃ち止む。
-
戦国策・智伯欲伐衞智伯、衞を伐たんと欲し、衞君に野馬四百、白璧一を遺る。衞君大いに悦び、群臣皆賀すも、南文子憂色有り。衞君曰く、「大国大いに懽ぶに、子憂色有るは何ぞや」と。文子曰く、「功無きの賞、力無きの礼は、察せざるべからざるなり。野馬四百、白璧一、此れ小国の礼なり。而るに大国之を致す、君其れ之を図れ」と。衞君其の言を以て辺境に告ぐ。智伯果たして兵を起こして衞を襲うも、境に至りて反りて曰く、「衞に賢人有り、先んじて吾が謀を知れり」と。
-
説苑・權謀智伯衛を襲はんと欲し、故に之に乘馬を遺り、之に璧を先んず。衛君大いに悅び、酒を酌み、諸大夫皆喜ぶ。南文子獨り喜ばずして、憂ふる色有り。衛君曰く、「大國寡人を禮す。寡人故に諸大夫に酒を酌む。諸大夫皆喜ぶに、子獨り喜ばずして憂ふる色有る者は何ぞや」と。南文子曰く、「無方の禮、無功の賞は、禍の先なり。我未だ往くこと有らざるに、彼來る有り。是を以て憂ふるなり」と。是に於て衛君乃ち梁津を修めて邊城を擬す。智伯衛の兵の境上に在るを聞き、乃ち還る。
-
『智囊』知微・南文子智伯が衛を伐とうとし、衛君に野馬四百と璧一を遺った。衛君は大いに悦び、君臣は皆賀したが、南文子には憂色が有った。衛君は曰く、「大国が交歓を求めているのに、子に憂色が有るのはなぜか」と。文子は曰く、「功無き賞、力無き礼は、察せざるべからず。野馬四百と璧一は、小国の礼です。それを大国が致すのです。君はこれを図られよ」と。衛君は其の言を以て辺境に告げた。智伯は果たして兵を起こして衛を襲ったが、境に至って反り、曰く、「衛に賢人がいて、先に吾が謀を知った」と。〔馮述評〕韓・魏が万家の邑を愛しまずして智伯を驕らせたのも、また璧馬の遺りである。智伯はこれを以て衛を蠱し、還って自ら蠱した。なぜか。
-
『智囊』知微・衛姬・管仲・東郭垂斉の桓公は朝して管仲と衛を伐つことを謀った。朝を退いて入ると、衛姫は君を望み見て、堂を下りて再拝し、衛君の罪を請うた。公が故を問うと、対えて曰く、「妾は君の入るを望むに、足は高く気は強く、国を伐つ志が有りました。妾を見て色が動いたのは、衛を伐つからです」と。明日、君は朝し、管仲に揖して進めた。管仲は曰く、「君は衛を舎かれるのか」と。公は曰く、「仲父はどうしてこれを識るのか」と。管仲は曰く、「君の朝に揖するや恭しく、言は徐く、臣を見て慚色が有りました。臣はこれを以て知ったのです」と。
-
戦国策・惠施為韓魏交惠施韓・魏の交わりを為し、太子鳴をして齊に質と為らしむ。王之を見んと欲す、朱倉王に謂いて曰く、「何ぞ病と称せざる。臣請う嬰子に説きて曰わん、『魏王の年長ぜり、今疾(やまい)有り、公は太子を帰して以て之に徳とするに如かず。然らずんば、公子高楚に在り、楚将に内(い)れて之を立てんとす、是れ齊空質を抱きて不義を行うなり』と」と。